花、黄昏に染まる中で
私に精神が宿る頃、この辺りはまだ自然の営みのみで廻っていた。
やがて、私がすっかり成長した頃、ここに人の営みが加わっていた。
それ以来、私はこの人々の営みを見守り続けている。
多くの人々と出会った。多くの人々と触れ合った。多くの人々と別れてきた。
中にはとても印象深く、忘れ難い人々もいた―――私はいつも見守っていた。
だから、これからもここを訪れた全ての人々を私は見守り続けます。
「うーん…良い天気ね〜」
昼下がりの暖かい陽気に誘われるまま、ウィンリィは自宅二階のテラスに出て大きく伸びをした。
久々の青く広がった空が眩しい。
「ここんとこずっとジメッとした天気だったから、今日は洗濯物でもしよっかな。」
これからの予定を呟いて眼下に広がるリゼンブールの風景にふと目を向けると、こちらへと伸びる道上に誰かがいた。
(ん?あれは…)
テラスにしっかりと手をつけて、身を乗り出す形でその人影の正体を確かめる。それは二年前に我が家を焼いて以来滅多にこの地に足を向けないが、この地で生まれ育った者たちであった。
「ったくも〜…来るときは連絡入れなさいってあれほど言ってんのに…」
先ほど呟いたこれからの予定が大幅に変更されるのを容認しつつ、ウィンリィは好意的な笑みと苦笑が入り混じった表情を落として、来客があることを祖母であり、唯一の肉親であるピナコ・ロックベルに伝える為に室内へと駆けていった。
「ばっちゃん!エドとアルが来るよ!」
ウィンリィがそう告げてから十数分後―――ロックベル家に彼女のスパナが炸裂する音が響いた。
「に、兄さん……生きてる?」
エドとアルがロックベル家に到着してから小一時間後―――ウィンリィのスパナによる手痛い歓迎を受け、居間のソファーで伸びているエドに一発で済んだアルがソファーの横にしゃがんだ姿勢のまま恐る恐る容態を訊ねた。
「おー…なんとかな。あんにゃろ景気よく殴りやがって…こっちの身が持たなくなったらどうしてくれる。」
あはは…と乾いた笑うを漏らすアルの声を耳に入れながら、エドは下半身に力をいれて自身のバネで上半身を起す。
「っと…やっぱバランス取りづらいな。」
起き上がると同時に目に入り込んできた窓から差し込む日の光に目を瞬かせる。その日の光が映し出す現状のエドのシルエットは、まさにアシンメトリーであった。普段は機械鎧で補っている右手が取り外され、左足も機械鎧ではなくただの義足に成り代わっていた。
「でも、思ったよりも早く整備が終わるみたいで良かったね。」
「ああ。」
アルの言葉に返事をしながら、エドはちらりと今は閉じられている整備室のドアを見た。
今頃中ではウィンリィとピナコが自分の手足の整備を急ピッチで行ってくれているのだろう。そう思うと、感謝の念が自然とこみ上げてくる。
「本当に、ウィンリィとピナコばっちゃんに感謝だね、兄さん。」
そんな感情をストレートに言葉にするアルに対してエドは黙って天井を仰いだ。
エドが面と向かって素直な言葉を言えるようになるのは、まだまだ先のようだ。
「は?花見ぃ?」
数時間前にシルエットがシンメトリーに戻ったエドが機械鎧の調子を確認する為にストレッチしながら素っ頓狂な声を上げたのは、彼らがリゼンブールに帰郷してから二日後の正午も過ぎた頃であった。
「そ。今丁度裏の桜が見頃だから遅いお昼ご飯を兼ねたピクニックよ。」
「うわぁ〜!ピクニックなんて久しぶりだね、兄さん。」
いつもの作業服ではなく、動きやすいパンツルック姿でご飯の入ったバスケットを持ったウィンリィを見て、アルは殺伐とした旅になりがちな自分たちの生活からは遠い「ピクニック」と言った言葉に素直に喜び、後ろにいる兄の方を見た。
話の続きを促されたエドは満更でもない様子で加わる。
「……ま、たまには花見も悪くないか。今日はもう次の町に行く列車も出ないしな。」
「んじゃ決まりね!ばっちゃん、二人とも行くってさ〜!」
言いながら踵を返して窓から身を乗り出して庭先で愛犬デンの相手をしていたピナコに聞こえるように叫ぶ。孫娘の嬉しそうな声を受けて、ピナコは咥えていたパイプから煙をたゆたわせながら笑った。
「そうかい。それじゃ戸締りして出ておいで。」
ピナコの声に、三人の声が返事をした。
「相変わらず、この木は大きいね〜」
シェパードパイを頬張るエドの横に座っていたアルは上を見上げてしみじみと呟いた。
見上げる先にある誇らしげに花を咲かせる桜の木はまさに大木で年輪の程はアルが両手一杯に伸ばしても届きはしないだろう。
「そりゃあたしが子供の頃からもう大木だったからね。今じゃリゼンブール一の古株だよ。立派なもんだね…」
アルの呟きに答えたのはシェパードパイを口にしてなかったピナコであった。感慨深げにパイプを口にする。
ばっちゃんはこの木に何か思い出でもあるのだろうか―――ふとそんな思いがウィンリィの頭を過ぎったが、シェパードパイの最後の一口と同時にその疑問を飲み込み、代わりに自分たちの思い出を口にした。
「そう言えばあたしたち昔この木で木登りしたわよね。」
「あー、あったあった。誰が一番高い所まで上れるか競争したな。」
ウィンリィに少し遅れてパイを食べ終えたエドが懐かしむように上を見ながら話に乗る。その当時を思い出してアルがぽんっと手を叩く。
「あの時は確か兄さんが一番高い所まで登ったんだよね。でも、後で怖くて降りられなくなって大騒ぎだった。」
「アル、そこは言わなくていい!」
「あはははは!そうそう、それで悔しいからってポケットにあった小石でここまで登ったぞーって
印付けてからや〜っと助けてもらったのよね〜」
「ああ、あの時のエドは聞かん坊だったねぇ。や、今も聞かん坊のチビッ子だったね。」
「だぁぁれがマイクロドチビの聞かん坊かぁぁぁっっ!!!!!!!
よってたかっていい加減にしやがれ!」
怒髪天の如く立ち上がって喚くエドの声が耳を劈く。
これが旅先で出会う者達ならば呆気にとられるか理不尽な怒り方に喧嘩になっていたかもしれない。が、今この場にいる人々はそんなエドともう十年以上もの付き合いがあるのだ。一人で憤慨しているエドを余所に畳み掛けた三人は呑気に受け流し、上を見上げて花見を堪能している。
「ったく…全員で好き勝手言いやがって―――」
勢いで立ち上がったまま一度沸騰した頭を冷まそうと努めるエドの鼻先を何かが掠める。
足元に落ちたそれは桜の花であった。しばしそれを眺めていたエドだったが、何かを決めたように小さく頷くと三人に背を向けて桜の幹に片足をかけた。
「兄さん?」
アルが声をかけてきたのと同時に地面を蹴り、しっかりとした枝の根本に飛び乗る。その一連の動作に三人は首を傾げるばかりだった。
「ちょっとエド、何してんの?」
「んー…いや、頂上まで登ってみようかなーって。ちょっと行ってくるな。」
「はぁ?あんたそれって…」
何かを言いかけたウィンリィだったが、言い終える前にエドが視界の幅より上に消えた為にそれを空気にかき消した。代わりにため息を一つこぼす。
「まったく…幾つになっても子供は子供だねぇ。ほら、あんたたちは行かないのかい?」
「え?」
「ボクたちも?」
ピナコの発言に目を丸くする二人だったが、一拍後ウィンリィは右手の人さし指を顎に当てて、そうねぇ…と口を開いた。
「ま、たまには木登りもいいかな〜運動、運動。」
「ボクはやっぱりやめておくよ。枝とか折っちゃったら可哀想だし…」
「そっか…じゃあ、あたしもちょっと行ってくるね。」
残念そうな声を出すアルに、微笑みを一つ落とすとウィンリィは立ち上がり、エドがそうしたように幹に片足をかける。
「気をつけて登るんだよ。」
「うん。」
軽く手を降ってウィンリィはゆっくりと確実に登っていった。
「あ、あいつ…よくあんなホイホイと登れるわね…」
そうボヤキながら手探りで次に体重をかける枝を探す。木の中腹辺りまで来るとまだ若い枝が多く、足場を慎重に選ばなくてはならなくなる。なのに先に登ったエドは見極めが上手いのか既に頂上に辿り着いているようだった。
(まったく、あいつは猿かっての……ん?)
ふと目に入った真横の幹の痛んだ後に目を凝らす。その傷跡自然に付いたものではなく明らかに人工的につけられた傷跡であった。
「…エドは、昔ここまで登ってきたのね。」
たしかあたしはもうちょっと下だったな…そっと傷跡を撫でてウィンリィは再び上を目指して登り始める。
程なくして、見慣れた黒いブーツと橙色を含み始めた桜の花と空が見えてきた。
「あ、エ―――」
顔を上げて言いかけた言葉を思わず止めてしまった。
黄昏に染まりつつある世界に照らされたエドの横顔が、今にも泣き出しそうな―――寂しさに包まれているように見えたから。
声をかけるべきか戸惑っている間に、逆にエドがウィンリィに気づき振り向く。その顔に、先ほどウィンリィが感じた寂しげな面影は一欠片も無かった。
「お、なんだウィンリィも登ってきたのか。」
「あ、う、うん…まぁね。」
「?どうかしたのか。」
「な、なんでもないよ!」
焦ったように笑顔を作る幼馴染に微かな疑問が浮いてきたが、エドはそこを追求することはせず再び顔を前に向けた。
眼下に広がるのは生まれ育った町。嬉しい事も悲しい事も全てがある故郷―――帰る家の無い故郷。
「エド…そこから、何が見えるの?」
エドの隣りではなく別の高さにいるウィンリィには同じ物は見えない。
「…リゼンブールが一望できて良い景色だぜ。こーゆーのを絶景かなって言うんだろうな。」
「……そっか。」
ぽつりと返事をする。少し泣きたくなったのは何故だろう。
潤んだ瞳をエドに見えないように拭うと、弾けるように顔を上げて動き出す。
「さ!そろそろ戻ろう!下でアルとばっちゃんが待ってるよ。」
「おう。」
黄昏色を増してきた空を背にして、エドはウィンリィにあわせてゆっくりと下に降りていった。
翌朝―――必要な物だけを詰め込んだトランクを片手に再び旅立つエドとアルを見送るべく、ピナコとウィンリィは並んで玄関先に立った。
「何度も言ってるけど、機械鎧はデリケートなものなんだからちゃーんと整備しなさいよ!」
「あーもー…わかったって!会う度に言うな!」
「言わせるあんたが悪いんでしょ!」
「それじゃあ、ボクたちそろそろ行くね。」
「たまには整備以外でも帰っておいで。ご飯は用意しておくから。」
「…行ってらっしゃい!」
「うん。ばっちゃん、ウィンリィ、またね!」
「じゃあな!」
軽く手を降って歩き出す二人の背中を、ウィンリィとピナコは見えなくなるまで見送っていた。
追い風が運んでくる桜の花弁にふと、昨日の桜の木の上での出来事を思い出す。
「……ばっちゃん。」
「ん?」
「あたし、もっともっと頑張る!」
「……そうかい。」
強い意思を持った子供たちにピナコは静かに頷き、暖かな眼差しを向けた。
「ねぇ兄さん、昨日木の頂上から何が見えたの?」
リゼンブール駅に停車して発車を待つ列車に乗り込み、空いている座席に腰を下ろしたアルは向かいの席に座って窓の外を眺めているエドに、真っ直ぐ問い掛けた。
三拍ほどの間を置いて、エドが振り返る。視界に映るのは鎧の弟。
再び窓に目を向ける。と同時に列車がゆっくりと動き出した。流れる景色は故郷。そして、遠くに見えるあの桜。
「…これからオレ達が進んでいく果てしない道が見えたぜ。」
「そっか…兄さん、頑張ろうね。」
「ああ。」
先を見つめつづける二人の耳に、列車が故郷を遠ざかっていく音が響く。
その様子を、桜の木はただ黙って見送っていた。
多くの人々と出会った。多くの人々と触れ合った。多くの人々と別れてきた。
中にはとても印象深く、忘れ難い人々もいた―――私はいつも見守っていた。
だから、これからもここを訪れた全ての人々を私は見守り続けます。
そして、祈ります。どうか幸あらんことを―――
END
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