決断は速やかに、行動は大胆に。



考えてみればこれほど顔を見ていないのは初めてではないだろうか。
正月ぐらいは帰ってくると思っていたのに手紙の様子だとそれも出来ず、このままだと直接会えるのはまだまだ先になってしまうかもしれない。
さてどうするべきか。


事務局で次回公演に必要な書類に目を通していた大神は、座ったまま肩を鳴らして外を見た。
まだまだ寒さは残っているが室内に差し込む日差しは暖かく、一歩ずつ春に近づいていることを物語っている。

「一休みしますか?」

そう問い掛けてきたのは隣で手伝いをしていたマリアだった。

「そうだな……一息入れるか。」
「じゃあ、お菓子持ってきますね!美味しいカステラを買っておいたんです〜」

ウキウキと席を立った由里にかすみは苦笑を浮かべながらも、手早くお茶を煎れ始める。

「あ、そう言えば大神さん宛てにお手紙が来ていました。」

急須を湯のみに傾けながらそう言うと、引き出しから一通の手紙を向かいに座っている大神に差し出した。

「今朝の配達で届いたものです。」
「ありがとう、かすみくん。」
「なになに?大神さんにラブレター?」
「由里くん、そんなんじゃないよ……いいっ!?」

くるりと裏面の差出人を確認して大神の声が裏返る。
慌てて封を破り中身を取り出した大神は食い入るように文面に目を走らせて立ち上がった。

「どうなさったのですか?」
「もしかして、ビンゴ?」

驚いたマリアと上目遣いにラブレターかと聞く由里に大神はゆっくりと首を振って声を絞り出した。

「……実は…」

本題に入る前に、大神の耳がロビーから聞こえる微かな声を聞きつける。
その声に確信があった大神は手紙を内ポケットにねじ込んで駆け出した。

「大神さん!?」

残された三人はそれぞれに困惑の色を浮かべる。
とりあえず、大神のあの様子はただ事ではない。
顔を見合わせて頷いた三人は大神の後を追ってロビーへと向かった。



椿は己の城とも言える売店の様子を改めて見て満足げに頷いた。

「やっぱりお掃除した後は格別に気持ちいいですね〜さくらさん、手伝ってくれてありがとうございました!」

反対側を向いてぺこりと頭を下げた椿の目の前には、袖をたすき掛けをしてモップを持ったさくらがいた。

「どういたしまして。」
「お、さくらに椿!掃除終わったのか?」

頭上から降ってきた威勢の良い声に顔を向けると、カンナとレニが階段を降りてくるところだった。

「はい。カンナさんたちは鍛錬ですか?」
「ああ。これから地下のプールでな。終わったならさくらも一緒にどうだい?」
「そうですね………あら?」

思案顔のさくらだったが、玄関の開く音に反応してそちらを見るとそこには一人の女性がボストンバッグと白い日傘を手に立っていた。

「なかなか立派なものだな!東洋一の劇場と謳われるだけはある…ああ、そこの君たち。大帝国劇場はここで合っているな?」
「は、はい。そうですけど……すいません、まだ準備中なんです。」

最初に女性と目が合ったさくらがそう告げると、女性はボストンバッグを床に置いて辺りを見渡しながら返事を返した。

「それは問題無い。それよりもここのモギリ…じゃない、今は支配人だったな。会いたいのだが、何処に居る?」

大神を訪ねる見知らぬ女性。さくらと椿、カンナとレニがそれぞれに顔を見合わせる。

「あの、失礼ですがどちら様でしょう?」

再びさくらが控えめに訊ねると、女性はにっこりと笑った。

「誰だと思う?」

余裕綽々にそう切り替えされるとは思わなかったさくらはムッと眉を寄せた。
そのやり取りを聞きながら、カンナはちらりとレニを見る。先ほどは一瞬表情が崩れたが、今は緊張を湛えている。

「……あの人、隙が無い。」

日傘を肩に担いでいるだけだが、仮に今この人に攻撃したら即座に切り替えされることが容易に想像できる。
視線に気付いたレニが小声で呟くとカンナも頷いた。

「ああ…何者だ?」

4人の警戒をそよ風のように受け流し、女性は悠々と笑顔を見せる。

「たっだいま〜!」

一触即発な空気に切れ込みを入れたのは玄関を開けて入ってきたアイリスと紅蘭、織姫、そしてすみれだった。

「すみれさんとも鉢合わせたから、連れてきたでーす!」
「今日の浅草はお店がいっぱい出ててすごくおもしろかった―――」

だが、その明るい声も見知らぬ女性に気付いた途端萎んだ。

「な、なんやこの状況は?」
「どちらさまですの?」
「それを今当ててもらっているところだ。」

すみれたちにもニコニコと問いかける女性に、疑惑の目はさらに増える結果となった。
だが、そんな中アイリスだけがきょとんとした表情で首を傾げた。

「お兄ちゃん…ううん、新兄ちゃんと似てる…?」
「新クンを知っているのか。」

パッと表情を輝かせる女性に、疑惑とは違ったざわめきが走る。
アイリスの言う新兄ちゃんとは一年ほど前に紐育へと向かった大河新次郎のことだ。
旅立つ際に1日だけではあるが、帝劇に滞在していたため花組全員彼のことは知っている。
あの親しそうな呼び方からこの女性の素性を改めて推測しだす面々だったが

「姉さん!!」

答えを出すよりも早く食堂へと向かう廊下から声が飛び込んできた。
その声が大神のものだと認識した途端、ロビーと、廊下の奥との方々から驚きの声が上がった。
大神に姉と呼ばれた女性は先程までの飄々とした態度を一瞬で潜ませ、眼光鋭く手にした日傘を構えて床を蹴り大神との距離を詰めた。
大神はとっさにすぐ隣りに立っているさくらが持っていたモップを掴む。
それを使い、日傘が軋む程の重く素早い一撃を何とか受け止める。
一瞬の出来事に呆気にとられている周囲を気にとめず、大河双葉はニヤリと笑った。

「よしよし、稽古は欠かしてないようだな。」
「……姉さん、相変わらずだね。」

大神は苦笑混じりにそう言うしかなかった。



あの場の空気を言い表すのならば青天の霹靂しかないと、一人出遅れたかえでは冷静に分析した。

「いやあ、あそこまで驚いてくれるとは思わなかったぞ。」

出された紅茶に口をつけた双葉は目の前に座る弟に愉快だと楽しそうに笑った。
かえでは何気なく辺りを見渡し、サロンに集まった花組それぞれが複雑な思いを抱えていると確認した。

「手紙の到着が遅れたのか。それは災難だったな。」
「いや、その点については姉さんの方が予定がずれるから災難じゃ…」
「それは構わないよ。どうせ長旅なんだから1日や2日ぐらい大して問題ではない。」

かえでの提案でサロンに場所を移した一行は双葉の話を聞いていた。
曰わく、愛する息子が帰ってこられないのであれば自分から会いに行こうと紐育へ行く決心をし、どうせならば同じ道のりで向かおうと考えてその事をよく知っているであろう大神のもとを訪れたそうだ。

「まぁ、一クンの様子も見たかったしな。お前というやつは私の弟のくせに筆無精なんだから。新クンなんて毎月ちゃんと手紙を送ってくれるんだぞ。」
「ああ、そういえば俺宛てにも毎月届くな…」
「その口振り…返事を一度も書いてないな。稽古を欠かしていないのは感心だが、礼儀を欠いては恥だぞ。」

正論なだけになにも言えない大神は粛々と頷いた。

(お兄ちゃんのお姉ちゃん、すごいね。)
(いや〜、こないな大神はん初めて見るで。)

双葉と大神から一番離れた席に座っていたアイリスと紅蘭が小声で極めて珍しい状況について話すと、視線を花組へと巡らせた双葉と目が合い、パッと姿勢を正す。

(……なんだか、すごい人ですね。)

さくらがかなり小さな声で呟くと、サロンの扉が開き一枚の紙を持ったかすみが現れた。その後ろには当然のように由里と椿もいる。

「明日の朝出航の券を手配できました。」
「ご希望通り航路も、船のタイプも、全部大河さんが紐育に渡ったときと同じものですよ。」
「ありがとう、三人とも。」

大神が礼を言うと、双葉も満足そうに頷いて頭を下げた。

「姉さん、宿は決まってるの?」
「いや。これから手配するつもりだが…」
「じゃあ、今日はここに泊まりなよ。」
「それは助かる。では、ここは甘えさせてもらおうか。」

双葉の滞在が決まると、遅れてやってきた三人も空いている席に座って話に加わる。
そして、早速由里が身を乗り出してきた。

「ところで、双葉さん……大神さんの小さい頃ってどんな感じだったんですか?」
「ゆ、由里くん!?」
「そうだなぁ…」

聞きたくて聞きたくてしょうがなかったんですと目を輝かせる由里の質問に大神は目を剥くが、双葉はそれを気にせず腕を組んで天井を仰いだ。

「何にでも一生懸命ではあったな。意外と意地っ張りで、喧嘩しても絶対に泣かなかったし、稽古でどんなに張り倒しても向かってくる根性は認めていたぞ。あと、新クンがやたら懐いてな…そのせいか、新クンや他の弟たちの前では特にお兄ちゃんを意識していて、微笑ましかったぞ。」

全員が双葉の話を食い入るように聞いていた中、当事者だけはどこか居心地が悪そうだったがそれを気に留める者は誰もいなかった。

「では、支配人の剣術を手ほどきしたのは……」
「ああ、私だ。私の弟なだけあってなかなか筋が良くてな。鍛えるのは楽しかったぞ。そういえばあの子はどうしてる?士官学校で一緒だった…」
「加山さんも知ってるですか?」
「ああ。あれもなかなかだった。」
「加山なら、今は紐育にいるよ。」
「そうか!なら向こうで会えるかもしれないな。」

このとき、大神の脳裏には慌てふためく加山の顔が浮かんだ。新次郎に会うのならば、加山と顔を合わせる確率はかなり高い。
思い出話が一段落したところで今度はカンナが身を乗り出してきた。

「……なぁ、双葉さんに頼みたいことがあるんだけどいいかな?」

その瞳は子供のようにワクワクしているようにも強者を前にして興奮を隠しきれない格闘家のようにも見える。

「あたいと勝負してくれないか?」

予想通りの発言だと大神が頷くと、双葉は目をキラリと光らせて立ち上がった。

「ああ、いいぞ。見たところ君は骨がありそうだ。他にはいないか?」

双葉がサロンを見渡すと、花組全員が立ち上がった。

「あっはっはっ!よし、今日は存分に稽古をつけてやろう!」

上機嫌に笑う双葉に、表には出さないものの自分を知ってもらう良い機会だと息巻く花組に挟まれた大神は人知れず息をつく。
それを見たかえでとかすみ、由里、椿は目を合わせてそっと笑った。
今日の帝劇はいつにも増して賑やかになりそうだ。




「……なんだか、大神さんが丈夫な理由がわかった気がしまーす。」

それから数時間後。
すっかり日が暮れて室内の明かりが煌々と光る時間となった食堂。

「あの人に鍛えられたのなら納得でーす。」

カウンターにもたれながらそう呟いたのは先ほどまで中庭で行われていた稽古を見ていた織姫だった。同じく終始見学だったアイリス、紅蘭も頷く。

「いや〜…あの四人があそこまでバテバテになるなんてなぁ」
「でも、みんななんだか楽しそうだったね!」
「いつも同じ相手か個人訓練だからいい刺激になったみたいね。」

マリアの声だけが一人遠い。彼女はカウンターから離れたキッチン内部で鍋の火加減を見ている。

「マリアすまねぇな、今日の当番はあたいなのに…」

その隣には一足早く風呂から上がってきたカンナが申し訳なさそうに苦笑いを浮かべている。

「つい夢中になっちまって仕込みの事、すっかり忘れてたよ。」
「気にしないで。私もレベルの高い稽古が見れて勉強になったわ。」

双葉に挑んだのはさくら、すみれ、カンナ、レニの四人だった。
双葉は前者二人には剣術、後者二人には柔術で相手をし、みっちりと稽古をつけた。
まだ春の入りで気温はさほど高くないものの、さすがに汗だくになった稽古の面々は先に風呂に入り、その間に見学組が夕飯を準備するという流れに自然となった。
特製ボルシチの出来を確認したマリアは満足そうに小さく頷いて火を止めた。

「さぁ出来たわ。」
「わーい!マリアのボルシチだ〜い好き!じゃあ、これ並べるね。」

マリアが銘々に取り分け、カンナがカウンターに次々と並べるボルシチをアイリスがパタパタとテーブルに運ぶ。
その間に紅蘭は水を、織姫は必要な食器類を並べていった。

「見事な連携だな。」

湯上がりのさくらたちに食堂に案内された双葉はその様子を見て声に出す。
指示を出されなくとも、みんなが自分の成すべき事を理解して動いている。

「みんな、今日はかすみくんたちも一緒に食べたいって言ってるんだけど…」

感心していると、その後ろから大神が顔を出してきた。質問に答えたのはマリアだった。

「そうくると思って多めに用意しておきました。」
「さすがだね。じゃあ、伝えてくるよ。」

返事を聞くなり事務局へとって返す。
数分後に三人娘、かえでと共に食堂に戻ってきたときにはもうすっかり食事の準備は整っていた。
全員が着席し、始まった晩餐はいつになく賑やかで笑顔に溢れている。その笑顔の中心にいるのが弟だと、その弟が肩肘張ることのない様子なのを見た双葉は勝ち気な笑みとはまったく違う穏やかな笑みをこぼしす。

(ようやく一人前の兆しが見えてきたな。)

彼女たちが弟を支え、平和を守るというのならば安心だ。



楽しい時間はあっと言う間に過ぎる。
そういう意味では毎日がそうなのだが、今日は特にそう感じた大神は僅かに残った今日を振り返るようにテラスから銀座の街並みを眺めていた。

「夜風にあたり過ぎると体に悪いぞ。」

そこへ、肩にショールを羽織った双葉がやって来た。
大神の隣りに立つと同じように夜景を眺める。

「今頃紐育は朝か…新クンは今日も元気に頑張っているのかな。」
「新次郎のことだから大丈夫だよ。新次郎から弱音の手紙は一度も来てないし、きっと日本にいた頃より大きな男になってるよ。」
「そうか…それはよかった。ますます会うのが楽しみになってきたぞ。」

時折見せる優しい母の顔になっている双葉に大神も穏やかな気持ちで夜景に視線を戻したが

「二足の草鞋は、なかなかやりがいがありそうだな。」

続いた双葉の言葉に思わず顔を再び双葉へ向ける。
華撃団については、一言も触れていないはず。
だが、双葉は手を腰に当てて胸を張る。

「私を誰だと思っている?」

その一言で、大神は苦笑をこぼす。最初からお見通しだったわけだ。

「…ああ。米田さんからその座を譲り受けて、その大変さが身に沁みるよ…俺たちを本当に大事に守ってくれたことも。」

華撃団総司令として、歌劇団支配人として同じ立場に立って初めて見えた、知ったことがたくさんある。

「やっぱり俺もまだまだ精進しなくちゃいけないな。弱音を吐いていたら新次郎に合わす顔が無いしね。」
「あはは、そういう所は昔と変わらないな。」

確かに目の前の弟は成長した。だが、幼い頃に好ましく思っていた部分は少しも濁っていないことが嬉しくて双葉は声を上げて笑う。

「…一クン、少し屈め。」

だから、心の底に不安があるのも手に取るようにわかった。
言われるまま身を屈めた弟の額を双葉は軽く弾く。

「いいか。どうすれば一番良いか、なんて誰にもわからん。だから、自分が正しいと信じる道を進めばいい。」

双葉の言葉に、大神の心臓が跳ねる。
姉の目は清々しいまでに真っ直ぐだ。

「自分を信じろ。自分を信じてくれる仲間を信じろ。挫けずに突き進め、大神一郎!」

言葉こそ違えど、その真意はかつて新米だった自分を支えてくれた人と同じもので。
初めて心惹かれた、今は亡き人の面影が心をよぎり大神はこっそり苦笑した。思っていた以上に自分の中で姉の存在は大きいようだ。

「…ありがとう、姉さん。」

大神の表情がすっと落ち着きを見せたのを確認した双葉は一つ頷いてきびすを返した。

「さて、明日は早いのだろう。私は先に休ませてもらうよ。」
「ああ、お休み姉さん。明日は俺が港まで案内するから…それにしても、一人で外国へ向かおうとするなんて思わなかったよ。」

素朴な感想に、双葉はガラス扉に手をかけてニヤリと笑った。

「思い立ってしまったからな。そうだ、そのついでに巴里まで足を延ばしてみようか。」
「……姉さん、それはまた改めての方がいいと思うよ。行き帰りだけでひと月かかるんだから…そんなに家をあけておくわけにはいかないだろう。」
「わかっている。冗談を真に受けるな。」
「………」

姉の場合本気でやりかねないと大神は心底思ったが、口には出せなかった。



紅蘭が発明したおしゃべりキネマトロンに慌てふためいた大河の書き込みがあったのは、それから一月後だった。

「大神さんには手紙を出したのに、新次郎さんには何にも連絡を入れなかったのでしょうか…」
「姉さん、新次郎を驚かすの好きだからなぁ……」

弟に容赦ない姉だが、息子にはもっと容赦のない母であった。
それが愛情故の行動だとわかってはいても、さくらの呟きに大神は目を閉じて唸った。



    END


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