Dear〜心の絆〜
秋も徐々に深まってきた昼下がりの銀座・大帝国劇場。
先週までの公演も無事終わり、現在は次回公演に向けての準備期間に入ったばかりということで劇場内にお客さんの人影を見ることはない。
また、今日は稽古が休みになっている為にいつもは舞台から聞こえてくる花組の声も無く、劇場内は静けさに包まれていた。
そんな中、事務局で一人の女性が何か本の様な物を読んでいる。
女性の名は『藤井かすみ』。
この大帝国劇場の事務局で受付嬢をしている彼女は、同じく事務局で受付嬢の『榊原由里』、売店の売り子を務める『高村椿』と共にいつの頃からか“帝劇三人娘”と呼ばれるようになっており、その柔らかな物腰や落ち着いた雰囲気等から由里や椿、また花組や帝劇に足を運ぶお客さん達のいわゆるお姉さん的存在でもあった。
ふと、かすみの手が止まった。
ある一頁を見続けたままとても穏やかに微笑んでいる。
かすみが読んでいたのは、彼女が就けている日記であった。
その頁の日付は「四月十四日」――――――――そう、かすみの誕生日である。
(もう半年も経つのね……。そういえばあの日もちょうど今日みたいな感じで…………)
「ねえねえかすみさん、今日も事務の仕事は特別無いし、お客さんだって次回公演について聞きに来る人がいるかいないかぐらいでしょ?」
お昼を済ませた後、突然由里がかすみにこう尋ねてきた。
「え?ええ、それはそうでしょうけど。」
かすみが戸惑いながら答えると由里は、
「じゃあちょっと席外しますね。」
とだけ言い、あっという間に事務局から出て行ってしまった。
「あ、ちょっと由里!………………もう、一体どうしたのかしら?」
かすみはまた何か由里が興味を引かれる噂話を耳にでもしたのかと思った。
由里は興味深い情報や噂話を耳にすると、すぐにそれについて知りたくなってしまうという悪い癖(?)があったからだ。
良く言えば『好奇心旺盛』。悪く言えば『ミーハー』。
由里の長所兼短所のこの部分にはかすみも気苦労が絶えないらしい…………。
「……まあ、またいつもの様に調べ終われば戻ってくるわね。」
溜息雑じりに呟いたかすみの言葉は、まだ由里がしている事に気付いていないことを物語っていた。
「ふう……。」
由里は一息ついた。
事務局からここまで走って来た為、すっかり息が弾んでしまっている。
ただ、今やっている事をかすみに悟られる訳にはいかなかったし、何よりももうあまり時間が無い。
「やっぱりもう少し早く準備し始めた方が良かったかなあ……?」
由里は焦燥感から後悔にも似た思いを抱いたが、
「……でも、とにかくやるしかないわ!!」
と、気合いを入れ直し再び走り出した。
二日前の四月十二日。
この日、由里は一大決心をした。
その日の帰りには椿を夕食に誘いこの計画を打ち明けようと考えていたから、帰り際にかすみから、
「久し振りに三人で夕食を食べに行きましょうか?」
と、言われた時にはちょっと困ってしまった。
普段なら喜んで誘いに乗るのだが、もう明後日がかすみの誕生日ということを考えるとやはり今日中には椿にも相談しておきたかったからだ。
さすがに本人の居る前で相談を始めるわけにもいかないので、由里は頭をフル回転させ極力怪しまれないようにあれこれ考えながら答えて、どうにかこの誘いを断ることに成功した。
尤もかすみは無理強いをするような人ではないのだから、そんなに必死になることもなかったのだろうが…………。
「椿分かった?」
「はい!私も喜んでお手伝いします。だってかすみさんの誕生日パ…………」
「シッ!!」
由里は唇に人差し指を当てる格好をして椿の言葉を遮った。
「……?」
いきなりの事に椿は目を丸くしながら由里の顔を覗き込んでいる。
…………まあ、いきなりこんなことされたのではそうなるのも無理はないだろう。
「『壁に耳あり障子に目あり』じゃないけど、あまりこういう場所で口に出すのは止めておきましょ。」
そう、ここは煉瓦亭なのだ。
帝劇からそんなに遠く離れている訳でもなく、味も良いし値段も手ごろ。
そして何より、とても雰囲気の良いということで由里達三人娘が良く利用している。
お店のマスタアや従業員の人達とも顔馴染ということで、由里は「もしここで話している事が聞こえでもしていたら折角内緒で準備しようとしている私達の努力は泡の様に消えてしまいかねない…………」と考えたのかもしれない。
……ならば、何故わざわざ煉瓦亭で相談をしているのか…………?
「…………やっぱり夕食の時には有り難いお店なのよね。」
きっと由里はこう答えるのだろう…………。
「当日までは出来るだけ秘密にしておきたいじゃない。」
「ふふ、分かりました。…………でもちょうど準備期間に入ったばかりで良かったですね。」
「そうよねぇ……。普段だったら前々から準備する余裕なんてなかなか無いもんね。」
そう、実はちょうど三日前に今回の公演の千秋楽を迎えたばかりなのである。
また、今回は長期間に渡っての公演だったということで次の公演までにはかなりのゆとりが持たれている。
花組の面々は今週一杯完全休養に充てられており稽古等も休みだし、由里達も昨日までで今回の公演の後処理も終わり、今日から二、三日は普段に比べればごく簡単な作業だけしかないという訳だ。
(尤もこうやって準備する時間を作るために私でも驚くぐらいの量の書類を片付けたんだけどね…………、好きなお喋りを我慢して)
「ホント追い込まれたときの底力って凄いわね……。」
「え?由里さん何か言いました?」
椿に言われ、思わず口に出していたことに気付いた由里は苦笑して
「ん、気にしないで。」
と言い、話を本題に戻した。
「それより折角こうして色々用意する時間があるんだから生かさなきゃ。」
「そうですね。それで由里さん、具体的にはどうするんですか?」
「椿にやって欲しいのは…………」
翌十三日は汗ばむ程の陽気だった。
実質的にはこの日一日で準備の目処をつけておかなければならなかったので、由里は「今日は椿から一緒に売店の整理をして欲しいと頼まれている」という理由を付け、どうにか事務局、いやかすみの前から抜け出すことに成功した。
そして、由里と椿はそれぞれ分担して準備を進めていった。
まず由里は、様々な店を見て回り明日の場所を考えていた。
由里にしてみれば、やはり年に一度しかない記念日ということで、折角なら行きつけである煉瓦亭ではなくかすみが行ったことも無いような所に招待したかったのだろう。
しかし…………、「由里達の予算で招待できてなお且つ雰囲気も良く料理のレベルも高い店を探す」というのは、由里自身探し始める前からかなりの難題であることは解っていた。
料理が良く、雰囲気も良さそうな店というのは大抵が値段もそれに見合ったものを請求されるし、かと言って予算内で考えてしまえばどうしても要求する感じの店は見つからない…………。
「やっぱり簡単には見つからないか…………」
現実の厳しさを目の当りにしつつも由里は再び店を回り始めた。
…………そうしてどれほどの時間が経っただろう。
元々情報にはうるさい由里である。
当然お洒落な店などについてもかなりの情報を得てはいたが、やはり情報の世界と実際に見てみるのとではかなりの違いがあった。
事前にリストアップしておいた店を全て回り、その途中で見つけた店にも行ってみたが、それでも条件に合うものは見つからなかった…………。
さすがに困り果てた由里がしばらくの間街角で立ち尽くしていると、不意に背後から聞き慣れた声で呼び掛けられた。
「あ〜〜〜、由里だ!」
「あら、由里さんじゃありませんこと?こんな所で奇遇ですわね。」
由里に声を掛けてきたのは、帝国歌劇団・花組の“トップスタア”である『神崎すみれ』と綺麗なブロンドとその愛くるしい表情が目を引く『アイリス』の2人であった。
「あっ、すみれさんにアイリス。お二人こそこんな所でどうしたんですか?」
「今日はアイリスとお出掛けしまして、その帰りですわ。」
「そう言えば花組の皆さんは今週一杯はお休みなんでしたね。」
「今日はすみれとい〜〜〜っぱいお買い物したんだよ!」
「うふふ、良かったわねアイリス。」
「……ところで、ここで何をしていらしたんですの?」
「あ、え〜っと…………」
由里は少し考えてから、
「夕食を食べられるお洒落なお店を探しているんですけど、すみれさんこの辺りで良いお店知りませんか?」
と、明日の為のお店を探していることだけ伝えた。
「この辺りで……ですか?そうですわね……まず和食であれば…………」
すみれは即座に次々と店の名前を挙げていった。
しかし、そこに挙げられたのは………………全て“超”が付くほどの一流店で、とてもではないが由里達には招待できるような店ではなかった。
「……あ、あの……すみれさん…………」
「どうか致しましたか?」
「え、ええ……。とても有名なお店ばかりなので私も知っているのですけど…………」
「やはり由里さんには少し敷居が高すぎましたかしら?」
「…………はい。申し訳ないんですけど…………」
「しかし、それですと私からはアドバイスを差し上げられませんわね……。」
由里は益々困ってしまった。
すみれに聞いた以上ある程度こういう答えが返ってくるのは予想できたが、まさかここまでその通りとは…………。
と、その時アイリスが聞いてきた。
「何で急にそういうお店探してるの?」
…………尤もな疑問である。
「……それもそうですわね。こんな時間にわざわざ一人で探しているということは何か理由が御ありのようですわね?」
すみれも、アイリスの言葉に冷静に考えてみた。
「由里さん?」
「は、はい……。」
「お店を探していらっしゃる理由をお聞かせ願えないかしら?」
落ち着いた口調ではあるが、その中に相手を平伏せさせるような力の籠った言葉だった。
…………この辺りは、「さすが花組のトップスタア」と感心させられてしまう。
由里は本当の事を言おうか言うまいか迷った。
(出来れば秘密にしておきたかったんだけど…………。でも、すみれさんもアイリスも勘が鋭いし、ここで下手に嘘でもついて後々大変な事になったら…………)
…………結局、由里は明日のかすみの誕生日パーティーの事を話し始める以外に無かった……。
「かすみさんの御誕生日パーティーをやるのですか……。」
「そう言えばかすみお姉ちゃんのお誕生日明日だ……。」
実は、すみれもアイリスもかすみとはとても仲が良いのである。
すみれは、以前にかすみと(普段カンナとやっているそれとは比較にならないぐらいの)大喧嘩(口論)をし、それをきっかけに仲良くなった。
アイリスは、かすみのことを「かすみお姉ちゃん」と呼ぶほど懐いており、本当の姉のように慕っていた。
…………そんな二人である。
理由を聞いたからには、当然首を突っ込まない訳が無い。
しかし、すみれが知っている店はさっきも挙げたとおりの“超”一流店ばかりで到底無理だったし、由里がリストアップしておいた店も全て回ってしまった。
一度すみれが、
「……でしたら私が御金の方はお支払いいたしますけれど。」
と言ってくれたが、由里はそれだけは譲れなかった。
「どうしても私達でかすみさんを招待したいんです。……普段からかすみさんには色々とお世話になっているし、ご迷惑もお掛けしているでしょうから…………。だから、明日はせめてもの恩返しがしたいんです。」
由里の想いの強さに、さすがのすみれもそれ以上は何も言えなくなってしまった。
しかし、そうなるとまた一向に話が進展しないままである…………。
由里はさすがにこれ以上二人を引き止めるわけにもいかないと考え、この辺りで一度帝劇に帰ろうかと思い、
「それじゃあ……」
と、言いかけた………………その時である。
「あ〜〜〜!アイリス良い場所知ってるよ〜!!」
アイリスが何かを思い出したかのように口を開いた。
「えっ!?」
「アイリス本当ですの?」
由里とすみれが一斉に振り向いた。
「うふふふふ〜。あのね〜…………」
由里とすみれに耳打ちするような格好で、アイリスがひそひそ話し始めた……。
一方椿は、昨夜由里に言われた「バースデーケーキ」を探しに行っていた。
由里が何かの情報で仕入れたケーキ屋で、見た目も華やかで味も確か……………………らしい。
実は由里はそのケーキ屋のケーキを食べたことが無いらしく、昨夜椿に、
「椿にやって欲しいのは、そのケーキ屋に行って実際に食べてきて欲しいの。それで、美味しかったらそのままお店の人に予約を頼んでおいて。」
と頼んだのだ。
「分かりました。でも、もし美味しくなかったらどうすればいいんですか?」
椿にしてみれば当然の質問である。
ところが由里は…………、
「大丈夫!きっと美味しいから。だって確かな情報ですもの。」
…………如何にも由里らしい答えというか。
椿は一抹の不安を掻き消すように、
「美味しいお店でありますように…………」
と、願いにも似た思いを抱きつつそのケーキ屋へ向かっていった。
そして日も傾きかけた頃…………。
昼にすみれ達と一旦別れた由里は、椿からケーキの話を聞き、明日の準備のスケジュールを考えた後すみれ、アイリスに声を掛けすみれの部屋に集まった。
すみれの部屋に集まった理由は、
「さすがにかすみさんもすみれさんの部屋に居るとは思わないでしょうし。」
……かすみもさすがにそうは思わないだろうが…………。
また、椿は売店で簡単な整理をしながらかすみが来たときの為に備えていた。
「念には念を入れておかないと……。もしかすみさんが来たら『買い出しに行ってる』って言っておいてね。
これも由里の考えであった。
…………ホントこういう時は頭が働くというか。
「それじゃあ明日の段取りを確認しながら、最終調整をしていきますね。」
由里が話し始めた。
「椿の話だとケーキの方は大丈夫らしいので、それは明日行く前にお店に寄って取ってきます。」
「ケーキどんなのかなあ?」
“ケーキ”という単語を耳にした途端アイリスの瞳がパアッと輝いた。
「全く、『ケーキ』と聞いただけでこんなようではアイリスもまだまだ子供ですわね。」
すみれがすかさず突っ込みを入れたが、アイリスはすっかり妄想の中に入ってしまっておりすみれの声など聞こえてなかったようだ……。
「うふふ。アイリス明日になれば分かるから、それまで楽しみに待っててね。」
アイリスをこちら(?)に呼び戻し、
「それから、場所はさっきアイリスに教えてもらったあそこで……。」
由里は話を続けた。
「そうですわね。あそこでしたら今の季節にもぴったりですし、きっとかすみさんも喜んでくれますわね。」
「本当そうですよね。アイリスには感謝しないと……。」
「えへへ〜、アイリス凄いでしょ!」
アイリスは満面の笑みを浮かべて喜んでいる。
「かすみお姉ちゃんにい〜〜〜っぱい楽しんでもらうんだから!!」
「それで、私達はさすがにずっと帝劇を空けるわけにはいかないので、すみれさん達にお願いしてしまうんですけど……。」
「気にしなくても良いですわよ。私達も御手伝いをしたいのですから、それぐらいはどうってことありませんわ。」
「そうだよ〜!アイリス達がきちんと取っておいてあげるから心配しないで、早くかすみお姉ちゃん連れてきてね〜!!」
「すみれさん、アイリス本当にありがとうございます。もしお二人がいなかったら…………」
「……由里さん、もう野暮なことは言わずに…………。とにかく明日は素晴らしいパーティーに致しましょう。」
「明日も良い天気になりますように〜〜〜!」
すみれ達の協力もあり、どうにか無事かすみの誕生日を迎えられることに由里は胸を撫で下ろしていた。
結局、由里が事務局に戻ってきたのはもう終業時間という時だった。
由里はお昼に事務局を出た後、一度すみれ達の所へ状況を確認しに行き、その後パーティーの為の飲食料の買い出しに行き、それから昨日予約しておいたケーキを引き取りに行ったりと最終準備に取り掛かっていたからである。
「由里、あなたこんな時間まで一体何処で何をしていたの?」
さすがのかすみも由里の行動には疑問を持ったようだ。
しかし由里はかすみの質問に答えず
「かすみさん、この後付き合って下さいね!」
と言った。
「え?それはまあ構わないけれど……。…………だから由里、あなた一体何を…………」
「それはもうすぐ分かりますって!」
「え……?」
まだかすみには由里の言動の真意が掴めなかった。
そして、終業時間を告げる鐘の音が響くと…………、
「さあ!かすみさん行きますよ!!」
「え、ええ。でも何処に…………」
「それは着いてからのお楽しみです!」
由里に引かれるようにしてかすみは事務局を後にした。
「椿、準備は良い?」
事務局を出た後、かすみ達は椿と合流し帝劇を出た。
「椿、これから何処に行くのかあなたは知ってるの?」
「ええ!でもかすみさんには…………」
「はいはい、椿余計な事言わないの!……かすみさんもうすぐですから心配しないで着いて来て下さい。」
「『心配しないで……』って言われても……。」
かすみは不安げな表情のまま由里達に着いて行かざるをえなかった…………。
そして、かすみが訳も分からぬまま連れて行かれた場所は――――――――上野公園だった。
そう、この季節上野公園は満開の桜に包まれて、一年で一番綺麗な色を見せる。
そして、夜は昼以上に幻想的な景色を楽しむことが出来るのだ。
「あ〜〜〜やっと来たあ!」
「随分とごゆっくりの登場ですわね。」
由里達がかすみを連れてきたのを見て、すみれとアイリスが待ち侘びた様に近寄ってきた。
「……すみれさんにアイリス?由里、あなた達一体何を…………?」
「まだ分からないんですか?」
「え?」
「今日はかすみさんの誕生日じゃないですか!」
「……あっ…………。」
由里に言われてようやくかすみは今日、四月十四日が自分の誕生日であることを思い出した。
「由里さんから一昨日の夜に『私達日頃からかすみさんにお世話になっているから、今年はそのお礼がしたい』って言われて、こうして誕生日パーティーの準備をしてたんです。」
「初めは椿と二人でやろうと思ってたんですけど、すみれさん達にも協力をしてもらっちゃって……。」
「かすみさんの御誕生日という事で、私達も御手伝いさせて頂きましたわ。」
「アイリスもかすみお姉ちゃんのために頑張ったんだよ〜!」
「…………由里…椿…すみれさん…アイリス…………」
「だから昨日今日と『またかすみさんに迷惑掛けちゃうな〜』と思ったんですけど、色々準備したかったから事務局抜け出して……。」
「誕生日ですからケーキも用意したんですよ!」
「私達はアイリスの提案で、上野公園で場所を確保しておいたのですわ。」
「前にもみんなでお花見したから覚えてたんだ〜!!」
「…………みん……な…………」
「かすみさんお誕生日おめでとうございます!」
「かすみさんおめでとう!」
「かすみさんおめでとうですわ!」
「かすみお姉ちゃんオメデト〜!」
「………………」
「…………かすみさん?」
…………気付くと、かすみの頬を一雫の涙が伝わっていた。
かすみはとても嬉しかった。
もちろんこうしてパーティーを用意してくれたこともそうだが、由里と椿は「日頃からお世話になっているそのお礼がしたい」と言い、花組であるすみれやアイリスは先日まで舞台をこなし、今は僅かな休養期間にもかかわらず手伝ってくれた…………。
…………何よりその気持ちが温かかった。
一度溢れ出した涙は止まることなく流れ続けた…………。
そして、かすみはこの涙を止めたくなかった…………。
こんなに心地良い涙は初めてだった…………。
こんな事を言った人がいる……。
『涙は哀しいときにではなく嬉しいときにこそ流すものだ…………。頬を伝わるその熱い雫は心に満ち溢れている温かい想いの結晶なんだ…………。』と。
…………今、かすみの頬を伝わる涙は間違いなくそうなのだ。
由里達の想いが、どこまでも響き渡る鐘の音のようにかすみの心を満たしているのだ。
「由里…………椿…………すみれ…さん…………アイ…リス…………、私の為に……本当に……ありが……とう…………。こんな……事…しか……言えない……けど…………」
かすみはそれだけ言うのが精一杯だった。
でも、由里達には解っていた。
かすみが、本当は言葉では到底表すことの出来ない想いを抱いていることを…………。
「……さあ、いつまでもここに立っていないで、そろそろ始めると致しましょうか。」
「かすみお姉ちゃんこっちだよ!」
すみれが促し、アイリスがかすみと手を繋いで歩き始めた。
すみれとアイリスがかすみを連れて行くのを見ながら、椿は由里に囁くように声を掛けた。
「由里さん良かったですね…………。」
「ん、そうね……。かすみさんとても喜んでくれたみたいだし…………。」
「……由里さんもちょっと涙ぐんでますよ。」
「えっ!?そんなことないわよ。…………もう椿ったら!」
「ふふふ。素直じゃないですね、由里さん。」
「何言ってるの。……さあ私達も行きましょうか。」
「はい。」
…………そしてこの夜、かすみは一生の思い出に残るような楽しい時間を過ごしたのである。
(みんな、本当にありがとう…………)
「かすみさん、何読んでるんですか?」
「『心焉に在らず』って感じでしたよ?」
気が付くと由里と椿が傍に立っていた。
「!?…………二人ともいつから居たの?」
「いえ、今戻ってきたばかりですけど?」
「そ、そう…………。じゃ、じゃあ椿もいることだし、お、お茶にでもしましょうか……?」
あの日の事を思い出していたかすみは、二人の顔を見た途端嬉しいような恥ずかしいような気持ちが込み上げてきた……。
しかしそれを悟られぬよういつもの口調で言った……………………つもりだったが、
「…………かすみさん何か怪しいですね?」
「何か隠してませんか?」
…………さすがは由里と椿、かすみの僅かな違いも見逃さない。
「えっ…………?そんなこと、ない…わよ…………。」かすみはどうにか平静を保って話そうとしたが、到底今の心境では無理だった。それを見た由里の疑心は確信に変わり……、「ん〜〜〜?……その本が怪しいですね。椿!かすみさんの手からその本を取るのよ!!」
「はい!」
「あっ、こら由里、椿止めなさいって。」
「慌てるところが益々怪しいですよ、かすみさん。」
…………いつの頃からか“帝劇三人娘”と呼ばれ始めたかすみ・由里・椿。
けれど訳も無くそう呼ばれているのではなかった。
花組のメンバーがお互いを想い合うように、彼女達もまた、心の中は強い絆で結ばれているのだ…………。
……それこそが彼女達が“三人娘”と呼ばれる本当の理由なのかもしれない…………。
――――そして今日も、帝劇を影から支える彼女達の姿を劇場内で目にする事が出来る……。
〜終〜
【後書き(解説?)】
最後までお読み頂きありがとうございました。
まず、これはきちんと「太正○○年」と設定している訳ではないので、サクラの世界の中でのパラレルストーリーとして解釈して頂けたら幸いです。
「初のSSは、やっぱりかすみさんをメインに何か書きたいなあ」と思って書き始めましたが、このお話はむしろ由里を軸に話が進んでおり、ゲーム等の設定で言えば「主人公=由里・ヒロイン=かすみさん」に違いありません
今回は時間(時代)軸等が無いので、とにかくキャラの雰囲気だけは壊さないように気を付けて、その上で、普段はほとんど見せることのない部分を(自分なりに膨らませて)描いたつもりです。
『1』の八話で大神に対してすみれの事を言った場面のように“由里の思いやり”や、タイトルにもあるように、かすみさん・由里・椿ちゃんの“心の絆”などが読んで下さった方に少しでも伝われば嬉しい限りです。
まだ書いてみたいと思っている話がいくつかあるので、また近い内にお目見えしたいと思ってます。(……「楽しみにしている」という方が居て下さるととても嬉しいです(照))
読んで下さった方、本当にありがとうございました!(礼)
頂き物TOPへ戻る