again〜つながり〜



 その日、大神は目覚ましが鳴る前に目を覚ました。
別にその事に関しては特記する事ではないが、起きた時間は特記するべきであろう。
何せ普段の起床時間より二時間も早かったのだから。

(まいったな…完全に眠気が覚めてしまった……
 二度寝もできないな。)

そのままぼんやりしているのも何なので、とりあえず着替えて身なりを整える。
それでも時間はたっぷりとある。

「うーん……よし、たまには朝の散歩でもしてみるか。」

自分の決断を声に出して、財布をポケットに入れると、大神は静かにドアを開けて外へ出た。


 やや朝靄が残る中を、大神はゆったりと足の向くままに歩いていた。

(もう、この巴里の街の風景も見慣れたけど…
 こうして時間帯が変わると、また違った感じがして面白いな。)

 そのまま足を水辺に架かる橋へと向ける事にした。
なんとなく、誰かに会えそうな気がしたからだ。





 人の第六感はなかなか侮れたものではない。
橋の上には、一人の女性が佇んでいる。全身を黒い服で包んだ女性。朝靄がまだ残るこの中でこの街に住む者が通りかかったら、ブルーメール家に住んでいる日本人と先入観で思うだろう。彼女はいつも黒い服を纏っているから。
しかし、それは間違いだとすぐに気づく。
スラリとした長身に、黒髪と正反対の輝きをみせる薄金の髪。この辺では見慣れない顔。
稀に通りかかる人も、見知らぬ彼女に声をかけようとはしなかった。
彼女の名はマリア・タチバナ―――帝都・東京から巴里華撃団強化の為の特別コーチとして昨日巴里の街についたばかりの帝国華撃団、花組の隊員である。
 マリアは、流れ行く河をただぼんやりと眺めていた。

(変わりゆく…全て
 河の流れも、街も、自然も……人も…変わってゆく
 …でも、信じてもいいかしら?
 変わらないものだってあると……)

すっと首の後ろに手を回し、服の下に隠していた金色の飾り気のないロケットを外し、中を開ける。

「隊長……」

一瞬今にも泣き出しそうな顔を表に出してしまった。
蓋を閉じ、あらためて強く握ろうとした時、手にうっすらとにじんでいた水分でロケットが滑り、手から離れ、橋の手すりを弾いた。

「あっ…!」

慌ててマリアはロケットを掴もうと手を伸ばす。
ロケットはマリアの伸ばした手を数ミリのところでかわし、落下をはじめる。
やたらと動きがゆっくりに感じられた。
瞬時にマリアはしゃがむと、手すりの柱の間からもう片方の手を伸ばし、間一髪ロケットの鎖をキャッチする。
 ほーーっと、長く息を漏らす。心臓が止まるかと思った。
取ったら取ったで今度は心臓が大きく波打った。

(まだ、鼓動がおさまらないわ…)

その時、マリアの目から大粒の涙が一つこぼれた。

(えっ?!あ、あら……どうして涙が……?)

二つ、三つ……ぽろぽろと落ちる水滴。
立ち上がり、ロケットを再び首にかける。そして、これ以上涙を流すまいと首を反らせ、青い空を見上げた。

(泣く理由なんてどこにも無いわ。
 ……不安になることなんて無いわ。
 大丈夫よ……大丈夫…
 ……………知らなかった事はたくさんあったわ。
 でも、それを新しく発見できたのだから……
 …泣く理由なんて…無いのよ。)

「……だって…………」

マリアの涙がようやく引き、今までの不安にピリオドを打とうとしたその時。橋の麓から昨日までは待ち遠しくて仕方がなかった声が聞こえた。

「マリア!マリアじゃないか!」

その声の人物を求め、振り返るとマリアは驚きの声を上げた。

「隊長…!?
 どうしたのですか?こんな朝早くに……」

「マリアこそ…朝の散歩かい?」

 言いながら、橋の上にいたマリアの隣りに立つ。
朝靄でハッキリしなかったお互いの顔がよく見える。

「ええ…なんだか早く目が覚めてしまって……
 せっかくですから、朝の巴里をちょっと歩いてみようと思いまして…」

「へぇ…奇遇だな、俺も早く目が覚めて散歩に出たんだよ。」

「まぁ……ではその偶然に感謝しなくてはなりませんね。
 こうして隊長に会えたのですから。」

「ははは…そうだな。俺もマリアに会えて嬉しいよ。」

大神の言葉に、マリアはほんの少し頬を染める。
先ほど一人でいたときの顔は微塵も見せずに微笑む。そして、そのまま言葉を続ける。

「隊長…改めて、お久しぶりです。」

「そうだね、昨日はあれからすぐに特訓に入っちゃったからね。
 改めて、久しぶりマリア。
 長旅で疲れてないかい?」

「お気遣いありがとうございます。私は大丈夫です。
 隊長こそ、こちらの激務でお疲れではありませんか?」

「ははっ…大丈夫だよ。体力には自信があるからね。
 でも、心配してくれてありがとう。」

 取り交わされる言葉。その全てが嬉しくて、微笑みを見せる。そのまま両の瞳を見つめる。
吸い込まれそうな黒い瞳。
目をそらせない翠の瞳。
二人の距離が少しずつ自然と縮まっていく―――

「おや?大神くんじゃないか。」

 橋の下からの声に、二人同時に肩を震わせる。
慌てて大神は橋の下を見ると、茶色のコートに同色の帽子を被った恰幅のいい男がいた。

「エ、エビヤン警部…!?!」

「朝の散歩かい?」

「え、えぇ…まぁ……
 エビヤン警部は朝の巡回ですか?」

飛び出しそうになる心臓を何とか抑えながら、会話を進める。
マリアは急に恥ずかしくなったのか。顔を俯かせている。

「ああ。こうした地道な巡回が、巴里の平和を守る第一歩だからね。
 …ときに、大神くん。隣りの女性は知り合いかね?」

「えっあ……」

ちらりとマリアを見ると、彼女は無理矢理頬の朱を引かせ、顔を上げて平然としていた。

「……ええ、この人はマリア・タチバナ。
 俺が帝都にいた頃、世話になった人です。
 マリア、巴里市警のエビヤン警部だよ。」

「はじめまして…エビヤン警部。マリア・タチバナです。」

「おお。こりゃどうも…こちらこそはじめまして。
 巴里市警のジム・エビヤンです。
 いやしかし…それにしても綺麗な方ですなぁ……大神くんも隅には置けないね。」

「エ、エビヤン警部!?な、何を……」

収まりかけた心臓がエビヤンの一言で再び飛び出しそうになり、声が裏返ってしまう大神。
マリアも、頬の朱が表に出てしまっていた。
かすかに残った朝靄がマリアの顔を隠しエビヤンからは良く見えなかったのは幸いか。

「ははは…いや、失敬失敬。
 ああ、では本官は巡回の途中なのでこの辺で失礼するよ。」

爽やかに去って行くエビヤンの背中をただ呆然と見送るしかない二人。

「……隊長…?」

「エビヤン警部にはまいったなぁ……」

困ったような顔をマリアに向ける。しかしその反面、声はそうではなかった。むしろ照れといった感じが強かった。
その顔と声にマリアは思わず苦笑いをこぼす。

(変わってない……この人は―――――)

マリアの心の中の不安が消えていく。
小さな、小さな―――でも、とてつもなく大きな不安が。

 異国の地に立ち、風に吹かれ、自分がそうだった様に大神も変わってしまうのではないかと。
が、実際に会い、話すうちにその不安はどんどんと小さくなり、今の瞬間消え去った。

この人は大きくなった。変わっていく―――けれど

(その瞳の光が変わらないように、私が大好きなあなたは変わらない。)

「?どうかしたのかい、マリア。」

「ふふっ…いえ、なんでもありません。隊長。」

「そうかい?
 あっ…と、もうこんな時間か。」

ちらりと見た腕時計の針を見て、大神が呟く。
針は朝食の時間を指していた。

「せっかく会えたんだから、マリア。朝食を一緒にどうだい?」

大神のブレックファーストの誘いにマリアは快く返事をした。

「はい、喜んで。」

再び瞳を合わせ互いに微笑むと、二人は並んでカフェへと歩き出した。






   こうしてまた会えたから、言葉はいらないの
   見交わす瞳会えない時をうつしてる

   季節は巡って途切れたストーリー
   またつながる。

   そして、歩き出す。遥かな未来へ。


               END

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