交差前の平行時間


 潮風が頬を打つ。冬の海の風は一層厳しい。そのせいか、ブリッジは貸しきり状態であった。他の乗客は皆、部屋で暖をとっているのだろう。
たった一人で佇むその男は、闇色に染まり、さざなみを奏でる海の向こうを見ていた。

(やっぱり今夜も冷えるなー…でも、なんだか懐かしいな。)

そう思いながら、男は昔を辿った。こんな寒い夜だろうが、日中の刺すような日差しの中だろうが自分たちは必至に訓練をしていた海軍校時代―――男は大神一郎といった。
この男、階級こそまだ中尉だが、その功績たるや同世代の将校とは群を抜いていた。
二度にわたる霊的災害からの帝都防衛に加え、留学先の巴里でも巴里華撃団隊長として霊的事件を解決していた。
そして今、大神一郎は約半年の留学を終え祖国への帰路を順調に終えようとしていた。

(予定通りならあと2時間くらいで帝都かぁ…みんな元気かな。)

帝劇の面々の顔を思い浮かべると自然と笑みがこぼれる。
が、その笑顔の思い出にノイズの妨害が入り込み、大神の全身を霊気が駆け抜けた。
何か“良くないモノ”がいる―――瞬時に構えると、神経の糸を研ぎ澄まし辺りを見る。気配は闇に巧みに隠れてこちらを伺っているようであった。

(くそっ刀は船室だし、ここには武器になりそうなものが無い。)

こんな事なら、刀を放すんじゃなかった…
大神の脳裏に後悔の言葉がちらつくが、今はそんな事を言っている場合ではない。
意を決して素手で応戦する覚悟をしたとき―――“良くないモノ”の気配が遠ざかっていった。

「何だ?」

神経の糸を緩ませること無くブリッジを一回りしてみるが、ブリッジは気配を察する前と同じ静けさだった。

「…なんだったんだ。いったい…?」

疑問を拭い去れない大神だったか、それよりももしもの時に備えておくべきだと判断すると足早に船室へと向かった。



あまり広くない船室に戻った大神を待っていたのは機械の呼び出し音だった。

「キネマトロンに通信?」

慌てて机に上に置いてあった小さなトランクの蓋を開け、受信ボタンを押す。
これを華撃団が誇る高性能通信機―――通称「キネマトロン」である。
船上だからか電波状態が悪いようで、映像はピントが合わずぼんやりとしているが、声はハッキリと聞こえた。

「ムッシュかい?やっと通じたよ…」

「グ、グラン・マ?!」

送信先の人物は巴里で一番の人気を誇るテアトル・シャノワールのオーナー、ライラック伯爵夫人―――通称、グラン・マであった。
客の前では常に質の良い笑みを絶やさない彼女だが、モニターの向こうの顔は厳しいものだった。

「どうかされたのですか?まさか巴里で事件が?!」

そう、巴里華撃団のトップの顔をしていたのだ。大神の胸にまた別の不安と緊張が走る。

「いいや、巴里は何ともないさ。最近の事件といったらエリカがバーのグラスを大量に割ったぐらいさ。」

「あ、そ、そうですか…」

「それよりも、問題なのは帝都さ。こっちの霊子レーダーがトーキョーに強力な妖力反応をとらえた。」

「な、何ですって!」

大神の身体に先ほどの“良くないモノ”の気配がよぎる。

「もしかしたら、大きな事件がおきてるんじゃないのかい?」

大神がなんと答えようかと口をにごらせている僅かな間に、別の通信が割り込んできた。

「大神中尉!聞こえる!?
 こちら帝国華撃団・薔薇組、清流院琴音よ。」

女言葉に低い男の声。グラン・マより少しハッキリした映像が画面の右端に映る。白い派手なコートに身を包んだエレガントな男性は紛れも無い陸軍の情報将校。清流院琴音であった。

「こ、琴音さん!?」

「お久しぶりね。大神中尉。
 そちらの方は巴里華撃団のグラン・マさんですね。はじめまして。清流院琴音です。
 ゆっくりとご挨拶したい所ですが、事は急を要しますのでまた後日に改めて。」

「ああ、そうしよう。」

「大神中尉。今帝都は大変な事になっているのよ。実はね……」

そう言って、琴音は大神がいない間に起きた一連の出来事を分かりやすく要約して説明を始めた。
新隊員、ラチェット・アルタイルの事、ダグラス・スチュアート社の新型霊子甲冑「ヤフキエル」の事、そして花組がどういう状況下にあるかという事…
全てを聞き終えた大神は、顎に手を当てて考え込んでいた。

「そんな…そんな事になっていたんですか。」

「大神中尉、今花組が大帝国劇場に戻って出撃準備を始めているそうよ。
 月組からの情報だから、間違いないわ。いよいよ決戦ね。」

琴音の言葉は大神の心にずんっと鉛を落とした。
みんながピンチなのに、俺は船の上だなんて!!考えろ!どうしたらみんなを助けられる?
歯がゆさに支配される寸前だった大神に、ふと光が投げ込まれた。
船の輸送室に紛れ込んでいる自分の相棒を出せれば―――!!

「…グラン・マ、ジャン班長はいますか?」

大神が聞いた瞬間、回線がもう一つ割り込んできた。
グラン・マよりもノイズがひどいが、それは紛れも無く巴里華撃団の整備班班長、ジャン・レオであった。

「おう!隊長さんよ。グラン・マに言われて聞いてりゃ、えらい事になってるみたいだな。
 言いたい事は分かってる。光武・F2をそこで起動できるかってんだろ?」

「はい。」

大神が考えた光明はこうだ。
光武・F2についているブースターを使用して、一気に現場まで飛ぶ。そして、自らも戦う。それ以外、大神の頭にはなかった。
大神の必至の思いをしっかりと受け止めたジャンは威勢のいい声を返した。

「へっそれができなきゃ男が廃るってもんだ!」

「じゃあ!!」

「ああ。幸いな事に、その船の船長は俺の昔からのダチだ。
 事情を話せば協力してくれるだろう。ブースターの接続の仕方はわかるな?」

「ええ、巴里を離れる前にジャン班長に叩き込まれましたから。」

「まさかこんな事になるとは思っても見なかったがな…
 よし!まずは輸送室からブリッジに運べ!急ぎな!!運び終わったら…」

その先のジャンの声はよく聞こえなかった。

「ジャン班長!?」

しばらくしてジャンの通信画面が切れた。

「…ど…やら、電…が限界み……だね。」

グラン・マの声も映像もノイズがかなり邪魔をしている。

「後の事は、こちらにお任せを。」

唯一、先程よりもはっきりとした画面と声になっている琴音がグラン・マに声をかける。

「あ…頼んだよ。
 …れじゃあ、ムッシュ…しっかりやるんだよ!」

「了解しました!」

乱れた画面が一瞬正常になる。グラン・マは誇りに満ちた顔で笑っている。
パチンッと音を立てて巴里からの通信が切れた。
画面に残った琴音は大神に残りの指示をする。

「さぁ、忙しいわよ〜
 まずは月組と協力して光武を上へ!」

「月組?月組がこの船に?」

「あら、もうあなたの後ろにいるわよ。」

琴音の声に振り返ると、いつの間にか三人の船員が一列に並んで立っていた。

「大神隊長!我々もお手伝いします!」

バッと敬礼をする船員に、大神も凛々しく敬礼を返す。

「ブリッジに運び終わったらまた連絡を頂戴。
 改めて指示するわ。」

「わかりました!」

「じゃあ、また後で。」

最後に軽く投げキッスをすると、琴音が画面から消えた。
大神はキネマトロンを閉じると、それを持って三人の船員と共に部屋を後にした。
一分一秒でも早く準備を整える為に。





「ふぅ……」

息を吐きながら、グラン・マはもう真っ黒で何も写っていないキネマトロンの画面を見た。

「ムッシュ…頼んだよ。」

そうつぶやいた時、支配人室にジャンが入ってきた。スパナを手に、ずかずかとこちらへ歩いてくる。

「グラン・マ、隊長さんは!?」

「もうこっちも回線が切れちまったよ。でも大丈夫だろう。
 後は向こうの連中がしっかりやるさ。」

「ああ……」

しばらく二人の間に沈黙が流れる…が、それはぶち破る勢いで開けたドアの音で破られた。

「グラン・マ!エリカの話は本当か!?」

そこには今夜のレビュウの準備をしていたはずのグリシーヌが息を切らせて立ってた。

「トーキョーの皆さんがピンチって本当ですか?」

心配に顔を曇らせた花火がグリシーヌの後に続く。

「ねぇねぇ!どうなのグラン・マ!!」

一歩前に出てコクリコが詰め寄る。

「あ、あんたたち…」

「おやおや、賑やかだねぇ。今度は誰が何をやったんだい?」

ここに詰め寄ってきたメンバーの中で唯一事情を飲み込んでいない風な様子でロベリアが部屋に入って来た。

「あ!ロベリアさん〜ここにいたんですね!!」

そしてその後ろから…廊下を駆けずり回っていたのかエリカが息を切らしてロベリアにタックル―もとい、抱きついて自身の武器のようなマシンガン口調で喋りだした。

「大変なんですよー!
 さっきシーさんに会いに秘書室に行ったらシーさんもメルさんもいなくて、グラン・マに聞こうと思ったら何だか扉から話し声が聞こえてきて、それがトーキョーの花組の皆さんが大ピンチだってお話だったんですよ〜!これは一大事ですよね!ですから、後輩のわたし達が助けるべきなんです!そう思って皆さんを探していたんですよ〜。あーよかった!これで全員に伝えられましたぁ。」

一気に説明したエリカは息が落ち着く前に喋りだしたので酸欠状態でまだ息を切らしていた。
グラン・マは思わずこめかみを抑えて深く息を吐いてしまった。

「なるほど…そういうことか。」

「譲ちゃん…耳が早いというか、なんというかだな…」

「で。どうなのだグラン・マ!エリカの話は確かなのか!?」

エリカの勢いに押されて言葉を忘れていたグリシーヌが我に返り、グラン・マに詰め寄る。
グリシーヌを中心に他の四人もグラン・マを見つめる。

「ああ。まぁ、当たからずも遠からずって所だね。」

「まぁ…それでは!」

「たしかに、今トーキョーの花組は大変な事になっているみたいだよ。
 でも、向こうにはもうすぐムッシュが到着する。巴里華撃団の隊長がついているんだ。きっと大丈夫さ。」

グラン・マのはっきりとした口調を聞いても、それでも巴里花組の面々は目をお互いに配らせた。

「ま、たしかにあの熱血バカがついてりゃ負ける事は無いだろうよ。」

「しかし…我々はトーキョーの花組に恩がある!
 その恩人が危機だというのに、ここで何も出来ないでいるとは!」

思わず机を叩いてしまったグリシーヌの手を、花火がそっと包む。グリシーヌの顔を見てゆっくりと首を振った。

「グリシーヌ。そんなに責めないで。」

「ねぇ、グラン・マ。リボルバーカノンでボクたちトーキョーまで飛べないかな?」

コクリコのアイディアに全員が目を丸くした。

「でかしたぞコクリコ!その手があった!」

「そうですよ!コクリコ、ナイスアイディア!!
 グラン・マ、わたしたちもトーキョーに飛びましょう!!」

「まったくこの子達は…少し落ち着きな!!」

グラン・マの一括で、ようやくゴタゴタした空気が静まった。

「いいかい?リボルバーカノンで飛べる範囲は欧州の一帯までだよ。
 角度限界を超えても、せいぜい中国の端までさ!」

「そんな…」

花火の落胆の声に、ロベリア以外の面々は素直に感情を表に出した。
そんな娘同然の隊員の様子にグラン・マはふっと笑った。

「今はね。」

「はぁ?どういうことだ?」

「ジャン班長。どうだい、リボルバーカノンのバージョンアップをする気はないかい?」

花組の勢いに押されて壁の近くにいたジャンにアイディアを吹っかけると、ジャンはスパナを握りなおした。

「してもいいなら、整備班は喜んでさせてもらうぜ!」

「さて、そうと決まったらさっそく行動を起こさないとね。
 あたしはこれから迫水大使の所に行ってくるよ。」

「あ、はい!いってらっしゃい。」

立ち上がり、スタスタと横を通り抜けるグラン・マに、エリカはそれしか言えなかった。

「備えあれば憂い無し…これはニッポンの言葉だったね。
 巴里…欧州の守りだけでなく、世界も守れるようにしておかないとね。
 お偉いさん方の許可も下ろしてみせるさ。」

颯爽と支配人室を出て行くグラン・マを巴里花組は黙って見送った。

「さてと、じゃあ俺も格納庫に戻るか。
 あいつらも、もう充分休憩できただろ。これからしごいてやるぜ。
 …嬢ちゃんたち。安心しな。隊長さんがついてるんだ。」

腕まくりをし直しながら、肩を回すジャンの後姿を見ながら、ようやく巴里花組は口を開いた。

「グラン・マと班長が、あそこまで言うのだから…トーキョーの花組は大丈夫なのだな。」

「そうだね……うん!そうだよ!なんてったってイチローがついてるんだもん、大丈夫だよ!」

「それにしても、やるねぇグラン・マも。」

「本当に…素晴らしいですわ…ぽっ」

「リボルバーカノンがパワーアップすれば…そうすれば、いつでも皆さんのお助けに行けるんですね。
 大神さんが出撃命令を出したところ、何処でも飛んでいけるんですね!!」

エリカの歓喜の声が一際大きく響いた。
何処でも飛んでいける―――その発言に皆満足そうに頷いた。
帝都花組と巴里花組の並行時間が交差するのは、まだもう少し先の話。







「…大神中尉。用意はいい?」

「はい。」

あれから大神達は実に迅速に準備をすすめた。本格的な整備機が無い為、完璧とはいえないが、それでも一戦はしのげる起動準備が整っていた。
大神はすぐさま戦闘服へ着替え、光武へ搭乗していた。琴音の声がコックピットに響く。

「今、花組は銀座で交戦中ですって。
 船が接岸するまであと10分よ。」

(後10分…)

大神は心臓の音がやたらと大きく打っているのを自覚した。
なんだろう…胸騒ぎがする。
その時、大神の脳裏を声が貫いた。

『大神さん!!』

「さくらくん!?」

間違いない。今さくらの声が聞こえた。呼んでいる。

「どうしたの、大神中尉?
 あと5分で接岸するわ。そうしたら…」

「すみません、琴音さん。大神機、只今より起動します!!」

「ちょっ…大神中尉!?」

通信機越しに見た大神の表情は険しかった。琴音は、そんな顔をしている大神を止める術は持っていなかった。
船の装甲は、後で何とかすればいい。

「大神中尉。そのまま真っ直ぐ飛びなさい。ちょうど銀座への一本道よ。」

「了解!
 琴音さん、ありがとうございました。」

コックピットをブースターのタービン音が包む中、琴音の声はいやにはっきりと聞こえた。

「お礼は、後でたっぷりいただくわ。
 …さぁ、行って!」

「はい!」

返事が早いか飛ぶのが早かったのかわからない。が、大神機は岸で待っていた琴音の頭上をあっという間に飛び越えて、決戦の地、銀座へ飛び立った。

「まるで、希望の光が飛んでいくみたいねぇ…
 さてと…あたしたちも光に乗るわよ!」

そう言うと琴音は傍で待機していた同じ薔薇組の太田斧彦に合図した。

「斧彦!打ちなさい!!」

「はぁい琴さま!!」

太い声の返事と共に、特製の大砲が火を噴いた。
彼は花組に地下通路を説明した後、すぐさま琴音と合流していたのだった。
玉は大神の後を追うように銀座方面へ消えていった。

「さてと、加山くんに連絡しなくちゃね。」

キネマトロンのスイッチを入れた。

「でも惜しかったわぁ、一目一郎ちゃんの顔を見たかったのに。」

「斧彦、もう少ししたら毎日会えるようになるわよ。それまでの我慢よ、我慢。」

「そうね、待っててねぇ〜一郎ちゃぁ〜〜ん!」

斧彦の叫びが夜の河口にこだました。
帝撃と薔薇組の平行時間が交差するまで、あと僅か。





大神機のモニターに巨大生物が確認された。

「あれか!」

禍々しいという言葉がピッタリあてはまる巨大生物。
すぐさま大神は刀を抜いた。
その横を、砲丸がすり抜けていった。先ほど斧彦が放った砲丸だった。
一歩の違いで砲丸が先に巨大生物に当たる。その隙を、大神は見逃さなかった。

「おぉぉぉおおおおおおっ!!!」

特攻の際、桜色の光武が目に入った。さくら機である。

(さくらくん!!)

一しきり攻撃を受けた巨大生物はダメージを受け、バランスを崩す。その間に大神は巨大生物の触手に囲まれていた彼女を救い出し、声をかけた。

「さくらくん、無事か!」

一拍、間を置いて懐かしい声が返ってきた。少し涙に震えた優しい声。

「……はい!」

大神はさくら機と共に着地をすると、そこにいた全機体に向けて通信を飛ばした。

「遅くなって、すまない。」

すると、次々に愛すべき大切な仲間の声が返ってきた。

「中尉!」

「お兄ちゃん!」

「隊長!」

「大神はん!」

大神は、通信越しに仲間の顔を思い浮かべ、静かに歓喜した。
それはまさに、大神一郎と帝国華撃団・花組の平行時間が交差した瞬間であった。


   END

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