井戸端回顧録


 木々のカラーが一色になる立冬も過ぎた頃。大帝国劇場の事務局ではいつもと変わらぬ音が響いていた。
紙をめくる指の滑る音、ペンを走らせる音、時計が針を刻む音―――そして

「ああ、もう……毎日毎日なんで書類で埋まっていくのかしら?」

 存在感と美しさで人の目を引く百合の花のごとく、その魅力的な喋りとモダンガールっぷりで人気を集める事務局の花、榊原由里の声。
噂話に目がない彼女は「黙っている」という行為が苦手らしく、仕事中もよく口を開く。

「ねぇ…かすみさん。一息つきません?」

自分と対して黙々とデスクワークをこなす女性に甘えた声を出す。
その声と仕草に、普通の人ならば「しょうがない」と休憩にしてしまう所だが、相方と呼んでも不自然ではない付き合いの彼女―――素朴なれど純白の美しい、かすみ草と同名の事務局のもう一つの花、藤井かすみはそんな事では靡かない。
自分のペースの柔らかい口ぶりで言葉を返す。

「そうね……じゃあ、今やってる仕事が一段落したら、お茶にしましょうか。」

 手を休めずに、こちらに少し微笑むとかすみは涼しい顔で作業再会を促した。
由里はその顔に逆らわず、言葉の条件を頬を膨らませつつも素直に受け入れると、少々げんなりした顔で目の前の書類との戦いを再開した。




「……………これで…終わり!
 かすみさ〜〜ん!こっち終わりましたよ〜!!」

最後のチェックを終えた由里の声が高らかに響く。開放感に溢れた顔で書類をまとめ、かすみに手渡す。
かすみは軽く書類をチェックすると、自分が今さっきまで奮闘していた書類と重ねて書棚へ収め、由里に笑顔を向けた。

「お疲れ様。じゃあ、お茶にしましょうか。」

「さんせ〜い!」

由里が元気よく手を上げて意思表示したと同時に、時計の鐘が三回鳴った。

「あら、ちょうど三時だったんですね。」

「本当……仕事してると時間が立つのが早いわねぇ……」

「ねぇねぇ、かすみさん。どうせだったらみんなでお茶にしません?
 売店も今は暇な時間ですし……みんな誘って。」

由里の提案に、かすみは二つ返事で返す。

「そうね、そうしましょうか。
 じゃあ、呼んで来てくれる?私はお茶の準備をしているから。」

「わかりました〜じゃあ、呼んできますね。」

そう言いながら、由里は元気よく扉を開け、廊下へ出て行った。
それを目で見送ったかすみは慣れた手つきで人数分の湯飲みとお茶菓子、それに急須を用意して由里の帰りを待った。

「今日は賑やかなお茶になりそうね。」




 程なくして、由里が二人の女性を連れて帰ってきた。
 一人はこれからが見頃を向かえる椿と同名の売店の元気な花、法被がよく似合い、笑顔が愛らしい高村椿。
彼女をいれた、かすみ、由里、椿の事を“帝劇三人娘”と呼ぶ者もいるくらい、二人とは仲が良い。
もう一人は、姉の名あやめとは正反対の季節の風物詩、楓の名を持つ美しい帝劇の花、藤枝かえで。
 花組とはまた違った人気を集める花たちである。

 女性の話題は尽きないもので―――事務局はすぐに彼女たちの会話で賑わった。

「花組の皆さんも誘えたら良かったのに〜…」

「しかたないわよ、椿。みんな雑誌の取材で浅草に行っているんだから。」

「あたしも行きたいな〜…そろそろ新しい商品が売り出させる頃だし。」

「もう、由里ったら……この前新しいバッグ買ったばかりじゃない。」

「あれはあれ、これはこれよ。バッチリきめて、今度新しく出来た写真館にでも行こうかな〜って思ってて。
 そのためにはいろいろ見ておかなきゃ!」

「そうそう、写真と言えば……かえでさんのアイディアの新商品、大ウケですよ!
 どんどん補充しないとすぐに売り切れちゃうんですよ〜」

 みたらし団子を口に頬張る合間に、椿が売店の新商品の売上が上々で嬉しい悲鳴をあげている事をかえでに報告する。
かえでは、普段は飲まないグリーンティーの風味を楽しみながら、飲み込んだ後に微笑んで返した。

「あら……本当?アイディアを出した人間として嬉しいわ。」

「ああ、あのブロマイドセットの事ですね。」

かすみの当たり言葉に由里が醤油煎餅に手を伸ばしながら続ける。

「セットにしてあの料金…コストも総天然色じゃないから楽よね〜
 何でもっと早く思いつかなかったのかしら?」

「……以前の彼女たちだったら、そこまで売れなかったと思うわ。
 今だからこそ、あのブロマイドは魅力的なのよ。」

「?どういう意味ですか??かえでさん???」

かえでの言葉の意図がわからず、首をひねる由里。他の二人も同じであった。
少しの笑顔に乗せて、かえではヒントを出す。

「彼女たち、ちょっと変わったと思わない?」

お互いに顔を見合わせて花組の様子の記憶を探る。
断片的な記憶を揺り起こし、次に続く思い出を浮かべつつ言葉にする。

「そう言われれば……米田支配人から大神さんの留学の真相を聞いた後と…
 巴里から帰ってきた後でちょっと感じが変わったような……」

「落ち着いた感じがしたような……」

「そうそう、そうよ!確かにちょっと変わったわ。」

自信なさげなかすみと椿の言葉を受け、由里が記憶から確信のある出来事を引っ張り出せたようだ。
そのまま忘れる前にという勢いで口を開く。

「紅蘭の爆発の回数がかなり増えてたわよ。
 巴里に行く前は一日に三回ぐらいざらじゃなかったもの。
 部屋にこもりきりになる事もなかったし……なんだか、ぼ〜〜っとしてたわね。」


―――あかん…!またやってもた〜〜これで三度目や……
   何でこないになるんやろ……?はぁ……………
   !あかんあかん、集中せな!!
   ……………………………………………………………あっ
   ま、またやってもたぁ〜〜〜……


「それが帰ってきてからは、爆発回数が三日に一度あるかないかに変わったんですよ!
 よく徹夜もするようになったみたいだし……まぁ、これはこれで心配なんだけど……」

「あ、だったら…さくらさんやアイリスもなんだか変わってましたよ。」

由里の言葉が紐解きになったのか、椿も口を走らせる。

「さくらさん、中庭で木刀を一日中構えていた時があったんですよ。
 それが、凄く怖い顔で……必死そうな
 でも、なんか心ここにあらずって感じもしてました。」


―――心を鍛えるには、ただ無心になり集中し、精神統一……………
   …〜〜ダメだぁ……!!うまく集中できない…
   …お父さまはあの時迷いのない、いい剣を使うようになったと言って下さったけど…
   まだまだです…さくらはまだまだ未熟者です。


「アイリスは、帝劇の中を慌しく行ったり来たりしてましたね。
 売店にいた時だけでも、ずいぶん見ましたよ。」


―――ジャンポール、あっちに行こう。
   …やっぱりこっち!………違う…いいや、向こうに行こうっと……
   あ〜あ………アイリスにも鳥さんみたいな羽があったらなぁ……
   いますぐ飛んでっちゃうのになぁ…飛んでいきたいな…会いたいな…


「それが、二人とも帰ってきた後はずいぶん落ち着いていたみたいです。
 元気ですけど、かなり静かですね。」

「かすみさん、何か他にありますか?」

椿の話を聞き、話題に興味を持った由里はさらに情報を深めようと、かすみに話を振る。
かすみは手をあごに当て、頭の中の日記を遡りながらぽつぽつと思い当たる節を音にする。

「そうね……えーっと……
 すみれさんは毎日、出かけてたみたい。
 でも、なんだか浮かない顔してたわね。」


―――……はぁ…なんだか気分が乗りませんわ。
   …気晴らしにもならない…辛くなるだけ……
   でも……ただじっとしているよりはマシですわ!
   ああ、もう!!じれったいですわ!!
   こんな気持ち……もう二度と味わいたくありませんわね。


「織姫さんは音楽室に缶詰状態かと思えば、屋根裏部屋でぼんやりしてたり……
 今思えば、確かにいつもと違っていたわね。」


―――ダメでーす!!全然イメージがわきませ〜ん…!
   ちょっちブレイクしま〜す……
   …はぁあ…モヤモヤが全然晴れませーん……
   パパ…ママ……こんな時はどうしたら良いのでしょー…??


「巴里から戻ってきた後は、すみれさんは出かけるときには晴れやかな顔してましたし
 織姫さんはイメージ通りの曲が書けたってご機嫌でしたね。
 本当、みんな変わってますね。
 あ、そう言えば……」

「何々なに?」

 話していくうちにまた別の記憶に辿り着いたらしいかすみの次の言葉を、由里が目を輝かせながら急かす。
お茶で喉を潤し、一息ついて、かすみは話を続けた。

「もう仕事が終わって帰るときだったのだけど、マリアさんとすれ違ったのよ。
 その時のマリアさん、なんだか空ろな目をしていて……
 思わず声をかけたときは、いつもの顔だったんだけど……
 あの目はマリアさんらしくなかったですね。」


―――かき消したい思い。酒で消せるものなら良いのだけどね…
   酔えないものを飲んでも、仕方ないわね。
   射撃場に行って、少し訓練してこようかしら……それとも書庫で本を…
   …集中して、取り組めるものであったらなんでもいいわ……
   とにかく、何か動きたい。でないと……崩れそう…
   私は…弱くなるばかりね……


「今では、そんな事無く…いいえ、なんだか前より大人っぽさが増したような気もしますね。」

「大人の女の魅力ってやつかしら?」

由里が最近のマリアや他のメンバーの様子を思い浮かべて相槌をいれる。
そのまま言葉を続ける。

「そうそう!カンナさんもですね。
 食べる量が半端じゃなかったですよ。
 もう、胃袋に底がないのかって思わずにはいられないくらい!
 それに黒子さん達の情報によると、鍛錬室にこもってたらしいですよ。
 サンドバックもしょっちゅう取り替えていたみたいだって言ってたし……」


―――えいっ!やぁっ…とりゃあぁぁぁっ!!
   あ……またやっちまったな…後で新しいものと取替えとかねぇとな……
   …くそっ……全然スッキリしねぇ…まだまだ、修行が足りねぇって事かね。
   日々精進!!……だな。それしかねぇんだ、今のあたいに出来る事は……
   ………メシ食ったらもう一度だ!


「じゃあ、今は収まったみたいですね。」

先日、食堂でカンナと同席した椿がニッコリと笑う。
 ここまで振り返ってみて、確かに変化があった事を確認した三人は互いに目を合わせ、特に気に止め続けなかった自分たちに苦笑いをした。

「たしかに、微妙ですけど、凄い変化ですね。
 あれ?そう言えばレニだけは見かけてないわねぇ……レニだけ何もなかったのかしら?」

「あら、そんな事ないわよ。」

 今まで、三人の回顧録を静かに聞いていたかえでが口を挟む。
変化に一番鋭かったかえでの発言に三人は一斉に注目した。かえでは、その視線をちょっと照れくさそうに受けながら、言葉を続ける。

「私が何も言わずレニの後ろに立っても、投げる気配がまったくなかったのよ。
 それに、ちょっと階段を踏み外しそうになる所を何度も見たわよ。
 それと……フントと遊んでいるときも、ぼーっとしてたみたいね。」


―――変だ。注意力散漫だ。
   ……こんな感覚は初めてだ。
   こんなときは…どうするべきなのだろう?
   わからない………
   …ボクは……どうすればいいんだろう?どうなっていくんだろう?
   ………わからない……


「帰ってきてからは、何か吹っ切れたみたいね。
 前よりも、魅力的な笑顔を見せるようになったわ。
 レニに限らず、みんなもだけど。」

ふふっと、笑ってみせる。
かえでの笑顔に、三人は益々苦笑いを浮かべざる得なかった。
大神のいない日々の自分たちに精一杯で、こんな事にも気づかなかったなんて。

「かえでさん、あたし…わかったような気がします。
 あのブロマイドセットが好評なわけが……」

椿が、冷めつつあるお茶を持ちながら呟いた。一気にお茶を喉に流し込み、自らの考えの結論を口にする。

「みなさんの新しい魅力が、あのブロマイドで形になったからなんですね。」

その言葉に、自分も同意見だ。と、かすみも由里もかえでを見る。
三人の推論に対し、かえでは何も言わず微笑んだ。



黒茶色の写真は、ノスタルジアな雰囲気漂う写真。
セピアの写真は、暖かくて優しい雰囲気漂う写真。
その心の旋律は、アンダンテのリズム。
だから、だから――――――――






「?さくら、何止まってんだ?早く行こうぜ!」

 カンナの声に、帰路につく途中であった花組全員の足が止まる。
振り返ると、さくらが一枚の写真を持って空を見上げていた。

「あ、はい。今行きます。」

全員の足が止まったと同時に我に返ったさくらは、早歩きで他の花組メンバーの輪に追いつく。

「どうかしたですか〜?ボーっとして……」

「いえ、ちょっと……この前巴里に行ったときのことを思い出して……」

織姫の率直な疑問に、さくらは決意を秘めた少し遠い目をして答える。

「さくらぁ…その写真なに?」

今度はアイリスの素朴な疑問に、笑顔で答える。

「ん?ああ、これはねアイリス……この前撮ったブロマイドのためし撮りの写真よ。」

「ああ、あのみんなで撮ったヤツやな。
 なんや、持ってきてたんか?」

紅蘭がさくらの手にある写真を覗き込む。
写真にはいつもと同じ笑顔、でも明らかに前とは違う笑顔で花組八人が写っていた。

「あの撮影は、いつになく順調でしたわね。
 まぁ、これもひとえに…わたくしの美しさの賜物ですわね。オッホホホホホ……」

「このブロマイド……ずいぶん好評みたいだね。椿が言ってた。」

すみれの言葉に相槌はいれずに、レニがマイペースで言葉を紡ぐ。

「ふふっ…そうみたいね。」

「皆さんが気にいってくれるのは、嬉しい事よね。」

「そうですね、マリアさん。
 あたし…この写真ずっと持ってようと思うんです。」

「何故ですか〜?」

全員の視線を浴びながら、さくらは空を仰いだ。
雲が流れる。西へ流れる。

「……巴里に行く前は、いろいろと不安だったんです。
 でも、大神さんは……あたしたちの隊長のままでした。それが、凄く嬉しかったんです。
 今思うとバカみたいな不安ですよね。」

 さくらの言葉に、全員同調した。みんな、同じ気持ちだったから。
そして、さくらの次の言葉も、全員共通の決意であった。

「大神さんは…人々を…平和を守る為なら、どこであろうとその任務を全うします。
 巴里でも…大神さんは、自分の信念を貫いてくると思います。
 そんな大神さんが…安心して帰ってこられる「家」は…大帝国劇場だって信じています。
 だから、あたしは帝都と人々を守り、大神さんが帰ってこられる「家」を守っていこうって決めたんです。
 大神さんが帰ってきたら、笑顔で迎えようって……決めたんです。」

 写真のさくらも笑顔も輝いているが、さらに磨きのかかった輝く笑顔を浮かべる。
そのさくらの笑顔に、花組全員が負けない笑顔を見せた。
私たちも同じだから。同じ気持ちだから。
みんなの反応に、さくらは写真をみんなの方へ向ける。

「そう決めた矢先に撮ったこの写真に、その決意を込めたんです。
 だから、ずっと持っていようって。」

「……そうか。頑張ろうな、さくら!」

「はい!」

カンナが皆を代表し、万感の思いを込めて、さくらの背中に手を当てる。
それの答えとして、さくらは力強く返事を返す。

「……それじゃあ、そろそろ戻りましょうか…私たちの家に。」

 マリアの声が、夕暮れに優しく響いた。












「巴里に行って、みんな一皮むけたってトコね。」

 今日一日の仕事を終え日記をつけるかえでが誰に言うわけでもなく、言葉を発する。

「……そうね、ステップアップにはちょうどいいかもしれないわね。
 帝国歌劇団としても、帝国華撃団としても……」

副支配人と副指令の顔つきになり、かえではいくつかの書類を検討し始めた。




数日後―――米田、かえでを通じて花組に次回公演の演目が発表された。
花組に冒険させようと、演目変更を考えた結論は……

泉鏡花・原作「海神別荘」

太正6年に発表された戯曲であった。




だから、だから―――
いつでも帰ってきてくださいね。
そして、新しい私たちを見てください。
また桜の季節を一緒に過ごしましょうね。



                     END

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