時計盤と年月−明けの口−



 人々に平等に朝は来る、それが自然のサイクルだから。

(だが―――こんな気持ちで朝を迎えたのは、遠い昔の事だったな。)

庭に出て、朝焼けに輝いている木々を見ながら、シリウスは光に目を細めた。
ちらりと窓の向こう―――部屋の中の机に突っ伏して眠っているルーピンの背を見る。
あの後二人は夜を徹して昔話に花を咲かせたが―――いつの間にか眠っていた。
だが、朝日が顔に直撃したシリウスはロクに寝ていないのに目が覚めてしまったのだ。
しかし、不思議と眠気は無かったので、風の音に誘われて庭へ足を運んだのだった。

(あの日時計が合っているのなら…今は5時ぐらいか。)

シリウスが時間を確認した時、近くの木で足をたたみ、眠っていたバックビークが眼を覚ました。
一声小さく鳴いてこちらを見ている。
軽く例をしてシリウスもバックビークを見る。すると、バックビークは礼を返し、その場で待った。
バックビークと名を持つこのヒッポグリフと言う生物はプライドが高く、礼儀を重んじない者には心を許さない。シリウスもそれをよく知っているから、ヒッポグリフに失礼な態度は取らない。

(……昔、油断して落とされそうになった事があるしな。)

そんな事を思い出しながら、シリウスはバックビークに近づき、嘴をなでる。

「よく眠れたのか?」

バックビークは気持ち良さそうに眼を閉じる。

「今晩にはまた飛ぶから、今のうちにしっかり休んでおけよ。」

そう言って、シリウスはバックビークの嘴から手を放した。
シリウスが少し離れた所にある大岩に座ると、バックビークは虫を探して茂みの辺りを揺らし始めた。
それを視界の端に捕らえながら、シリウスは思い出していた。アズカバンで奪われた記憶を―――

(昨日で随分と思い出したが―――まだ、一つ……)

シリウスにはどうしても鮮明に思い出したい記憶があった。
向かい風が髪を吹き上げる。

(ちょうどいい…少し、手繰り寄せてみるか。
 たしか、あれは―――14年ぐらい前だったか……)




「は?何だって……悪い、最近耳が遠くてな。もう一回言ってくれ。」

「だからぁ…卒業の一週間後にリリーと結婚式をするから、その時君に僕の付添い人をしてほしいんだ。」

そう言ったクシャクシャの黒髪メガネの青年は、シリウスが思わず落としてしまった本をキャッチした。
はしごの上に居たシリウスはたんっと飛び降りると、青年が受け止めた本を乱暴に取り戻し、力任せにすぐ横にある本棚に押し込みながら声を荒げた。

「お前は…なんでいつもそう唐突なんだジェームズゥゥ!!」

だが、ジェームズが反論する前にマダム・ピンスの痛い視線が飛んできた。
無言でこちらに抗議している。彼女は図書室の静寂を破る者には例え校長でも容赦しなかった。

「…ジェームズ、場所を変えよう。」

「ああ、いいよ。僕は何処でも。」

慌てて小声になったシリウスと変わらぬトーンのジェームズ。二人は図書室を出ると、真っ直ぐ寮の自室へ向かった。
誰も戻ってきていない自室で、シリウスは自分のベッドに腰掛けながら話の続きを乱暴に始めた。

「で。本気なんだな、ジェームズ?」

「ああ、もちろん。リリーも了承済みだし、何の問題もないよ。」

ジェームズもシリウスのベッドの向かいに位置する自分のベッドに座りながら、にこやかに言った。
思わずシリウスは大きくため息をついて頭を抱えた。

「お前の唐突さは今に始まった事じゃないが…もう少し前置きがほしい、前置きが。」

「それは君に言われる筋合いは無いと思うけどなぁ。」

「……………」

何となく言い返せないシリウスは頭を上げてジェームズを見た。
相変わらず底が読みにくい笑顔を浮かべている。

「それに、僕は君との約束守っているだろう?
 何かあった時はお互いに一番に話すって言う昔の約束。
 今だって、この話を持ってきたのは君が最初だよ。」

「は…よく言うよ、まったく……OK。引き受けるよ。」

「ありがとう、シリウス。」

断るはずないと思って話してきたくせに―――とシリウスは思ったが、口には出さなかった。
こちらも断る気なんてさらさらなかったのだから。

「で、それだけか?」

「え?」

「まだ、他にも何かあるんだろ?いい加減、長い付き合いだからな。
 それくらいわかるさ。」

ニヤリと笑うシリウスにジェームズは少し目を丸くした。
まさか読まれているとは―――クスクス笑いながらジェームズは口を開く。

「ああ。実は……コレはまだリリーにも言ってない、僕の勝手な考えだけどね。
 僕達が結婚して、当然子供を産むだろう?その時、君に子供の名付け親になってもらいたいんだ。」

「ふーん、名付け親ね……―――――」

………………沈黙。すべての時が止まった。
ジェームズは相変わらず笑っている。シリウスは…ニヤリと笑った口があっけに取られ、目をぱちくりさせていた。
サイドデスクに置かれた懐中時計の短針がカチッと一つ進んだ音と共に、時が戻ってきた。

「……全部、本気か?」

シリウスが弱々しい声で尋ねる。こいつが本気だったら―――

「もちろん。でなきゃこんな話、口外しないさ。」

すいっとジェームズに近づいて、彼のメガネを取る。
レンズ越しでなくとも奥の見えにくい瞳に、シリウスにしか見えない光が見えたような気がした。
―――絶対な信頼という光―――

「シリウス、なんだよ。メガネを返――」

メガネを取った時と同じ自然な動きで元に戻すと、その手はクシャクシャなジェームズの髪をさらにグシャグシャにした。

「シリウス!なんだよ、もう――」

「いいぜ。名付け親だって何だって。俺はお前らの為なら、何だってできるさ。」

こいつが本気だったら、それを受けないわけにはいかない。
相手の信頼に自分のありったけの信頼で応える。それがどんなに嬉しい事か。
シリウスの真っ直ぐな視線に意味をジェームズは寸分違わず捉えた。

「じゃあ、その時が来た時は、お願いするよ。」

「リリーがOKを出せばな。」

「出すさ、絶対。」

同じタイミングで笑い、手を出し、パンッと互いの手のひらを合わせる。

「二人の世界だねぇ。」

唐突に扉の方から声が飛んできた。
二人が見ると、ニコニコと笑いながら立っているリーマスがいた。

「やぁ、リーマス。今の話聞いていたのかい?」

朗らかに尋ねるジェームズに、リーマスも笑って返す。

「聞いた、というよりは聞こえちゃったんだけどね。」

「どの辺からだ?」

シリウスの問いに、リーマスは手を顎に当てて「えーと」と耳に聞こえた会話を思い出した。

「たしか…シリウスが引き受けた所あたりかな?」

「じゃあ、ほとんど聞いていたのか。」

「だって、ぼくが部屋に入って来ても二人とも全然気がつかないんだもの。
 もうすぐ夕食だから探しに来たって言うのにね。」

ピーターもホールで待ってるよ。とつけ加え、リーマスはくるりとドアの方へ向き直り、一足早く下へ行く体制になった。

「なんだ、ピーターも一緒にくれば話が一度ですんだのにな。」

ジェームズも立ち上がり、下へ行くとリーマスの隣りに並んだ。

「そんな不精なこと言ってないで。後でちゃんと最初から説明してね。」

「了解、ムーニー。」

「ほら、じゃあ夕飯食いに行くぞ。」

たん、と二人の肩に同時に手を乗せて軽く押すシリウス。
三人が少し狭い階段を降りて大広間へ向かう。
そこで待っていたピーターと合流し、四人で食事を楽しんだ。




その夜―――ジェームズとシリウスは同室の二人が寝静まった頃に、『マント』を羽織ってこっそりと部屋を抜け出して、星のよく見える屋根の上に並んでいた。

「そのマント、だんだん小さくなっていないか?」

「僕らが大きくなったんだよ。」

「昔は四人でも余裕だったのに、今じゃキツキツだ。」

「成長したんだから、あたり前だろ。」

二人は目を合わせずに、空を見上げながら会話をしている。
今の時期はミルキーウェイが見事だ。

「…なぁ、シリウス。」

突然、ジェームズのトーンが重くなった。

「弱気になるなよ。」

シリウスの声は鋭くなった。熱く熱したナイフのような声が続く。

「もうすぐ、俺達はここを卒業する。
 そしたら、今の混乱した世の中に全身で立ち向かわなくちゃいけなくなる。
 だから、弱気になんか、なるな。
 リリーと結婚するんだろ。お前がそんな弱気でどうする?」

シリウスの瞳に、流れ星が映った。

「シリウス…」

空から隣りで寝そべっている親友へ目線を移す。
シリウスは上身を起こし、ジェームズと同じ体制になったが、目は合わせなかった。

「それでも、どうしてもって言うなら、俺はお前の望む言葉をやる。
 けど―――」

すっと立ち上がり、星空を背にして、真っ直ぐ見つめながら確信の笑みをジェームズに向ける。

「君は、それを言わせるようなヤツじゃない。」

口約束を、求めるような君じゃないだろう。
ジェームズはそう言ったシリウスの方へ手を差し出した。その手を掴み、ぐいっと手前の方へ引っ張り、立ち上がらせる。

「ねぇ、シリウス。こんな話知ってる?
 一生の中で友人と親友にはたくさん出会えても、真の親友には一人しか出会えないって。」

また、透明すぎて底が見えにくい瞳が笑う。
一度瞬きをして、照れたように笑い返す。

「へぇー…、初耳だな。」

「じゃあ、そろそろ戻ろうか。」

「そうだな。」

『マント』をはおり、音を立てずに来た道を戻る。
無事に自室に戻り、それぞれのベッドに滑り込んだとき、シリウスはジェームズが何か言ったような気がしたが、それはシリウスには聞き取れなかった。
(いや、聞こえなかったんじゃない。聞こえないふりをしてたんだ。)

あの時、ジェームズは「それでも、もしもの時は後をたのむ。」と言ったんだ―――

(あの時は、まさかああなるなんて思ってもいなかったんだろうが……
 あいつの直感は良いものでも悪いものでも当たる事が多かったからな。
 本当は、俺が聞きたくなかっただけかもしれないな…)

ふと、彼とよく似た緑の瞳を持つ少年が頭をよぎった。
彼らが命と引き換えに残した、いとおしい子供。

(もしもの時から、13年―――大遅刻だな。)

膝の上に頬杖をついて、息を吐く。
風の流れが向かい風から、急に追い風に変わった。
顔を覆う長い髪を反射的に抑え、後ろに押し戻そうとしても、指に髪が絡まって思うようにいかない。

「ちっ……うっとおしい。13年もほっとくと―――」

シリウスが誰に言うわけでもなく、口にした言葉と同時に、立ち上がる。
家の中に戻り、立て付けが悪い棚の中を捜し始めた。
その音を聞いたルーピンは、目をこすりながら顔を上げる。

「シリウス…何か探し物?」

「ああ。ハサミかナイフか…何か切れる物はないか?」

棚の引き出しを開け閉めしながら尋ねる。

「ああ、あるよ。たしかここに…あ、ほら、あった。」

ルーピンが手時かな所にあった籠の中からサバイバルナイフをシリウスに手渡した。

「ちょっと借りるぞ。」

しっかりと受け取ると、シリウスはナイフを抜き、片手で雑に髪を束ねると、束ねた手を頭の間に刃を当てた。
ルーピンが何か言う間も与えずに、シリウスはナイフを引き、ばっさりと長い髪を切り落とした。

「シリウス…?」

「うっとおしかったからな。それに…今までのちょっとしたケジメだ。」

振り返りながら、昔を彷彿させる笑顔を見せる。その顔を見たルーピンは思わず笑みをこぼしてしまった。

(君は、変わったんだか変わっていないんだか、わからないね。
 いや―――変わったか。)

「なんだ、リーマス?」

「ううん、なんでもないよ。
 それより、そのままじゃイマイチかっこつかないから、少し切りそろえないとね。」

そういう風に使うなら、最初からハサミを渡したのに。
小さく言いながら立ち上がり、今度はトランクの中から事務用のハサミを取り出してシリウスのもとへ歩み寄る。

「そこに座って。立ったままじゃうまく切れないよ。」

「…ああ。」

言われるまま近くにあったバランスの悪いイスに腰掛けると、耳の下辺りでハサミの走る音がした。
その音を聞きながら、シリウスは窓の外に広がる空を見つめた。そして流れる雲を見ながら決意を新たにした。

(13年間、果たせなかった君との約束を、これからは果たし続ける。
 君の子に助けられた、この命にかけて。)

「シリウス、ぼくもいるから。」

突然なルーピンの話に、シリウスは首を動かし、ルーピンの方を見る。
彼は鳶色の瞳を和ませながら、こちらを見ていた。

「ぼくも、13年遅刻してしまったんだ。自分で誓ったのに…
 だから、ぼくにできる事があったら、何でもするよ。」

「…そうか。そうだな。」

一瞬微笑み合うと、シリウスは顔を正面に戻し、ルーピンはハサミを動かし始めた。

(ジェームズ。あの親友の話、外れているかもしれないな。
 君は、こんなにも強く、俺たちの心で生き続けているのだから。)


朝焼けに染まった家に、柵を断つ音が響く。
忌まわしき過去への決別の意をこめて。
けど、忌まわしい記憶を忘れるわけじゃない。一生抱えて生きる。そのための、ケジメ。



BACK