春の空色



 南風が頻繁に吹き、花々の香りがほのかに漂ってくると巴里の街は新たな季節を迎える。
陽光が心地良いと、市場の活気に溢れ、人々の声が絶えることなく飛び交う。

「こんにちは、八百屋のおじさん!」

その市場の通りを軽快な足取りで進みながら、一人の少女がすぐ脇の八百屋の主人に挨拶をした。
茶色の髪を上のほうで二つに縛った、キラキラしたこげ茶色の瞳に、少し色の濃い肌。その顔は満面の笑みだった。
そのセーラーのような上着にサーモンピンクのズボン姿の少女を見た八百屋の主人は同じく笑顔で挨拶を返す。

「ああ、コクリコ。こんにちは。今日は野菜はいいのかい?」

「うん。あ、明日は手伝いに行くね!」

「あいよ。よろしくたのむよ。」

「やぁ、コクリコ。」

また別の店の主人が、コクリコに声をかけた。

「こんにちは、絹屋のおばちゃん!」

その後も、次々に続く各店から声をかけられては、笑顔で応えるコクリコ。
しっかり者で可愛らしい彼女は市場の人気者だ。
暖かい日差しを浴びながらの彼女の笑顔は、市場の商人たちにより一層輝いて見えた。

「あ!」

自分の進む道の先にある人物を見つけ、コクリコの表情はさらに輝きを見せた。
長い鳶色の髪を腰のあたりで束ね、真紅の修道服に身を包んだその後姿に声をかける。

「エリカ!」

コクリコに声をかけられたエリカは、柔らかく長い髪を揺らして振り返った。
その顔はコクリコに負けず劣らず晴れやかだった。

「あ、コクリコ!ナイスタイミング!」

エリカのその言葉に、コクリコはある覚悟をした。エリカと知り合ってもうすぐ一年になるが、未だに彼女の行動は予測不可能な点が多々あるからだ。
そんなコクリコの小さな見構えを気に止めず、エリカは第二声を発する為に口を開いた。

「さっき、そこの角でこんなのを拾ったんだけど、なんだろうね?」

そう言ってエリカが差し出してきたのは、無骨に包装された手のひらに収まる小箱だった。
まともな問いにコクリコは肩の力を少し抜いて、その小箱を受け取ってまじまじと見た。

(あれ?)

小箱を鼻先に近づけてかすかに漂う香りにコクリコは覚えがあった。

「これ、おひげのおじちゃんのだよ!きっと…」

「お髭のおじちゃんって…ロランスさんの?
 すっごーい、コクリコ!どうしてわかったの?コクリコって実は霊能者!?」

コクリコが「おひげのおじちゃん」と呼ぶその人―――宝石商のロランス・ロラン氏は出会う人全てに好印象を与える老紳士だ。
コクリコとはちょっとした知り合いで、二人はとても仲が良い。

「…それだったら、エリカだってそうじゃないか。
 そんなんじゃなくて、この小箱からいつもおじちゃんのつけているコロンの香りがしたんだ。
 おじちゃんのコロンは特注だって前に聞いたから…だから、きっとこれはおじちゃんのじゃないかなって思ったの。」

コクリコが冷静にそう告げると、エリカは感心したようにふんふん、と二回頷いた。

「へぇ〜そうなんだぁ…じゃあ、きっとロランスさん、落し物をして困ってるよね。
 困ってる人を助けるのは、わたしの勤め!
 コクリコ、ロランスさんを探そう!!」

使命に燃える瞳のエリカに、コクリコも頷いた。

「うん、そうだね。早くおじちゃんに渡そう。」

意気投合した二人は、すぐさまロランスの捜索を開始した。
二人はまず市場を隅々まで探したが、ロランスの姿は見当たらなかった。

「うーん、どこにいるんでしょう?」

「ん〜…公園か広場かサーカス、カフェ、図書館……心当たりがたくさんあってなかなか絞れないよ。」

市場の入り口の道路の隅で腕を組んで首を捻る。
ロランスの趣味は散歩。ゆえに彼の行動範囲はかなり広いのである。
待ち合わせもしないで、彼と会うのは実際、一苦労なのだ。

「全部回ってたら、夜になっちゃうかも…」

コクリコがそうつぶやいた時、二人の背後から凛々しい声がかかった。

「エリカにコクリコではないか。こんな所で何をしているのだ?」

振り返ると、そこには輝くブロンドを左肩に流した、意志の強そうなブルーの瞳を持つ女性が立っていた。

「あ、グリシーヌ!」

「グリシーヌさん、ロランスさんを見ていませんか?」

エリカの出会い頭の質問に、グリシーヌは二回目を瞬かせてから思案顔になり、自らの記憶を辿った。

「いや、見ていないが?」

「そうですかぁ」

少々大げさに肩を落とすエリカ。その様子に、今度はグリシーヌが質問を投げかけた。

「ロランス卿がどうかしたのか?」

「うん。ボクたち、おじちゃんの落し物を拾ったんだ。」

「それで、それをお渡ししようと探してたんです。」

二人から流れる経緯を聞いたグリシーヌは「そうか」と頷き、続けて二人にとって頼もしい言葉を発した。

「そういうことなら、私も手伝おう。」

「ホント!?ありがとう、グリシーヌ!」

コクリコの感謝の言葉を、グリシーヌは微笑んで受ける。

「うむ。では、私は図書館の方を探そう。
 エリカは公園、コクリコは広場の方を。1時間後にシャノワール集合でよいか?」

グリシーヌの提案を、二人は間を置くことなく了解した。

「はい、オッケーです!じゃあ、わたし早速公園の方を探してきますね!」

「あ、エリカ前!!」

コクリコの制止の声もむなしく、走り出したエリカは看板に頭をぶつけていた。

「いったぁ〜…頭打ったぁ〜〜……」

「エリカ…お前という奴は……」

呆れ顔を隠せないグリシーヌ。エリカのこういったドジは日常茶飯事だが、やはり見ている方も頭が痛い。

「えへへ……じゃあ、今度こそ行ってきまーす!」

照れ笑いを浮かべてそう告げると、エリカは今度はぶつからずに公園の方へと走っていった。

「…では、私たちも行くとするか。」

エリカの姿が無事に遠くなるのを見届けた二人は顔を見合わせて頷いた。

「うん。じゃあグリシーヌ、そっちはよろしくね。」

「うむ、まかせろ。では1時間後にな。」

互いに手を振りながら、その場を離れた。



「さてと、おじちゃんはいるかな?」

若い画家や散策を楽しむ夫人などで一杯の広場をコクリコは探す。

「うーん…見当たらないなぁ。」

「あら?こんにちは、コクリコさん。」

辺りを絶え間なく見回すコクリコにそう声をかけたのは、巴里では珍しい黒髪を肩口で切りそろえた上品で控えめな雰囲気の女性だった。

「あ、花火!ねぇ、ロランスおじちゃんがどこにいるか知らない?」

コクリコの質問に、花火は口元に右手を添えて、ほんの少しだけ思案顔を見せた。

「ロランスさんですか?…先ほど、お話しましたよ。」

花火の答えは、コクリコの期待に応えるのには充分だった。

「ホント!?どこに行けば会えるかな?」

「たしか、グラン・マにご挨拶に行くと仰っていましたから…
 シャノワールに行けば、お会いできると思いますよ。」

微笑みを沿えながらの花火の言葉に、コクリコは嬉しそうに頷いた。

「そっか、ありがと花火!ボク、シャノワールに行ってみるよ。」

「あ、コクリコさん。私もご一緒してもよろしいですか?
 今夜のレビューの準備がありますので…」

「うん、もちろんいいよ!一緒にシャノワールに行こう!」

二人は並んで、和やかな雰囲気のままシャノワールへと続く坂道を下っていった。



二人がシャノワールに着いたと同時に、別の道からエリカとグリシーヌもシャノワールに到着した。

「コクリコ〜こっちにはいなかったよ〜」

「私の方も見当たらなかった。」

少々沈んだ表情で告げる二人に、コクリコは笑顔で「ありがとう。」と言って、ロランスの事を伝えた。

「じゃあ、早速中に入ってホシを探しましょう!」

びしっとシャノワールの玄関を指差したエリカに、コクリコが冷静にツッコミを入れる。

「エリカ、ボクたち警察でもなんでもないんだからその言い方は―――」

「おや、みなさんおそろいですね。」


しかし、コクリコのツッコミの言葉は、目の前からの穏やかな紳士の声に遮られた。
ロランスが、ちょうどシャノワールの玄関から外へ出てきたのだ。

「あ、おじちゃん!よかったぁ、ボクたちずっとおじちゃんを探してたんだよ。」

「私を、ですか?」

「うん。これ、おじちゃんの落し物じゃないかなって。」

そう言ってコクリコはポケットの中にしまっていた小箱をロランスの手に渡した。
渡されたロランスは、自らの懐を確認して、コクリコにニッコリと笑いかけた。

「ああ、そうです。私のですね。
 いつの間に落としたのでしょう…ありがとう、コクリコ。」

お礼を言われたコクリコは「どういたしまして。」と返事をした。

「でも、どうして私のものだとわかったのですか?」

「うん、その箱におじちゃんの香いがついてたから、わかったんだ。」

「コクリコ、ロランスさんのコロンの香り、覚えてたみたいですよ〜」

「そうですか。さすがコクリコですね。ありがとう。」

再度言われたお礼の言葉に、コクリコは照れくさそうに笑った。

「ところで、その小箱っていったいなんなんですか?」

興味津々、と口調に盛り込みながらエリカが直球に尋ねた。

「これですか?ご覧になりますか?」

そう言ってロランスは包みを開けて、コクリコにもよく見えるように少し手を下げて中を4人に見せた。
中身は薄い蒼碧色のカボションカットの宝石で、宝石の内部からキラキラと朝露のような光を放っていた。

「ほう…」

「わぁ…」

「綺麗な石ですね。」

「おじちゃん、これ、なんて言う石?」

順に感嘆の声を上げる4人。最後のコクリコの質問にロランスは丁寧な口調で答えた。

「これは、アマゾナイトという石で、春の空の色に似ていることからホープストーンとも言われているんです。」

「へぇ〜」

4人が一様に感心した様子で頷くと、ロランスは蓋を閉じて包みを元のように被せた。

「さるご婦人から売って頂いたものなのですが…いやはや、コクリコが拾ってくれたので助かりました。
 それでは、私はこれで失礼します。」

「うん、バイバイ、おじちゃん!」

元気良く挨拶を交わしたコクリコに、ロランスは軽く手をふってその場から離れていった。
4人でロランスの後姿を見送ったあと、誰に示されたわけでもなく、全員がゆっくりと雲が流れる空を仰いだ。

「春の空色かぁ…」

「そういえば、大神さんと初めてお会いした空も、そんな色だった気がします。」

コクリコの呟きに続いて、エリカがしみじみと言った。
グリシーヌも花火も、胸にはいろいろな思いが去来していた。

「そろそろ、半年になるのか…」

「イチローも、この空を眺めているのかなぁ。」

「そうですね…そうだと、いいですね。」ふっとお互いにお互いの目を見て微笑みあう。
そんな四人を、強い南風が包んだ。
陽光を浴びる巴里の都は、出会いと別れの季節―――春を迎えようとしていた。



   END

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