ただ一つの標は儚いけれど…
ライトニングはバルトアンデルスが置いていった“招待状”と遥か上空に浮かぶ故郷を交互に睨みつけた。
ファルシは、奴は、どこまでも人間を見下している。
苛烈な感情に覆われそうな心をどうにか軍人として鍛えられた理性で押さえつけ、ライトニングは振り返って仲間たちを見渡した。
皆、立ってはいるが先程の戦闘での消耗は激しかった。
「姉ちゃん、このまま行くのかい?」
そう尋ねてくるサッズも息が上がっている。
「いや…一度態勢を立て直す。一晩休んで、それから動こう」
「急いては事を仕損じる、だな」
うん、と納得して頷いたサッズがその事を仲間に伝え、全員異論を唱えず郷への道を歩み始める。
そう、冷静にならなくては敵の思惑通りに事を運ばれるだけだ。
最後尾を行くライトニングはそれでも胸の奥にくすぶり続ける苛立ちを鎮めるため、己の拳をきつく握りしめるが頭に響く声はまだ消えない。
できないよ、姉さんは優しいから
そうでしょう、エクレール姉さん?
おおよそ六百年の歳月が流れていたこと。
あれだけの道のりを旅してきたのに、自分たち以外の人に終ぞ会わなかったこと。
状況を整理すればこうなっている可能性は高かったのだが、それでも一縷の望みを託していた心の落胆は拭いきれなかった。
「ね、パクティがいてくれたのは奇跡…だよね」
もはや潮の香りもかすかな白い海を見つめながら、唯一の再会を果たした物言わぬ友の名を呼んだヴァニラの切なさを湛えた横顔を見つめて、隣に立つファングは曖昧に頷く。
中に居たシ骸を散華させ、鉄道橋から一番近い集会所跡で休息を取ることになった一行は思い思いの場所で過ごしていた。
その入口から見える海は、夕日に照らされ少しだけ暖かな煌めきを放っている。
「考えてみれば、あいつも長い間独りぼっちだったんだな」
ヲルバの郷がいつから無人になったのか、自分たちが知る術は無いが荒れ具合から察するに相当の年月は流れているだろう。
「郷がこうなってたのは…やっぱりショックだったけど、来て良かった」
「そうだな…おかげで大事なものを再確認できた」
片腕をヴァニラの肩へと伸ばし、そのままグッと抱き寄せる。
「家族に勝るもんはねぇ」
「ファング…」
ヴァニラがじっと間近になった顔を見つめていると、ファングも目を会わせて微笑み、肩から頭へ手を移して撫でた。
「私の守るものははっきりしてる」
大事なものはたった一つ。
今も昔も、このぬくもりが消えないために戦った。世界を救うのも滅ぼすのも、その延長にすぎなかった。
「でも…大事なもんが増えちまった」
自分たちのせいで理不尽な運命の波に呑まれたのに、こうして行動を共にして迷い、不安をさらけ出した自分に手を差し伸べてくれた。
崩れそうなときも、背中を押して支えてくれた。そんな仲間が目指す望み。
「その大事な奴らがコクーンも守りたいって言い張るんだ…叶えてやらなきゃ女が廃る」
ニヤリと笑うファングに、ヴァニラもあいている手をとって力強く頷いた。
「うん!みんなの希望は、今の私たちの希望。だよね!」
たくさんの嘘を許してくれた仲間が信じて進むのなら、自分も一緒に進もう。
人は、大事なものが増えるほど身動きが取れなくなる。
でも、大事なものがあれば強くなれる。
互いしかいなかった心を満たした新たな光を見守るように、空には一番星が輝きだしていた。
まったく縁もゆかりもないのに、なぜか懐かしさを覚えるのはここがかつては確かに子供の学び舎であった事が伺えるからだろうか。
「…なぁ、おっさんの子供っていくつなんだ?」
古びた黒板と壁に張られたままのチョコボの絵をぼんやりと見つめていたサッズがその声に振り返ると、隅に追いやられていた机の上にどっかりと座るスノウの姿があった。
「そういや、お前さんはドッジに会ってなかったな…まだ六歳でな、ようやくこのくらいの机に座れるはずだったんだよ」
「そっか……」
スノウの脇に積み上げられている机の一つに触れながらしみじみと話す父親の姿を、スノウはどこか眩しそうに見つめてからセラの涙を掲げて光に透かす。
もう日は半分以上沈んで、室内に届く光は僅かだがそれでも煌めきを絶やさないそれに、黄色い雛鳥の顔が大きく映り込んできた。
「うおっイキナリ入ってくるなよ」
「コイツも、兄ちゃんの大事な人と話がしたいってよ」
ひなチョコボは愛らしく囀りながらセラの周りをくるくると回った後、いつもの飄々とした口調で笑うサッズの頭に潜っていった。
「セラも大歓迎だってさ。そいつも、俺たちの大事な仲間だからな」
「嬉しいこと言ってくれるぜ」
「セラとのハネムーンはデカくなったコイツに乗って、とかもいいかもしれねぇな」
「おいおい、色々と気が早ぇな。まずそういうことはドッジに聞いてだな―――」
ふつりと言葉を切ったサッズは姿勢を正し、腕組みをしてから再び壁の絵に目をやった。
「なぁ兄ちゃん、俺たちでも未来を語れる。いや、俺たちだからこそか…ファルシの思惑を超えた先を夢見れる。コクーンは確かに安全でここは危険だか決して地獄じゃねぇ。むしろ、俺たちが見たものをドッジにも見せてやりてぇとも思う。だからよ、全部終わったらコクーンの連中に真実を突きつけて自由に行き来できるようにしてやりてぇと思うんだ…ま、おっさんの戯れ言だけどよ」
「いいんじゃねぇか。で、魔物が多いところでは俺がみんなを守る。な?」
ニッと得意の笑顔を浮かべるスノウにサッズも笑い声を零す。
「俺の一番の夢はドッジが無事に育つことだ。ドッジは何もかも、これからなんだ」
「俺たちだってそうだ。セラと一緒に義姉さんに認めてもらって…家族みんなで明るい生活、だ」
状況は悪いと言い切れる。
だが、その先にどうしても取り戻したいものがあるから、たとえ茨の道でも突き進むしかない。
「目覚めを待つためにも」
「ああ、俺たちの手に取り戻さねぇとな。今度こそ…離さねぇ」
クリスタルを握りしめて決意を新たにするスノウに呼応するかのように、雛チョコボが一つ鳴いた。
「そういや、さ…姉ちゃんの名前ってホントにあの名前なのかい?」
喉の奥に引っかかっていた疑問を口にしたサッズに、スノウは少し考えるように腕を組んだが、すぐに解いて上を向いた。
「さぁな…俺は本物のセラの口から聞くまで、信じねぇことにする。義姉さんは義姉さんだしな」
「だな。姉ちゃんは姉ちゃんだ。たぶん、今頃フォローしようと頑張ってるだろうしな、俺らは前を向いていようぜ」
サッズも同じように天井に目を向けてその先にいるはずの仲間二人に思いを馳せた。
初めてグラン=パルスに降り立った夜はなかなか眠れなかった。
不安もあったが何よりもコクーンでは想像すらしなかった果てしない星空に、皆が魅入っていたのだ。
その時と同じようにライトニングは屋上の奥に座りこんでジッと星空を見上げていた。
いや、見てはいない。今のライトニングの瞳は何も映してないだろう。
現に、ずっと階段の傍で座り込んでいる自分に一度も目をくれないことなんて、普段なら有り得ない。
何度も躊躇ったが、日が暮れたのをきっかけにホープは意を決して立ち上がり、ゆっくりとライトニングに近づいた。
「……ライトさん」
なるべく静かに声をかけると、ようやくライトニングはその瞳にホープを映す。
「ホープ、どうした…ああ、もう日が暮れたから中に入らないと危険だな」
スッと立ち上がり、澱むことなく言葉を発するその表情はいつもと変わらぬように見えるが、ホープはとっさにその手を掴んで動きを止めさせる。
「ホープ?」
訝るような声色が頭上から降ってきたが、ホープは顔を俯かせたまま口を動かした。
「ライトさん…僕がパルムポルムで言った事、覚えてますか?」
問われて、思い返す。
そう言えば、守りたいと言ってくれていた。
「あれ、本気ですから」
グッと腕を掴む手の力を強めて顔を上げると、驚きに近い表情が目に入ってきた。
そう、あの時もあなたは驚いて少し困ったように笑っていた。
「僕は、みんなのことが大事です。でも、誰よりもライトさんのことが大事なんです。だから、僕に…もっと……」
言い募るホープの唇にそっと指を置いてライトニングは薄く微笑んだ。
ああ、やっぱりあなたはそうやって僕を見る。
「心配させてしまってすまない、ホープ」
「…僕は、あなたの事を守りたいんです」
「ああ、私もお前を守る」
違う、その言葉が聞きたいんじゃない。そんな返事は望んでいない。
もう片方の手も掴んで、ホープはもう一度言葉を選ぶ。
「ライトさんは、僕がスノウに苛立ってるときに話を聞いてくれました。だから、今度はライトさんの話を…僕に聞かせてください。今の僕はあなたのバックアップですから」
言葉を止める術を奪われたライトニングは、珍しく返答に困っていた。
パルムポルムに到着した際に、お前には「希望」のままでいてほしいと言ったことがあった。
目の前にいる少年は、たしかに真っ直ぐに成長している。
ここで意固地になって子供扱いすることは簡単だが、それはこの子の成長の妨げになるのではないか。もう、二度と間違えたくはない。
何より…今、この胸にくすぶっている名前は、この年頃に別れた名前だ。
「……わかった。話をしよう。そこに座ってくれるか?」
顎で場所を示すと、ホープは勢いよく頷いきパッと手を離してすぐにその通りに行動した。
微笑ましい行動力につい口元が緩むが、約束を果たすべくライトニングもその後ろに座り込んだ。
ホープに背を向ける形で。
「ライトさん?…!」
不思議に思ったホープが振り返るよりも早く、ライトニングの体重が背中にかかりホープはすぐに前を向くことになった。
ライトニングが安心して背中を預けられるよう、背筋に力を入れて。
「……情けないな。あの姿で本名を呼ばれただけで心がざわめいた」
「じゃあ、あの時呼ばれていた名前が、ライトさんの……」
「ああ、親から貰った名前だ……子供時代の、私そのもの」
たくさんのものに守られていた、幼い自分。
ファルシになんの疑いもなく、両親に囲まれた家が世界の全てで、セラが産まれてからは母とともに生きて、笑っていた二度と戻れぬ日々。
「私は、ライトニングになった事には後悔していない。だからこそ、今の私が在るのだから。ただ…エクレールの部分は、置いてきてしまったなと、改めて気づかされた」
あくまで淡々と話すライトニングだったが、最後はどこか寂しげな色を含んでいた。
「だから、僕が名前を捨てたいって言ったときに、話してくれたんですね」
「名前は、一緒に成長してこその名前…私はそれをわかっていなかった。わかったのも、つい最近だ」
「何が、キッカケだったんですか?」
「………セラに好きな人ができたとわかったときだ」
ドキリと、ホープの心臓が跳ねた。その振動がライトニングに悟られてないかと更に心拍数が上がったがライトニングは特に気にした様子はなく話を続けた。
「セラを守るために、早く大人になりたくて急いだ私の願い通り…相手はさて置くとして、セラは年相応に成長してくれた。その事はいいのだが、私の中の何かがざわついてな…考えて、気がついた。軍の任務がすぐに忙しくなって…あの事件が起きたから、今まで思い返す事はなかったのに、ここにきて……だが、今更どうにもならない。古傷のようなものだ」
声が途切れると同時に背中にかかっていた重みが消えてホープが慌てて振り返ると、身を屈めてこちらに手を差し伸べるライトニングがいた。
「長々とつまらない話に付き合わせてしまったな。でも、少し頭がすっきりした」
星明かりに照らされたその顔が何とも神秘的で、ホープは息を飲んだ。
使命に立ち向かうときとも、敵と対峙したときとも違う、柔らな目元。
「そんなこと…ないです…」
「ホープは優しいな」
「ライトさんと、エクレールさんはちゃんと同じ時間を過ごしてると思います」
「!?」
予期せぬタイミングと人物に名前を呼ばれて、ライトニングは思わず手を引いてホープをまじまじと見つめる。
一方ホープは自分の口から出た言葉に慌てふためいていた。
「す、すみません!あのっ……僕が言いたいのは、そのっ…」
「お、落ち着けホープ」
がばりと立ち上がって頭を抱えてしまったホープの狼狽っぷりに、逆に冷静になったライトニングが宥めるとホープは顔を真っ赤にしながらも腕の隙間からライトニングに目線を向けた。
「う、うまく言えないんですけど…ライトさんの本名も意味は同じ、ですよね?」
「あ、ああ…そうだと聞いている。古い言葉だそうだが…よく知ってるな」
「たまたま、学校の授業で…って、今はそんな事いいんです。だから、ええと…呼び方は違ってもライトさんはご両親から貰った名前もちゃんと大事にしてて、置き去りになんかしてないと思います」
言いながらゆっくりと腕を下ろし、まだ赤みの残る顔のまま真っ直ぐに見上げてくるホープの言葉を受け止めてライトニングは押し黙る。
(弱く、子供の部分も今の私の姿には変わりないと?)
「強いだけの人なんて、きっと…どこにもいません」
ライトニングが本格的に思考を初める前にホープがまるで心を読んだかのように更に言葉を重ねてきた。
「みんな、どこかに弱さや脆さを抱えていて…それでも強くあろうと前を向いていくんだと思います」
「……本当に、お前は強くなったな」
心も身体も。
最初はあんなにも頼り無かったのに、今ではこのようにライトニングがホープに教えられる事もある。
ありのままでも良いと、言ってくれた少年の頬にそっと手をやり、そのまま肩へ触れると少年は小さく首を振った。
「それは、ライトさんやみんなが居てくれたからです。でも…さっきはライトさんが大切にしてる本当の名前をつい呼んでしまい、すみませんでした」
「いや……謝らなくていい」
後半、目に見えてしゅんとなるホープだったがライトニングの意外な返答にえっと顔を上げると、ライトニングはもう片方の手も肩に乗せ自ら完全に向き合う姿勢をとったにも関わらず、目線だけが横に落ちていた。
「自分でも不思議なのだが…ホープに名前を呼ばれるのは、嫌ではない」
「ほ、本当ですかっ!?」
「嘘を言ってどうする」
これがスノウだったら呼ばれた瞬間に殴りたい衝動に駆られていただろう。理屈ではない。
他の仲間ではどうかと考えれば、決して嫌ではないが“知っている”程度で留めてほしいと願う自分がいる。
だが、目の前にいるこの少年からは考えるよりも先に呼ばれてしまったためか受け入れてしまった。
そろりと前を向くとホープは意外そうに目を丸くしていたが、徐々に嬉しさに似た感情が口元に滲み出てきているのが見て取れて、何ともくすぐったい気持ちになる。
(どうやら、私は知らないうちに随分と絆されていたみたいだな)
喉の奥で苦笑する。同じ運命にあがらう仲間の中でも、共に行動する時間が長かったからか確かにホープを何かと気にかけていた事は認める。
だが、これほどとは。
「けど、普段はこれまでどおり呼んでくれ。私の名前が共にあったというホープの考えは嬉しいが、ずっとライトニングで過ごしてきたからな…すぐには戻せそうもない」
「それなら、僕がその名前を預かってもいいですか?」
「預かる?」
言葉の真意を読み取れず首を傾げるライトニングに、ホープは勢いよく頷いた。
「僕たちの現状は、わかってるつもりです」
ふっと目を伏せて手首の印を見たのに釣られて、ライトニングも己の印がある場所に目をやる。
そう、決戦は近い。どういう形にせよ、決着がつくまではもう時間の問題だ。
「だから、もしライトさんが本当の名前を意識して揺れてしまう事があるなら今だけでいいので、僕に預けてください。僕が…守ってみせますから」
あなたの心も全部、守りたいんです。
最後の言葉は声に出さず、両肩に添えられた手に自分のそれを重ねながら視線に乗せる。
ライトニングは一瞬戸惑ったが、真摯で熱の籠もった眼差しに覚悟を決めて、両手を首に回して抱きしめた。
「……わかった。私の名前、お前に預ける。この戦いが終わるまで…いや、ホープがいらなくなるまで、持っていてくれ」
この子の真っ直ぐな光を信じてみよう。
「ライトさん……」
ホープは宙に浮いてしまった手をゆっくりと前に伸ばして、ライトニングの腰を精一杯抱きしめ返した。
「ありがとうございます…必ず、守りますから」
「頼むぞ。私も…お前を守ると、改めて誓う」
その輝きが二度と揺らがぬよう、前を向いて歩いていくと。
「そして…コクーンもな」
「はい。バルトアンデルスの思い通りになんかさせません」
凪いだ心に力が湧き上がってくる。
どちらからともなく腕をほどき、目が合った瞬間にふっと笑みがこぼれた。
「行こう。みんなが待っている」
叶えたい想い全てを糧に、絶望の底で希望を掴み取り未来へ突き進む。
ルシたちの道を照らす光は“儚い”と呼ぶ人の夢。
けれど、それは決して幻ではない。
END
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