時計盤と年月−白昼の夢−



「じゃあ…シリウスにはコレね。」

一緒に少ないランチを終えたシリウスの目の前に、ルーピンは羽ペンとインクと羊皮紙をトントンと置いた。

「…これで、何をしろと?」

風通りが良くなった首筋に手を当てながらルーピンに尋ねる。
切ってみると、随分軽くなるものだ。髪の重さも馬鹿に出来ない。

「もちろん、ハリーに手紙を書くんだよ。
 きっと君の事をすごく心配していると思うよ。無事に逃げられたかどうか…とかね。
 他にも、話しきれてない事がたくさんあるんだろう?箒のことだって…」

「ああ、ファイアボルトの事か。そうだな……手紙、書くか。」

ルーピンに促されて、シリウスは羽ペンを取り、ペン先にインクを染み込ませた。
が、最初の一行を書いたところで手が止まった。

「ルーピン…書くのはいいが、誰が手紙を届けるんだ?
 この森にいるふくろうは使えるのか?」

シリウスのもっともな問いに、トランクの中から荷物を取り出し、それを整理していた手が止まる。
ルーピンが何か言おうと口を開いたその時、部屋の隅っこから落下音が聞こえた。

「何だ?」

「あ、そうか!君がいたんだっけ。」

慌てて、ルーピンが落下してまたまた目を回している灰色チビふくろうを両手で包んでシリウスが座っているテーブルへつれてくる。

「ねぇ、この子に配達を頼めないかな。」

「このチビッ子にか?」

シリウスが羽ペンをインク瓶に入れて、空いた手で軽く突付く。
すると、今度はすぐに目を覚まして、きょろきょろとせわしなく辺りを見回した。
シリウスが一行書いただけの羊皮紙を見つけると、それを小さな嘴でくいくい引っ張った。

「ほら、やる気はあるみたいだよ。」

「ああ、わかったわかった。わかったからとりあえず嘴を離せ。まだ全然書いてないんだぞ。
 書きあがったら渡すから、とりあえず放せ。」

羊皮紙を破らないように、注意しながらチビふくろうの嘴を外す。
チビふくろうはピーピー泣きながらシリウスにつままれて羽をばたつかせていた。

「あはは。」

「笑うな、リーマス。」

「…じゃあ、ぼくがその子を見てるから、その間に手紙を書いちゃってね。
 ほら、おいで。」

つまんだシリウスの手の前に自分の手を受け皿のように差し出すと、シリウスはぱっと手を放し、チビふくろうはルーピンの手のひらに納まった。
チビふくろうを柔らかく掴むと、ルーピンは台所へ姿を消した。
残されたシリウスは、再び手紙を書くために羽ペンを握りなおした。

(何を書こう…とりあえず、無事だという事を書いて…
 それから、ファイアボルトを送ったのが俺だと伝えて…
 ああ、あとホグズミートの許可証も必要かもな。
 ハリーは叔父さんたちに許可証にサインをもらえなかったらしいから…
 ダンブルドアなら俺からでも大丈夫だろう。)

書きたい事を整理しながら、ペンを走らせる。
羽ペンが動く音を聞きながら、ルーピンはチビふくろうの前に水の入ったお皿を置いた。
チビふくろうは嬉しそうに喉を鳴らしながらこくこくとせわしなく水を飲み始めた。
それを眺めつつ、ルーピンはふと、窓の外ヘ目をやった。初夏の暑い日差しが庭を明るく彩っている。
木陰では、バックビークが羽をたたんで昼寝を満喫していた。移動が夜に集中しているせいか、少し夜型のサイクルになっているようだ。

(もう、夏なんだなぁ…日増しに暑くなるね。)

眩しそうに少し目を細めると、ルーピンは頭の奥がぼんやりとするような感覚に覆われた。
まるで、夢路の入り口に立ったような……





「……ルー……ルーピン…!…ルーピン先生!」

呼ばれる声にハッと顔を上げると、自分を覗き込む緑の瞳が見えた。
少し目線を動かすと、ハネッ毛の黒髪とその前髪に見え隠れしている稲妻傷が見えた。
自分がどういう状況なのか、ようやく把握できたルーピンは少し心配そうに自分を見つめたままの生徒にニッコリと笑いかけた。

「ああ、すまない、ハリー。どうやらうたた寝をしてしまっていたようだね。」

座っていた長椅子から立ち上がると、ルーピンは軽く目をこすって杖を握っているハリーの方へ向き直った。

「じゃあ、はじめようか。」

「はい。お願いします。」

握った杖に力を込める。緊張した面持ちでルーピンの作業を見つめるハリーを背に、ルーピンはガタガタ揺れている箱の蓋に手をかけた。

(そうだ、わたしは今…ハリーの吸魂鬼対策を手伝っているんだった…
 ハリーが来るのを待っているうちに眠ってしまうとは……しっかりしなければ。)

うたた寝でぼんやりした頭を覚ますためにルーピンは小さく深呼吸する。
新鮮な空気が身体をめぐると、ルーピンはハリーに向けて声を鋭くした。

「いくよ…それ!」

バッと蓋を開けると、中にいたモノ−マネ妖怪−はハリーの目の前で目深にフードを被ったなんとも不気味で大半の人が生理的に受け付けないであろう生物―――吸魂鬼の姿をとった。

「エクスペクト・パトローナム、守護霊よ来たれ!」

ハリーが叫ぶと、ハリーが構えた杖から銀色の靄のようなものが噴出して吸魂鬼とハリーの間を必至で漂っていた。
しばしその均衡は保たれていたが、程なくしてハリーの杖腕が震え始めた。

(これ以上は危険だ―――!)

ルーピンは素早く杖を取り出すと、銀色の靄が漂っていた場所に滑り込み、吸魂鬼の姿をしたものに杖を向けて叫んだ。

「リディクラス!」

すると、吸魂鬼の姿をしてたものはパチン!と音を立てて姿を変えた。丸い銀の物体に。
ルーピンはそれをもといた箱の中に押し込めると、きつく蓋を閉めた。
そして、ハリーにチョコを渡す。吸魂鬼のダメージを癒す方法はチョコレートを食べることなのだ。

何度かその動作を繰り返し、4度目に達した所で、ルーピンは箱の蓋を一層きつく閉めた。

「ハリー。」

振り返ってみると、ハリーが小さく肩で息をしながら机にもたれかかっていた。
ルーピンはポケットから一口サイズのチョコをいくつか取り出すと、ハリーの手に乗せた。

「さぁ、これを食べて。今日はここまでにしておこう。」

「はい…」

ルーピンに渡されたチョコを口の中にほおると、ハリーは何を考えるでもなく教室の一角を見つめていた。
ふと、視界を横切ったルーピンのポケットからひらりと何かが落ちるのが見えた。

「先生、何か落としましたよ。」

ハリーが身を乗り出し、落ちた紙切れを拾い上げた。
ルーピンが落とした物は写真だった。
魔法界の写真の類はマグル界のそれとは異なり、中の人物が好きに動く。拾った写真の中の人物たち(おそらく4人ぐらい)は慌しく動いていて、ほとんどフレームアウトしていた。辛うじて顔が写っていた一人の青年は深い鳶色の髪をして、グリフィンドールの制服を着ていた。

「ああ、ありがとうハリー。」

「これ、ルーピン先生がホグワーツにいた頃の写真ですか?」

ハリーは写真をルーピンに返しながら尋ねたが、言い終わった後に少し後悔した。
最初の『守護霊の呪文』の練習のとき、昔の―――特にシリウス・ブラックの話題を、ルーピンは避けている事を知ったからだ。もしかしたら、知らないうちにまた触れてしまうかもしれない。
ハリーのそんな思いを表情から汲み取ったのか、ルーピンは「気にすることはない」と少し笑いかけた。

「ああ、そうだよ。
 …友人たちと一緒に取った写真でね。みんなじっとしないものだから、こんな写真になってしまったんだよ。」

写真をポケットにしまいながら、ルーピンはさしあたりない声でハリーに説明しながら、心の中ではホッとしていた。
ハリーが見た時は“彼”は腕しか写っていなかった。

「そうなんですか。
 ……あの、先生……一つだけ、聞いていいですか?」

「なんだい、ハリー?」

聞いてよいものかどうか、ハリーは少し迷ったが、この予想が当たっているのならば、ぜひルーピンに言いたい一言があったのだ。
意を決してハリーはルーピンを真っ直ぐに見ながら言葉を紡いだ。

「一昨年のホグワーツの学年末に、ハグリットが僕にアルバムをくれたんです。
 両親の写真がたくさん詰まっているアルバムを…
 ハグリットは、父さんたちの友人にふくろう便を飛ばして譲ってもらったって言っていたんです。
 だから、もしかしたら、ルーピン先生の所にも……」

「あ、ああ…来たよ。そうそう、あれは一昨年の事だったね。
 君のご両親の写真をいくつか送らせてもらったよ。」

ルーピンは不思議な表情で、ハリーに答えた。まるで、今にも溢れ出しそうな感情を無理して抑えているような…
少し気になったが、ハリーはそれに触れなかった。触れる前に、ハリーは何を置いても言いたかった言葉を口にしていた。

「そうだったんですか。あの…ルーピン先生、ありがとうございました!」

ハリーの思いがけない大声に、ルーピンは少し目を丸くした。
自分の声にハリーも驚いたのか、少し赤くなりながら続ける。

「あ、すみません、急に大声出して…
 でも僕、写真をくれた人にお礼を言いたいと思っていたんです。
 ずっと僕は父さんと母さんの思い出を持っていなかったので…だから、ありがとうございます。」

「そうか…どういたしまして、ハリー。
 あの写真を君が喜んでくれてわたしも嬉しいよ。」

ルーピンは少し屈んでハリーと目の高さを同じにしながら笑いかけた。
少し照れたように笑い返すハリーに、ルーピンはぽんっと軽く肩を叩いた。

「さぁ、もう遅いから寮に帰りなさい。今夜は特に冷える…風邪を引かないようにね。」

「はい。ルーピン先生、ありがとうございました。おやすみなさい。」

「おやすみ、ハリー。」

挨拶をして、ハリーは静かに教室を出ていった。
完全に周囲に人がいなくなった頃、ルーピンは長く息を吐きながらポケットにしまった写真を取り出した。
今度は、珍しく全員の顔が写っていた。よくよくみると、四人の青年のほかに、赤毛の女生徒もフレームの端にいた。
ルーピンは少し戸惑った、自嘲したように笑うと写真をポケットに大切に戻し、教室のランプを消して、マネ妖怪が入った箱を抱えて教室を後にした。




「…っ」

ルーピンの指に軽い痛みが走った。
水を飲み終えたチビふくろうが感謝の念を込めてルーピンの指を噛んだのだ。どうやら力の加減が出来ないらしい。
しかし、その痛みがルーピンの意識を戻すきっかけとなった。

(今のは……夢?
 変だなぁ、寝てもいないのに夢を見たなんて…)

不思議な顔つきで勝手に手のひらに納まってきたチビふくろうを軽く包んで居間へ戻ると、ちょうどシリウスが羽ペンを置いた所だった。

「書けたかい、シリウス?」

「ああ、とりあえずな。
 ……なぁ、そのふくろうはお前が飼っているのか?」

シリウスの質問にルーピンは首を横に振りながら返す。

「いや、ぼくじゃないよ。
 ホグワーツから戻ってきた時、ここにいたんだ。」

「じゃあ一つ相談なんだが…あのハリーの友達…ロンだったか?彼のペットがいなくなってしまっただろう。
 だから、代わりと言っては何だが、そいつをロンの新しいペットにできないだろうか。」

「そうだね、彼はふくろうを欲しがっていたみたいだから、ちょうどいいかも。
 君も、それでいい?」

手のひらでホーホー鳴いていたチビふくろうは羽をばたつかせて少し浮かび上がり、ルーピンとシリウスの間をぐるぐると飛び回った。どうやら、OKサインと見てよい様だ。

「じゃあ、それを書き加えて……
 ………………よし、出来た。」

追伸を書き終え、羊皮紙を丁寧に折ると、それを封筒に入れ、しっかりと封をする。
その上に送り主の名前を書き、まだ飛び回っていたチビふくろうを掴むと、その足にしっかりと手紙を結んだ。

「ほら、待望の手紙配達だ。
 しっかり頼んだぞ。
 …ぃっ」

手紙を任せれたのがよほど嬉しかったのか、チビふくろうはシリウスの指をカチカチカチッと噛むと、開いている窓からふらふらと、少し頼りなさげに風に乗って飛んでいった。
それを見送ったルーピンとシリウスだが、思わずシリウスは呟いてしまった。

「大丈夫か…?」

「大丈夫だよ。あんなにやる気が溢れてたじゃないか。
 きっと、無事にハリーのもとに飛んでいくよ。」

もう見えなくなった小さな配達ふくろうを案じる。
しばらく二人とも窓を眺めていたが、風に流されて床へ転がった一枚の写真が注意をそらした。

「リーマス、何か落ちてきたぞ。」

イスに座ったままシリウスがそれを拾い上げると、写真を見た瞬間笑いをこぼした。
シリウスが拾ったのは、ハリーが半年ほど前に拾った写真と同じものだった。今度はルーピンは手元に写真を戻そうとせずに、テーブルを挟んでシリウスの正面に座った。

「…懐かしいでしょ。」

弾んでいるわけではないが、暖かい声がルーピンの口から発せられる。
シリウスも暖かくどこか寂しい声で同意する。

「ああ。この写真、卒業の少し前に撮った写真だな。
 撮ろうするとジェームズがイキナリ魔法で不意打ちをかけてくるもんだから、つい応戦して…」

「それで、それが軽いケンカに発展して…シャッターが下りるときにはみんなバラバラの方向を向いていたんだよね。」

「そう言えばリーマス、お前は割と写真の整理とかマメにやってたな。
 今でもそうなのか?」

シリウスの何気ない話の流れに、ルーピンは先ほどのハリーの言葉を思い出した。
そして、静かに頭を振って少し重たい口を開く。

「いや、いま手元にある写真はそれだけだよ。残りは全部、ハリーに渡してしまった。」

「ハリーに?」

シリウスは怪訝そうに眉を寄せた。ルーピンは在職中にハリーに自分が父親の親友だったことを極力告げないようにしてきたのだ。
それがどういう経緯で?
その疑問は、続いたルーピンの補足で解決された。

「正確には、直接渡したのではなく、郵送したんだ。2年前にハグリットからふくろう便が来てね。
 両親の名前も顔も知らなかったハリーの為に、二人の写真が欲しいって…ね、だからそれを残して全部送ったんだ。」

「そうだったのか。
 …たしかに、あの子は両親のハッキリした“形”の思い出を何も持ってないんだよな…
 でも、何でこの写真を残したんだ?他にもたくさんあったんだろ。」

「だって、それが一番ぼくららしい写真じゃないか。」

そう言ってニッコリと笑う。だが、ルーピンの瞳は、シリウスにとって口からの言葉よりも雄弁であった。
一番、今までの人生の中で輝いている学生時代の思い出。
その一コマからたくさんの大切な想いを、思い出せるから。
だから、もう残すモノはそれだけでいい。

「…そうだな、たしかに俺達はいつもこんな感じだったな。」

思い出は、時に痛みを伴うもの。しかし、それ以上にセピアに褪せていく儚さと大切なモノが詰まったものである。
たとえ、それが今どんなに痛みの深いものでも、消そうと願うものではない。

「さぁ、そろそろ動かなきゃね。」

そう言って立ち上がったのはルーピンだった。

「とりあえず、カバンの中の荷物を整理しなきゃ。大した物はないけどね。
 シリウス、君はどうする?」

「今夜出発だから寝ておきたい…と言いたい所だが、横で片付けなんかされちゃ、気になって眠れん。
 手伝うさ。」

シリウスはそう言うと立ち上がり、その辺りに乱雑に置いてある古びた旅行用バッグを机の上にドンッと置いた。

「じゃあ、さっさとやるぞ。早く終わらせればそれだけ後が楽だ。」

「そうだね。じゃあ、シリウス。手伝いよろしく。」

カバンの中身の整理―――ただそれだけだったはずなのに、物を棚の中に閉まっているうちに、だんだん部屋のほこりなどが気になってきた。

「なんで、こうなるんだ…」

「まぁ…始めちゃったんだから仕方ないよね。」

気がついたら窓という窓を開け、腕まくりをして二人は額にうっすら汗を浮かべながら大掃除を始めていた。

そんな二人を尻目に、バックビークは変わらず木陰で安眠を貪っていた。



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