もう一つの輪廻-花守-
深く埋めるように幹に横たわる。
まだ花の時期は遠く、見上げても蕾一つ無い。でもこれで良かったのかもしれない。
花の季節はあの人と出会った時だから…そのまま大切にしたい。
どれだけ時を重ねても、どれだけ季節が巡っても色褪せない思いは二つ。
愛おしさと懺悔。
それを抱えたまま、ぼくは再び目覚めることのない眠りに落ちた―――
―――はずだった。
「―――…ここは……」
目を凝らしても見えるのは闇ばかり。
ゆっくりと首を動かすと自分がまだ若く細い木に寄りかかっていることは確認できた。
「えっ…?」
何気なく自分の手のひらを見て霞みがかった頭が一気に覚醒する。
年を重ねて皺くれだった手は瑞々しく張りのあるものになっていた。触れた感じでは顔もそうなっている。
右の手元にある錫杖や服装は仲間やあの人と共に戦いをくぐり抜けたときのもの…
「少なくとも、現代じゃないな。」
でも何故かここが死後の世界とも思えなかった。
立ち上がってもう一度自分が寄りかかっていた木を観察する。
桜の木だろうか。小さいながらもしっかりと根付いているようで、所々に蕾をつけている。
なにも無い空間にただ一つ存在するその幹に手を触れると、頭に直接声が響いてきた。
『新次郎、そろそろ寝ましょうか。』
『ぅん…』
「!?」
慌てて手を離すが、声はそのまま自分の中に響く。瞳を閉じればその情景すら浮かぶ。
「まさか…そんな……」
にわかに信じがたくて否定の言葉を口にするが、理解は早かった。通常ならば有り得ない事態が起こった。
「…ぼくを内包したまま輪廻したのか……」
理解を受け入れるために声に出したら、ある事に気づきはっとなる。
目の前にある木はまさか…確かめるためにもう一度、今度はあることを意識して触れると共鳴するように錫杖が涼やかな音を立てる。間違い無い。
「この木は五輪の戦士の証か…!」
まだ花咲かぬこの身と心の持ち主は五輪の力に目覚めてはいないようだ。今なら、間に合う。
印を結び、錫杖を打ち鳴らすと木の周りを淡い光が囲む。
「これで、いい……」
五輪の力を封じる―――そのためにぼくは記憶を持ってここに在るはずだ。
もう、あんな力は発動させない。
「………」
その日からどれだけの月日が流れただろう。
暗闇だった空間は春の野山を象り、傍らに在る桜の木は今や大樹となり花を咲かせている。
それでもまだ、ぼくはぼくのままここに在る。
そして―――
「…………」
「珍しいね。」
背後に気配を感じて先に声をかけて手招きをすると、彼はぼくの隣りへとやって来た。
輪廻とはいえ、これほど姿形まで似るのは稀なのではないだろうか。
「ここは……」
「君の中でのぼくの居場所とでも言うのかな…君から見れば夢の中で間違ってないよ。」
ぐるりとその場で辺りを見渡す彼にそう説明すると納得したようで、一つ返事をして真上を見上げた。
ぼくもそれに倣うと咲き誇る花と風に舞う数枚の花弁がよく見えた。
「……聞きたいことがあるんです。」
真剣なその声に桜から彼へと目線を動かすと、彼は桜を見上げたまま次の言葉を発した。
「どうしてぼくには最初から五輪のアザが無かったんですか?」
その問いに、わかってはいても顔が強ばる。いつか、なんらかの形で会い見える事があれば話さなくてはならないと思っていた。
訊ねる言葉の終わりと共にまっすぐに見つめられ、覚悟を決める。
「…できることなら、負わせたくない役目だったし……知らなくてすむなら知らせたくないことだったから。」
これは、ぼくの勝手な思い込みだった。今になって痛感する。
思わず零れた嘲笑を、彼はどう捉えただろう。
「でも、あの時ぼくが封じていた五輪の力を解放しなくては君は死んでいた…」
死、という言葉に彼の肩が僅かに反応する。あの時に感じた妖力は、紛れもなくぼくたちが尊い犠牲を払って封印した魔王のものだった。負の力には正の力で対抗しなくては闇に飲まれてしまう。
本来なら十分に抵抗できるはずのこの身が危険に晒されたのは、幼い頃に封印を施したぼくのせいだ。
たくさんの人の思いを受けるこの心を死なせるわけにはいかなかった。でも……
「だから、ぼくの記憶も一緒に解放したんだ。五輪曼陀羅がもたらす力とそのための重すぎる犠牲を……知った上で君に判断してもらいたかった。五輪の力を持ち、つかう事を。」
ぼくは僧侶を名乗るには迷いが多すぎると指摘されたことがあるが、それは今も変わらないらしい。
「そうだったんですか……」
だが、ぼくの話を聞いた彼は神妙な面もちで頷いてくれた。
そう、彼はあの記憶をしっかりと受け止めて結論を出してくれた。
「でも、輪廻っていうものはあるものだね…ぼくは君を通じてまた信長と戦ったし、あの人にも会えた。」
彼が見たもの感じたことは心を通じてぼくにも伝わる。だから、時の悪戯にぼくは戸惑いながらも感謝した。
「嬉しかったよ、彼女も新しい命を生きているってわかったから。また戦いの中にいるけれど…それは君が守ってくれるんだろう?」
「はい!もちろんです!!」
淀みの無い返事にぼくは心からの笑みを浮かべた。
「ありがとう。それにしても君たちは本当に凄いね。ぼくたちよりもずっとずっと凄い。」
言わなくてはならない事を告げ終えた自分の口調が軽くなるのを自覚する。
単純かもしれないが、今のぼくの気持ちを聞いてもらいたかった。
「ぼくたちは……犠牲を払って信長を封じこめたけど、君たちは誰一人欠けることなく信長を封じた…君に託して良かったって、心から思うよ。本当に、ありがとう。」
感謝と尊敬の意を込めて一礼をすると、彼は顔の前で両手を広げて首を振った。
「そんな…褒めすぎですよ。それに、ぼくの方こそあなたにお礼を言わないと……あの時あなたがいなくてはぼくはこうして生きていないんですから!本当にありがとうございました。」
そして頭を下げた彼に衝撃を覚える。勝手に君の潜在能力の一部を封じたぼくに、感謝の言葉を述べてくれるなんて…それに………
「……なんだか、不思議な感じです。こうして話をしてるのにあなたはもういない人なんですよね…」
ぼくが何も言えないでいると、彼はしみじみと呟いた。
ああ、本当に…君は凄いね。
「うん…でも、ぼくはここにいるから。」
薄く笑みを浮かべて頷いたぼくに、彼はどこか安心したように目元を和ませた。
「はい…」
「さぁ、そろそろ行った方がいい。君を呼んでいる人がいるよ。」
ぼくの言葉に彼は少し首を傾げたがすぐに何かを察知したらしく、はっとなって頷いた。
「あ、はい!……でもどうやって…」
「来たときと同じだよ。君が起きようとすればいいだけだよ。」
すっと手を差し伸べて彼の目を覆うと、風が吹き抜ける。その風圧で花弁が舞い上がると同時に、彼姿は消えていった。
その名残を追うように見上げると、穏やかに晴れ渡る青が眩しくて、ぼくは目を細めた。
「…本当は、こうしてぼくが居ること自体あってはいけないことなんだよ。」
だって、これは君の人生だから既に一度生を全うしたぼくの出る幕じゃない。
たとえ輪廻という繋がりがあってもその人の人生はその人のものだ。
「それに……」
先程の思考を再開させる。それに…自分の中に違う存在が在るなんて知ったら拒絶されても仕方がないのに、彼は受け入れてくれた。
傍らの桜はまさに花盛りだが、蕾もまだまだ沢山ある。当分は枯れそうにない。
その一方で…根本から新たに芽吹いた枝をじっと見つめる。蕾がやや赤いこの枝はあの魔王の魂―――これから花が咲くことによって魂の昇華が始まる。
「花が咲くのは命を咲かせるから、か…」
なら、ぼくはここに在れる限り花守であろう。この花が、不用意に脅かされぬように。
君を愛する人たちが君を守るように。
愛する人たちを悲しませぬよう君が立ち上がるように。
「ぼくも、君を守るよ。」
END
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