ゲームセット&スタート



 学生アンケートなどで楽しみな時間に「昼休み」を上げる生徒は多い。それは授業で区切られた学校生活の中でそれぞれ思い思いに過ごせる時間だからではなかろうかと思う。ここ氷帝学園とて例外ではない。
中庭でお喋りを楽しむ者、先生の通達を受けて慌しく動く者、食事を楽しむ者、一人睡眠を貪る者、そして探し人を求める者と様々だ。

「ホントに…宍戸さん何処にいるんだろう?」

一階の連絡通路でそう呟いたのは探し人を求める者―――優しい顔立ちの長身の学生だった。昼食を早々に食べ終えた彼は同じ部活の先輩である宍戸を探して校内を彷徨っていた。

「教室にはいなかったし…宍戸さんが行きそうな所はさっきので全部だし……」

困った顔で連絡通路の柱の一本に背中を預ける。すると、各部室が連なる別棟から球がはじける音がかすかに聞こえてきた。
なんとなく、そちらに気が行った彼は足に軽く力を入れて別棟の方角へ歩き出した。



別棟の一室――ビリヤード台が二つほど安置された部屋に4人の男子生徒がゲームに興じていた。その中の一人、背中まで伸びた髪を後ろで束ねた男子がナインボールをポケットに落とした。審判を勤めていた一人の生徒がゲームセットを知らせる。

「ナインボール・イン。ウィナー宍戸。」

「ちぇー…また宍戸の勝ちかよ〜」

キューを持ったまま悔しがるクラスメイトに勝者である宍戸は一言だけ返した。

「激ダサだな。ビリヤード同好会のお前がテニス部の俺にそんなに負けてどうするんだよ。」

「はは、手厳しいな。」

容赦ない言葉に対戦者の生徒は苦笑いを浮かべたが、それは長く続かず、すぐに瞳を輝かせながら宍戸の前に人差し指を立てた。

「な!もう一回やろうぜ!!」

「そうだな……」

誘いを受けた宍戸は、ちらりと窓の外を見た。

「いや、今日はもう止めておくぜ。」

「ちぇ、勝ち逃げかよ〜」

「悪ぃな。じゃ、またな。」

キューを所定の位置へと戻した宍戸は後ろ手でクラスメイトに挨拶をするとドアノブを捻り、外へ出て既に別棟から離れつつあった人物を追いかけた。
宍戸が彼に追いついたのはそれから間もなくだった。

「よぉ、なにやってるんだこんなところで。」

背中から急に声をかけられた鳳は驚いて勢いよく振り向いた。まさか探し人の方から現れてくれるとは。

「あ、宍戸さん!なにって、宍戸さんを探してたんですよ。」

「俺を?」

「はい。あの、今日の部活の後の話を確認したくて…
 練習コートは、あの施設でいいんですよね?」

「ああ。あそこはナイター設備もあるからな。
 部活の後からでも充分間に合うぜ。」

強い意思の瞳に、鳳表情がほんの少し曇った。

「…本当に、やるんですか?」

「…別に嫌なら無理に付き合わなくていいぜ。」

突き放つように言い放った宍戸に、鳳は慌てて自分の発言に補足を入れる。

「いえ、違います!そうじゃなくて…本気なんですか?」

氷帝テニス部の練習はハードである。それは監督の実力主義を反映してだが、あまりの練習メニューにその後に自主トレを重ねられるメンバーはごくごく少数である。
鳳はここの所宍戸が部活の影で他の部員の、ゆうに二倍の練習を積んでいるのを知っていた。そこに先日宍戸はさらにトレーニングを重ねようと言ったのだ。
それではいくら宍戸でも身体が持たない―――そう危機感が巡った鳳は、止める権利が無いとわかっていつつも、つい口を開いてしまったのだ。

「……ああ。たのむぜ、長太郎。
 俺のことは心配するな。体調管理が出来ないほど間抜けじゃねぇよ。」

その補足の言葉と表情から自分を心から心配してくれた後輩の意図を汲み取った宍戸は、先ほどとは変わり、落ち着いた口調で言葉を繋いだ。

「俺は必ず正レギュラーに復帰してみせるぜ。そのために自分の限界に挑戦してぇんだよ。」

「宍戸さん…!」

揺るぎない決意―――それは人を何倍にも強くする―――鳳の頭に、もう宍戸を止めようとする意識は無かった。それに代わって、この人の決意を叶えるために、自分に出来る最大の力で手伝いたい。その思いが鳳の中を巡っていた。
見えない絆が二人を繋いだ時、校内のいたるところにあるスピーカーから規則的な電子音が響いた。

「っと、予鈴だな。じゃあ、また部活でな。」

「はい!」

それを合図にお互いに目をくばせ、それぞれの教室へ歩み始めた。
遠ざかる鳳の足音を背中で聞きながら、宍戸はあの不動峰校の試合を思い出した。
圧倒的な力。それを越えられなかった自分。そして敗北により追われた場所―――全てはあのゲームセットから始まってしまった。

「けど―――あのゲームセットは終わりじゃねぇ。ただの通過点だ。
 俺は超えてやる…必ずな!
 長太郎、お前と肩を並べて奴らと戦えるようにな。」

越えた場所にあるものを信じて―――今は突き進むのみ。
そんな宍戸の心の内を聞いていたのは、爽やかに吹き抜ける風と、たまたま影を通りがかった右目の下に泣きぼくろがある一人の三年男子のみであった。


   END
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