friend
カリカリ……カリカリカリ……
日が沈みかけた朱色の時間。ある室内では羽ペンを動かす音が絶え間なく続いていた。
「…これでいいわ、完成。」
羊皮紙の端から端まで細かい字でびっしり書き込まれたレポートのインクを乾かす為に灯りの下に置くと、ペンを走らせていた少女は思いっきり伸びをした。
そこに、良いタイミングでドアを叩く音がした。
「ハーマイオニー、入るわよ。」
返事を聞かず室内に入って来た女性は自分の娘――ハーマイオニーに笑いかけた。
「お勉強は終わったの?」
「ええ、ママ。今日はこれでお終いよ。」
「今日は外でお夕食にしましょう。下でパパも待ってるわ。
あ、それと…頼まれたもの、買っておいたわよ。」
内緒話をするように言った後半の言葉に、ハーマイオニーもつられて少し小さな声で返事をする。
「ホント?ありがとう、ママ。」
「ふふ…何をやっているかは知らないけど、頑張りなさい。
さ、パパが待っているから行きましょう。」
ハーマイオニーは素直に頷き、二人仲良く部屋を後にした。
その日の夜―――ハーマイオニーは再び机に向かっていたが、勉強道具は何一つ出ていなかった。
(あと二日でコレを完成させないとね。)
ちらりと眼を向けた時計は八月二十七日、零時三十分を指していた。
「ふぅ…ずいぶん荷物が増えちゃったわね。」
ドサッドサッとはちきれんばかりの大きな袋をベッドの上に置くと、ハーマイオニーは新しく買った大きなトランクを開けた。
その中に今しがた買ってきた新しい教科書を『怪物的な怪物本』をのぞいて、隙間無く詰め始めた。
あれから日は経ち、今日は八月の最終日である。ハーマイオニーは二人の親友と合流し、明日、一緒に学校へ行く為に「漏れ鍋」という店に部屋を取っていた。
「あ、クルックシャンクス。その本に触っちゃダメよ!」
教科書の整理をする傍ら、オレンジ色の猫が『怪物本』に触れようとしたのを目にしたハーマイオニーは、慌てて注意した。
つい先ほどハーマイオニーの新しいペットになったクルックシャンクスは、キチンと理解したのか、それとも本能が本を避けたのかどうかは分からないが、くるりと本から離れると、出窓の隅で身体を丸めた。
クルックシャンクスの動きを見ながら本を入れ終えたハーマイオニーは、バチンッとトランクを閉めると、別のカバンから綺麗に包装された二つの包みを掴んだ。
「さて…これを渡してこなくちゃね。
クルックシャンクス、ちょっとハリーたちの所に行ってくるから、留守番よろしくね。」
ハーマイオニーの言葉に、クルックシャンクスはニィと一鳴き返した。
部屋を出て、少し離れた所にあるハリーの宿泊部屋の前へ行くと、ハリーとロンらしき声がドア越しにかすかに聞こえる。
ノックをすると、ハリーの声が返ってきた。
「誰?」
「私よ。入ってもいい?」
「ああ、もちろんだよ。」
快い返事と共に、ドアを開けてくれたハリーの顔と、その奥のイスに座っているロンが視界に入った。
「今、ロンとファイアボルトについて話してたんだ。」
ベッドに腰掛けながらのハリーの明るい言葉を、ハーマイオニーも開いているイスに腰を落ち着けながら聞いた。
ファイアボルト…世界最速高性能のほうきだが、ハーマイオニーはさして気に止めず、ニッコリと笑った。
「そうなの。
ねぇ、それはそうと、私二人に渡したいものがあるの。」
「とーっても役に立つ軽い読み物かい?」
ロンの言葉を無視して、ハーマイオニーは先にハリーに包みを一つ渡した。
「これは?」
「はい、ロン。あなたにもよ。」
少しツンとした言い方で、ロンにも渡す。
突然の事に不思議そうに首を傾げて、見合う二人がちらりとこちらを見た。「開けてみて。」と少し肩をすくめて笑うと、二人とも包みを開け始めた。
その動作を、心拍数を上げながら見守る。中身を見た二人の反応はそれぞれ違っていた。
ハリーは驚き、少し当惑の色を出して目をぱちくりさせていた。
ロンも、驚きは変わらないのだが、こちらは疑問の色が強かった。
包みの中身はふわふわのモヘアにガラスビーズの瞳。首にはサテンリボンが巻いてあり、首と手足が稼動。正真正銘、何処からどう見てもテディベアであった。
ハリーのベアは白色に緑のリボン。ロンのベアは茶色に赤のリボンをつけていた。
「ほら、いつだったか二人ともテディベアを持ってないって話してたじゃない。」
「あ、ああ…うん、そうだけど…」
「ハーマイオニー、君まさかそれで僕らにこれを?」
「そうよ。一生懸命作ったんだから。
それとも、クリスマスでもないのに私があなたたちに贈り物をするなんておかしい?」
ハーマイオニーが少し頬を染めて眉を落とすと、激しく首を降ってハリーはすぐさま否定した。
「ううん、全然おかしくないよ!
ありがとう、ハーマイオニー。僕大事にするよ。」
ハリーの屈託の無い笑みに便乗して、ロンも頷く。
「僕も…ありがとう、ハーマイオニー。」
二人の返事を聞いて安心したのか、ハーマイオニーは柔らかく笑うと、立ち上がり、ドアの傍に移動した。
「どういたしまして。じゃあ、私部屋に戻るわ。
夕食の時にまた会いましょ。」
二人の答えを聞く前に、ハーマイオニーはドアを開けて出て行った。
残された…いや、元々部屋にいた二人は、互いに渡されたテディベアをじっと見つめた。
「まさか、ハーマイオニーが僕らにベアをくれるとはなぁ…しかも手作り。」
ロンの呟きにハリーも同意を示した
「うん…そうだね。でも、僕、なんだかすごく嬉しいな。」
瞳を輝かせて白いベアのリボンをいじっていると、開けっ放しの窓からハリーのペット、白フクロウのヘドウィグが戻ってきた。
「あ!ヘドウィグ見て。ハーマイオニーがくれたんだよ。」
ベッドに着陸したヘドウィグの前に嬉しそうに差し出すと、ヘドウィグはベアをじっと見つめた。そして、テディベアの手を羽で軽くぱさぱさと叩いた。
嬉しさを前面に出すハリーにロンはつい尋ねてしまった。
「そんなに、嬉しい?」
「ロンは嬉しくないの?」
ハリーの真正面の問いにロンはうっ…と言葉を詰まらせると、返事の代わりに席を立った。
「そりゃあ……ハリー、僕一度部屋に戻るよ。フレッドとジョージに見つかる前にしまわなきゃ。
またクモに変えられたらたまったモンじゃないからね!」
バタンッとドアを閉めて出て行ったロンを、ハリーはクスクスと堪えきれず笑った。
やっぱり嬉しいのだ。
その日の夜、三人はそれぞれベッドにテディベアを同居させていた。
(よかった…「おせっかいだ!」って言われたらどうしようかと思った…)
ハーマイオニーは一歳の誕生日の時、両親から貰ったクリーム色の茶リボンのテディを抱き寄せた。こうしてベッドに横たわらせるのも久々だ。
(テディベアは一生のお友達…ですものね。)
だから、大切な友達に贈りたかった。
ハーマイオニーは鼻の頭に軽くキスをすると、新しく始まる授業に胸を膨らませながら眠りについた。
ロンは、相部屋のパーシーが熟睡しているのを感じると、ベッドに隠していたテディベアを取り出し、見つめた。
(…ハーマイオニーのやつ、何考えてるんだろうな……)
ロンは幼い頃、やはり両親から贈られたテディベアがあったのだが、三つの時、フレッドのちょっとした仕返しのおかげでクモに変えられてしまった。
その事はロンにトラウマを残すには充分だった。ロンはそれ以来、生きたクモが大の苦手となったのだ。
その連鎖反応でテディベアも少し嫌遠気味だったのだが……
(でも、これをわざわざ作ったのか…あのハーマイオニーが…)
なんだか、すごく…
その先の言葉を繋げようとした時、自分の顔の熱が上がっているのに気づいた。思わず言葉を飲み込み、寝たままにもかかわらず首を激しく振る。
(ああ、もう!寝よ寝よ!!)
テディベアをベッドの端に押すと、ロンは薄い毛布を頭から被った。
テディベアは小さな子供の最初の、そして一生の友達になる。
昔、そういう言葉が書かれたおもちゃ屋のショーウィンドウを見たことをハリーは思い出した。
(そう言えば、ダドリーも持ってたっけ。)
しかし、ハリーの記憶が正しければダドリーのテディベアは、本人が腕を持って振り回したり、バンバン叩いていたのでボロボロのヨボヨボになって彼の部屋のどこかに埋まっているはずだが。
(…僕にはこういうのを贈ってくれる人はいなかったなぁ。)
ダーズリー夫妻はハリーにそんな贈り物をする気持ちなんて欠片も持ってないし、両親はハリーにテディベアを贈る前に死んでしまった。身内がそれ以外にいないハリーが幼い頃一緒に寝ていたのはガラクタばかりだった。
(あったかい…)
ハリーはテディベアの腕を持って幸せそうに笑った。ガラスビーズの目が月明かりに照らされてほのかに優しく光る。
その時、リボンの裏側に黒ずんでいる部分があることに気づいた。
(?なんだろう、汚れかな)
気になったハリーはベッドから出ると、灯りを点け、黒く見えた所をじっと見た。
それは整った字で書かれたメッセージだった。
“友情を込めて”
ハリーは満たされた気持ちになった。
テディベアの頭を優しくなでると、灯りを落し、再びベッドに入ると、枕元にテディベアを置いた。
(昔は誰もいなかったけど、今はこんなに素敵なテディベアを贈ってくれる友達がいる…)
僕は、なんていい友達をもったんだろう。
今年も、きっと大変な学校生活になるだろう。けれど、この一時ばかりは、先ほど聞いてしまった自分の命が狙われているという事実ですらハリーの中から薄れていた。
テディベアの暖かさを感じながら、ハリーは安らかに眠りについた。
眠りについた三人はそれぞれまったく違う夢を見ていたにもかかわらず、ある一つのビジョンが共通していた。
それは、三体のテディベアが仲良く寄り添っているものだった。
―――この先も、ずっと一緒に。
END
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