心の天気


   晴れているのに雨が降る
   灼熱の砂の上に雹が降る
   花咲くうららかな日に雪が降る

   天変地異などではない。よくある事。
   心の四季はでたらめで、天気はいつも唐突。



『…最後に天気予報です。
昨夜お伝えした台風一号が本日、昼過ぎには本州に上陸するでしょう。
午後に予定のある方は戸締りをしっかりとして、傘を持ってお出かけ下さい。』

 天気予報ほど曖昧なニュースはないが、この大きな予報は的中したらしい。
風が強く湿ってきている。空も鉛色に染められとてつもなく重い。

(向日葵も、太陽が恋しいでしょうね。)

 遥か下の中庭で、鮮やかな黄色で太陽への思いを表している花を見て苦笑する。

「お〜〜い!マリア、そこの板取ってくれ〜!」

 後方から聞こえていた鉄鎚の音が途切れ、代わりに自分の横に無造作に置かれた木材を求める声が耳に入った。
彼女の作業の進み具合を見て、一番適切だと思う大きさの板を手渡す。

「はい、カンナ。」

「サンキュ。」

短い受け渡しに短い返事を返して、カンナはまた鉄鎚を叩き始めた。
何度かそれを繰り返す。

「よ…っと。
 …よっしゃ、補修作業終了!!」

 カーンッと最後に締めの音を出して両手を上げるカンナに、マリアは「お疲れ様。」と声をかける。

「買出しはこの前行ってきたし、これで台風が来ても大丈夫ね。
 それにしても……去年も思ったけど、カンナって台風に強いわよね。」

ガタガチャと使わなかった木材を担いで、屋根裏部屋へ下りたカンナにマリアは独り言のように呟く。

「ん?まぁ、あたいが住んでいた沖縄はしょっちゅう台風にあってたからな。慣れっこだよ。
 でも、いくつになってもワクワクするんだよなぁ。」

「ワクワク?」

 マリアも室内に戻り、使わなかった木材を大道具部屋に返しに向かう途中のカンナの言葉に首をかしげる。

「ああ。
 風がビュービュー言ってて雨が窓を叩いて、外ではバケツや傘が転がって…
 子供の頃、ちょっと怖かったけど外に出たくてたまらなかったんだ。
 だから、今でも台風が来るとどうにもワクワクしちまうんだ。」

カンナは生き生きとした目で話をする。
カンナにとって子供時代の台風到来は楽しい思い出のようだ。
マリアは好意的な笑みで「そう。」と返す。


 その日の夕方、予報より少し遅れて雨が降り出した。






 打ち付ける雨と風は全ての音を締めていた。往来を行き来する蒸気自動車の音も、人々の話し声も今夜はまったく聞こえなかった。

(そろそろ見回りに行かなくてはね。)

 読みかけのページにしおりを挟み、懐中電灯を片手に帝劇内の見回りを開始する。
本来ならば、この仕事は花組隊長である大神の仕事なのだが、彼が不在の期間は副隊長であるマリアが勤めることになっている。
 いつも以上に念入りに戸締りを確認する。ガタガタと風で窓が音を立てる。

(ワクワクする……か…―――――)

昼間のカンナの言葉を思い出す。とても彼女らしい言葉だと思う。

(私には…そんな風に考えられないわ。
 こんな日は、心の底が不安で締め付けられる…)

 ある部屋の前で歩みを止めてじっと見つめる。遊戯室の隣り、今は誰もいない部屋。

(隊長……)

こつん、と扉にひたいを当てる。
ひたいを通して全身に主のいない部屋の冷たさが伝わってくる。

―――そして、心に雪が降る。








 深い深い雪だった。何処までも続く白い大地。
 晴れた日は見通しも良く、歩きやすいがひとたび厚い雲に覆われれば風と雪が視界を狭める。
 それでも、前を行く大きな背中がしっかりと見えていたので、迷う事はなかった。

 しかしある日、その背中が消えた。
 代わりに白い大地が赤に染まった。
 雪もこの日は止んでおり、やけに鮮やかだった。

 次の日から、また雪が降った。
 以前にも増して激しい降りだ。視界は見えないに等しい。
 ただ、いくら歩こうとも足元には常に白に混ざった赤黒い大地があった。

 しかし、ある日を境に雪は降らなくなった。
 徐々にではあるが雪解けも始まった。

 視界が広がっていく。いろいろなものが見える。
 煌めく草原に色とりどりの花。
 そして、半歩先を歩く人影。

 不安で足を止めるといつも手を取ってくれた。
 泣いた日は優しく肩を貸してくれた。

 けれど、今は手が届かない。
 遠い地に旅立った。
 笑って、それを見送った。
 でも―――

 また、雪が降るようになった。
 時折思い出したかのように、天然色をうっすらと白で埋める。








(ダメね…弱気になって。
 隊長がいない間、私がしっかりしなくてはいけないのに…)

自室に戻ってきたマリアは、自分を引き締める意をこめて両頬を叩く。
少し、その痛みが自分を奮い立たせたその時、机上のキネマトロンが鳴り出した。

(…誰かしら?こんな時間に……)

疑問を感じつつも、慣れた作業で起動する。
モニターに映し出されたのは米田だった。しかし、その表情は支配人室で飲んだくれている顔とは程遠い険しい長官の顔だった。
マリアの表情も自然と強張る。

「おう、マリア。こんな時間にすまねぇな。
 だが、事は一刻を争う。至急作戦司令室に来てくれ。」

「了解しました。直ちにそちらに向かいます。」

通信を切ると、弾かれたように扉を開ける。
と、その時。僅かに遅れて隣りの扉も開かれた。

「カンナ……!
 あなたも、米田長官に!?」

「マリアもか?
 こりゃあ…本気でただ事じゃなさそうだな。
 急ごう!!」

「ええ、そうね。行きましょう。」

 静かに、しかし急ぎ足で階段を下る。
最後の一段を下り終えたとき、さらに下の地下格納庫から上がってきた人物と鉢合わせた。

「あ、マリアはんにカンナはん!
 もしかして、お二人とも……」

「紅蘭……あなたもなの?」

「せや、ついさっき米田はんからキネマトロンで通信が入ってな。」

「…こりゃあ、ますますただ事じゃねぇな……」

 本能的に悟った感覚をほぼ確信したカンナの言葉に、三人は顔を見合わせる。

「急ぎましょう。」

 ここまで来ると、足音を気にする必要もない。三人は駆け込むように作戦司令室の扉をくぐった。
 中にはいつもの席に腰掛けた米田が待っていた。身に纏う雰囲気が重い。

「米田長官、お呼びでしょうか。」

「うむ、全員来たな。まずは座れ。」

言われた通り、それぞれ集合時の席に座る。
三人の視線を一挙に受けた米田は、言葉を選びながら重々しく口を動かす。

「―――先日、巴里から連絡が入った。
 巴里華撃団が敵である怪人たちに敗北したと……」

静寂。まるで時が止まったかのように息が詰まった。
徐々に体が反応する。カタカタと小刻みに震えている。

「よ、米田はん……まさか………まさか!?」

突然降りかかった漆黒の光景を振り切りたい一心で、紅蘭が結果を急く。

そんなことはない、そんなことはありえない!でも―――――!!

「――……不幸中の幸いか、死傷者はいない。
 しかし、怪人たちの強さは圧倒的で、敵の蒸気獣と光武Fでは機体の性能差もあるそうだ。」

死傷者はいない―――ホッと胸をなでおろすが、それに続いた沈痛を残した米田の言葉に再び背が凍る。
つまり―――このままでは遅かれ早かれ完全敗北してしまう、という事だ。

「敗北後、再び怪人との戦いがあったが
 巴里滞在中のさくら、すみれ、アイリスの助太刀あって、無事に勝利したそうだ。
 だが、巴里華撃団自体の戦力は向上していない。そこで………」

「あたいたちに、助っ人に行けって事か?」

「外れちゃいないが、当たってもいねぇ。
 お前たちには巴里華撃団戦力向上のための特別指導員として、明日…
 急で悪いが、巴里へ発ってほしい。」

「―――了解しました。
 マリア・タチバナ、桐島カンナ、李・紅蘭。直ちに任務につきます。」

二人と目を合わせ、凛とした声でマリアが任務承諾の意を示す。
米田は重々しい首を少し軽くして頷いた。

「うむ。巴里華撃団についての事はこいつを見てくれ。」

 分厚いファイルを手渡されたマリアは机の上に置きパラ、パラ、とページをめくる。
カンナと紅蘭も真剣な目で資料を覗き込む。

「出発は明日の15:00。
 来賓用玄関に集合の後、陸軍飛行場へ向かい空路で巴里へ発つ。
 それまでに、準備を整えておいてくれ。」

「了解しました。では、失礼します。」

 淡々と形式ばった挨拶を残して、マリアたちは司令室を後にする。
三人が去った後、米田は苦々しく目を閉じた。





「……ほんなら、ウチは早速準備にかかりますわ。
 …すんませんが、戦略的なことはお二人にお任せしてもええですか?
 そのかわり、光武Fの強化はウチに任せてください。」

司令室を出た直後、紅蘭がマリアとカンナに頭を下げた。
カンナはちらり、とマリアを見るが彼女の答えは既に決まっているようだった。

「そうね…誰よりも光武を理解しているのはあなたですものね。
 わかったわ、光武F強化の事…頼むわね。後のことは任せて。」

装甲、内部構造、霊子機関―――霊子甲冑のスペシャリストである彼女に任せるのが一番効率が良いし、なによりも本人が望んでいるのだ。思案する必要などない。
米田から渡された資料の中から光武Fに関するものを抜き取り、紅蘭に渡す。
紅蘭はそれを受け取ると、ぺこりと頭を下げた。

「ありがとうございます。
 よっしゃ!!ほんなら、ウチはお先に失礼します。」

「あっ…紅蘭!…………無理は禁物よ。」

 勢いよく格納庫へ走ろうとする紅蘭を呼び止め、エンジンがかかったら止まらなくなる彼女に一応釘をさす。
紅蘭は大丈夫、と笑って返すとそのままさらに地下へと姿を消した。

「……さぁ、私たちも準備をしなくてはね。」

「…ああ―――そうだな。」

 それから二人はお互いに言葉を交わすことなく、それぞれの部屋へ戻っていった。






 女性にしてはあまり大きくないトランクに旅支度を終えたマリアは、もう一度じっくりと巴里華撃団の資料を読んでいた。
こんな薄い紙から得られる情報は微々たるものだが、前情報があるのとないのでは現段階で考えられる戦略プランも大きく変わってくる。

(銃を使うシスターに、バイキングの血をひく貴族の令嬢、幼いサーカス団員…
 炎を操る懲役千年の犯罪者、由緒ある日本男爵の娘―――――
 こちらに負けず劣らず、個性的なメンバーね。)

 どことなく、巴里での大神の仕事ぶりがわかるような気がする。

(…敗北の一番の原因はおそらく個人行動ね。
 けれど、このあたりは実際に隊員を見てからではないと、何も言えないわ。
 だとすると、一番の課題はやはりおのおのの実力向上法ね。)

 激しさを増した嵐の音をものともせず、マリアはペンを走らせた。
帝国華撃団として、そして自らの経験を思い起こし戦略プランの雛型を雑記帳に記していく。



 雑記帳の半分を埋めた頃、扉をノックする音が聞こえた。

「どうぞ、開いてるわ。」

 訪問者の声を聞かず、入室を許す。マリアには誰が扉の向こうにいるのか容易に想像がついていたからだ。
そして、それは外れなかった。

「カンナ、準備は終わったの?」

「ああ。別にすみれみたく、いろ〜んな物持ってく訳じゃねーからな。」

イスの向きを変え、カンナに話し掛けると、少しおどけた言葉が返ってきた。
机の上の雑記帳に目を落としたカンナはおどけた言葉をしまい、真剣な顔で言葉を続ける。

「早速特訓メニューの作成か?」

「ええ、今できることはやっておこうと思って……」

「あたいにも、もう一度資料見せてくれるか。」

「ええ。……はい、これよ。」

 マリアから巴里華撃団の資料を受け取ったカンナは、後方にあったベッドに腰を下ろし、じっくりと読み進めていく。

「こりゃまた……ずいぶんといろんな奴が集まったな。」

「……そうね。」

 カンナの言葉に返事をしつつも、雑記帳に書き進める手を止めない。
そのマリアの表情を見たカンナは思わず声をかけてしまう。

「なぁ、マリア。さっき紅蘭に言った事、マリアにも言えるぞ。」

「…なにが?」

「無理は禁物ってやつさ。
 ………さっきの話、怖かったな。」

 カンナの言葉に、酷使していた右手が止まる。
沈黙と暴風雨の音が二人の間を支配する。

「……そう、ね………あんな話は二度と御免だわ。」

 沈黙を破ったのはマリアの消え入りそうな声だった。かき消されたはずの黒い恐怖が想像を越えて迫ってくる。
目の前でこそなけれども、また赤く染まるかと思った。
―――雪の降りが、強くなる。

「なぁ、マリア―――」

 カンナが何か言いかけた時、窓の外の喧騒が止んだ。
あまりにも急に静寂が訪れた為、マリアもカンナも窓の外に目をやる。
 外は、今までの雨と風が嘘のような星空が輝いていた。

「こんな急に晴れるなんて………」

「へぇ、珍しいな。台風の目に入るなんて!」

 不思議そうなマリアとは対照的にカンナは弾んだ声を出す。

「マリア、ちょっくら外に出てみようぜ。
 話の続きは外でしよう。な!」

「え?で、でも私は……」

「いいから、行くぞ!」

 強引に席を立たせて、カンナはマリアの背中を押して中庭へと向かった。
雨上がりの冷ややかな夜気と無風の星空がやけに幻想的だった。
 マリアは、ゆっくりと顔を上に向け星空を見上げる。

「台風は気圧の渦だからな。
そのど真ん中ってのは空洞で何にもないから、こんな風に嵐の最中でも綺麗に晴れるんだよ。」

 見上げた姿勢から動かないマリアに、カンナは僅かに上気した口調で話す。
暫らくそのままでいようかとも思ったが、そうも言ってられなさそうなので、先ほど言いかけた言葉の続きを口にする。

「マリア、さっきの続きだけど……あんまり一人で背負い込んで無理するなよ。
 いつもいつも言ってるけど、長い付き合いなんだしもっと頼ってくれよ。
 つらい時はだれかに話せば楽になる事だってあるし
泣きたくなったりした時は泣いたっていいんだしな。」

カンナの優しさと心遣いにマリアはゆっくりと顔を動かし、微笑む。

「……ありがとう、カンナ。
 別に無理をしているわけじゃないわ。
 ただ、今の隊長の事を考えると、何とかして力になりたくって…じっとしていられないのよ。
 だから……」

 微笑みが歪んでいく。そんなマリアにカンナは少し口調を強くする。

「そりゃあ、あたいだって同じさ。
 隊長の事を考えると、居ても立ってもいられなくなる。今すぐ巴里に行きたいさ!
 …けどよ……先走って、マリアにもしもの事があったら悲しむのは隊長だろ。」

 カンナの言葉と瞳にハッと気づかされる。
大神という男は自分よりもまず他人の事を考える。子供を助けるあまり意識不明の重体になっても、目覚めた時は助けた子供を心配する―――そういう男だ。

「だからよ……上手く言えねぇけど……………
 もっと、ゆとりを持って考えろよ。切羽詰った状態じゃいい特訓メニューなんて浮かばねぇぜ。」

「…………………………」

 カンナの言葉は、凍りかけたマリアの心に暖かく沁みた。
―――雪が溶ける。

「……私は幸せ者ね。」

「ん?マリア??」

 カンナがマリアの言葉を確認しようとするが、マリアの顔を見てそれは出来なくなってしまった。
 マリアは涙を流していた。声を上げることもなく、端正な顔立ちを崩す事もなく、ただ泣いていた。
さすがのカンナも、一瞬動きが止まる。

「マ、マリア………」

「ごめんなさい、ちょっと後ろを向いててくれるかしら?」

「あ、ああ。」

 言われるままにマリアに背を向けると、背中に柔らかいものが当たる感触がした。
カンナの背中に、マリアがひたいを当てて寄りかかってきたのだ。
ひたいを通して暖かさを感じる。

「……すこしの間、こうさせてくれる?」

「…ああ、気が済むまでそうしてな。」

 孤独感のないマリアの声に、カンナは安心したような嬉しそうな声で返す。





   雪が降る。大地を埋める。
   しかし、全てを埋め尽くす前に暖かい太陽が溶かす。
   花々が輝く。遠くに、近くに人影がある。


   心の天気はいつも唐突だけど―――――優しく暖かい。



                END

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