brioche con gelato
あなたがそう望んだから
太陽が容赦なく照りつける昼下がり。
梅雨入りを目前とした帝都は季節を飛び越した夏日となっていた。
「暑っいでーーす!」
食堂に飛び込んできた織姫の第一声にレニと紅蘭は目を丸くした。
「おかえり、織姫…取材お疲れさま。はい、これ。」
その様子から自分たちが食べるために用意していたものを分けるのが最適と判断したレニがガラス容器を差し出すと、織姫は額の汗をハンカチで丁寧に拭ってから笑顔で受け取った。
「ワォ!サンキューでーすレニ。かき氷とはナイスタイミングですね〜」
「紅蘭がかき氷機を作ったから、その試作なんだ。」
イチゴシロップと練乳をかけて、いざ口に運ぼうとした織姫の手がピタリと止まる。
「……爆発しないですか?」
「何でやねん!このかき氷機は改良版なんやで。前よりも氷が細かくふんわりと削れるようになったんや。さらに、ここをこうすると……」
気持ち機械から離れてかき氷を味わっていると、一部の部品が付け変えられてまた違うシルエットとなった。
「ほら、なんとアイスクリンまで作れるんやで!」
どうや!と胸を張る紅蘭に、織姫は離れていた顔を寄せて興味を示す。
「アイスクリン…じゃあジェラートも作れたりしますか?」
「せやな、ちょっと改良すれば大丈夫やで。」
「織姫、ジェラートが食べたいの?」
みぞれに仕上げた自身のかき氷を食べながら訊ねるレニに、織姫は人差し指を顎に当てて答える。
「もちろんわたしも食べたいですけどー…それ以上にパパに食べさせたいのでーす。実は……」
数時間前の出来事。
今日の取材は彼女の父親であり画家である緒方星也を交えてのものだった。
つつがなく取材を終えた帰り道、緒方とこう暑いとジェラートが食べたくなるという話になったのだ。
「……で、ジェラート屋さんに行ったんですけど臨時休業だったんでーす。」
「そら残念やったなぁ…」
「まったく、骨折り損のくびれ儲けでーす。」
「……くたびれ儲け。」
呟いたレニに一瞬織姫の動きが止まるが、すぐに笑いをかみ殺している紅蘭に強い視線を送る。
「とにかく!ジェラートが食べたいんでーす!」
「よっしゃ、わかった!すぐに改造するさかい、待っててな。」
瞳を輝かせながら立ち上がった紅蘭だったが
「それもコーンじゃなくてブリオッシュででーす!」
続いた言葉に動きが止まる。
「ブリオッシュ……通常のパンよりも卵やバターを多く使ったフランス由来のパン。イタリアでも好まれる。」
「イタリアではジェラートをブリオッシュで挟んで食べまーす。」
レニの説明に織姫が補足を入れる。
アイスやジェラートにはコーンという意識が強い紅蘭にはパンに挟むというのはピンと来なかったが、織姫はイタリア流を楽しみたいのだろうから腕を組んで頭をひねる。
「うーん…ほんなら、由里に聞いてまひょか。ブリオッシュのあるパン屋を知ってるかもしれへん。」
「うーん…あたしの情報網でも無いわねぇ…悔しいけど、ごめんなさい。」
心底不本意だと眉を寄せる由里の返答に、三人は程度は違うが困った表情を浮かべた。
「あちゃあ〜…由里でも知らんか。」
「いきなりアンコウに乗り上げたでーす!」
「……それを言うなら暗礁。」
「あ!でもマリアさんなら知ってるかも!この前図書室でパンの本を借りてるのを見たわ。最近パン作りに凝ってるんですって。」
レニの言葉に反応するよりも早く響いた追加情報に織姫と紅蘭は素早く方向転換をした。
「由里、おおきに!」
「マリアさん、今日はオフですからさっそく聞いてみまーす。レニ、行くですよ!」
一歩遅れたレニの手を取った織姫を先頭に、一分一秒が惜しい足取りでマリアの部屋を訪ねる。
幸いなことにマリアは自室で読書をしていたので、すぐに話は通った。
事情を把握したマリアは由里が話していたパンの本からブリオッシュのレシピを広げて頷いた。
「そうね、このパンなら帝劇にある材料でできそうだし…作ってみましょうか。今から作れば本格的に日が傾く前に完成するわ。織姫、手伝ってね。」
「そーですね、言い出しっぺはわたしですから、了解で〜す。」
手が増えればそれだけ多くの事ができる。
素直に返事をした織姫に続いて紅蘭が口を開いた。
「ほんなら、ウチはあの機械をちょちょいといじってジェラートを作りますわ。レニ、手伝ってくれるか?」
乗りかかった船だとレニも首肯する。
部屋を出て前を歩くマリアと織姫後ろで、さらに紅蘭はレニに耳打ちをする。
(あ、そうや…あれも仕上げんとな。こんなこともあろうかと作っといてよかったわ。)
(うん、そうだね。)
その後、しばらく厨房には休日なのにとても賑やかな時が流れた。
その間に、一度だけ爆発音が響いたが当事者一名が黒こげになっただけで大事には至らなかった。
真っ青だった空にわずかに黄味が加わり、影が長くなる。
自宅である長屋の二階から帝都の風景をスケッチしていた緒方はふと手を止めて空を見上げた。
今日はここまでにしておこうか。
パタンとスケッチブックを閉じると同時に、玄関の戸が勢いよく開く音が二階まで響いた。
「パパ、おじゃまするでーす!」
そしてよく通る愛娘の声に緒方はすぐに一階へと向かった。
「織姫、どうしたんだい?」
「パパにいいものを持ってきたでーす。」
ニコニコと上機嫌な織姫は家に上がると持っていた手提げのチャックを開けて中身をちゃぶ台に広げた。
「これは…!」
その中身に緒方が驚きの声を上げた。
その表情に嬉しさが滲んでいるのを読み取った織姫は自身も満足げに微笑んだ。
「……それにしても、よくあの短時間で出来たわね。」
その同時刻、帝劇の食堂で焼きたてのブリオッシュとできたてのミルクジェラートを真ん中にアフタヌーンティーを楽しんでいたマリアは向かいに座っている紅蘭とレニに感心の言葉を向けた。
「へへっ…完成したら緒方はんにも食べさせたいって織姫はんなら考えるやろな〜て思うてな。それやったら運ぶ物も必要やて思ったんや。」
頬のところに残った焦げを拭いながら照れ笑いを浮かべる紅蘭に、レニも表情を和らげる。
「ちょうど光武の冷却素材を応用した保冷方法を考えてたんだ。短時間なら、中身の温度は変わらない。」
「名付けて、冷え冷えくん一号や!」
「パパが食べたいって言ったから、みんなに協力してもらってがんばったでーす!」
あらかじめ切り込みを入れておいたブリオッシュにたっぷりとジェラートを挟んで、誇らしげに緒方に手渡すと、緒方はそれをしばらく見つめていた。
「懐かしいな…初めてママとデートしたときに食べたのがこれなんだよ。ありがとう、織姫。」
続いて自身の分も完成させた織姫にしみじみと告げると、緒方は思い出の味を頬張った。
「美味しいよ、織姫。皆さんにもお礼を言っておいてくれ。」
「うふふ…わかりましたー」
笑顔の下で、織姫は心から自分の幸福に感謝した。
こうしてすぐに会える距離に父親がいて、突然の我儘だったのにも関わらず付き合ってくれる仲間がいる。そして
「すみません、緒方さんはご在宅で……あれ、織姫くんじゃないか。」
「中尉さーん!」
半分ほど開けておいた戸から聞こえた声に、織姫は思考を中断して驚きの声を上げた。
「中尉さん、パパに会いに来たですか?」
「ああ、ちょっと近くを通りがかったから。」
「わざわざありがとうございます。そうだ、よかったら大神さんも食べませんか?」
「何をですか?」
勧められるまま二人が座っていたちゃぶ台に大神も加わると、返事を聞く前に織姫がブリオッシュ・コン・ジェラートを差し出した。
「ジェラートでーす!イタリアではブリオッシュに挟んで食べるんでーす。」
「へぇ…おいしそうだね。いただきます。」
そして、好きな人がいてくれる。日々は駆け足で過ぎ行くが、なんて幸せなのだろう。
頬張る大神の横顔を見つめながら、織姫は先ほどの思考を再開した。
「おいしかったよ、織姫くん。」
「グラッチェ!でも、あれはみんなで協力して作ったものですからおいしいのはもちろんなのでーす。」
「ははは…じゃあ帰ったらみんなにもちゃんと言わないとな。」
帝劇への帰り道。並んで歩く二人の影を作るのは日の光ではなく街の灯となっていたが、空はまだまだ明るい。
「この時間だと風が気持ちいいですね〜梅雨はジメジメしてユーウツですけど…」
もうすぐ夏がやって来る。心躍る眩しい季節。
「中尉さん、今年の夏も楽しく過ごしましょうね!」
そんな夏を思う織姫の笑顔に、大神は優しく頷いた。
あなたがそう望むなら
END
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