Il modo che io cammino



「時代の流れが早くなってるですねー」

そう言ったのは何気なくだったけど、わたしは今それを強く感じている。
だから―――











その知らせは瞬く間にイタリア全土に広がった。
ソレッタ・織姫が再びイタリアの舞台に立つ。
長く日本で活動していたイタリア演劇界の星による凱旋公演チケットは追加公演も含めて瞬く間に完売した。


「織姫さん、オーナーが呼んでますよ。応接室へお願いします。」
「わかりました。」

今日も楽屋に入るなりスタッフにそう言われた織姫は短く返事をしてすぐに応接室へ向かう。
また取材かと思ったがそうでは無かった。

「久しぶりね、織姫。」

オーナーにもてなしを受けていた人物を見て織姫は驚きに目を見開いく。

「ラチェット!?」
「…それでは、私はこれで。」
「ありがとうございます。」

オーナーが応接室から姿を消すと、短く礼を言ったラチェットは織姫に向き直る。

「ラチェット、どうしてイタリアにいるですか?」

だが、先に口を開いたのは織姫だった。
テーブルを挟んで真向かいの席に座った織姫にラチェットは出された紅茶を手にして答える。

「ちょっと出張でね。それでたまたまあなたの公演ポスターを見て訪ねたというわけ……どういうこと?」

質問を返されてしまった織姫はそこに含まれる様々な意味を全て理解したが、その中の一つにだけ答えることにした。

「ずーっと、わたしにどうしても出演してほしいって言ってきたんでーす。2年経ってもまだオファーが来るので、その情熱に応えただけでーす……あ、言っときますけど大神支配人の許可はちゃんと得てますよ。」
「そう……」

だが、当然その答えに納得していない様子のラチェットに織姫はさらに続ける。

「ラチェット、なんなら舞台が終わった後に食事なんてどうです?…そこでゆーっくり話しませんか。」
「……そうね、そうしましょう。」

そこでなら、今は大きな声で話せないことも話せるという織姫の意思を感じとったラチェットは今度は素直に頷いた。
それを見計らったように扉をノックする音に次いで舞台スタッフの一人が一礼して扉を開けた。

「織姫さん、そろそろ楽屋の方へ…」
「わかりました、すぐ行きまーす。」

織姫の返事を聞いたスタッフは、すぐに退散した。
さて、と立ち上がった織姫にラチェットは笑顔を向ける。

「久しぶりのあなたの舞台、楽しみにしているわね。」
「まっかせてくださーい!」

威勢の良い返事と共にウインクをした織姫は足早に駆けていった。
程なくして、ラチェットも用意された貴賓席に向かう。

「織姫には織姫なりの考えがあるということよね。」

ぽつりと呟きイスに腰掛けると、ほぼ同時に開演を知らせるブザーが響き、ラチェットは舞台へと意識を傾けた。



舞台は織姫を中心に見事な完成度を誇り、素晴らしかった。
カーテンコールにラチェットも拍手を送っていたが、幕が閉まる直前に織姫の表情が一瞬固まったのに気付く。そして、それと同時に自身の背筋にも悪寒が走る。

(何…これは……?!)

客席に明かりが入るのを待たずに席を立ち、眉をひそめたまま楽屋へと向かった。
舞台上であのような表情をするなど、彼女らしくない。

(それに……)

たおやかな髪の内に右手を滑らせ、首筋を抑える。己が感じた先程の感覚。
ラチェットは直感的にこれが関係しているように思えた。

「…織姫?」

楽屋のドアをノックするも、返事は無い。
スタッフの話だと挨拶もそこそこに楽屋に走りこんだはずなのに。

「織姫?」

もう一度呼びかけるが、やはり同じだった。
どうしたものかと思案しかけたその時、勢いよくドアが開かれた。

「ラチェット!?」
「織姫、一体どうし……」
「今は緊急事態でーす!埋め合わせはまたしますから!」

飛び出してきた織姫と危うく顔面衝突しそうになったにも関わらず、会話らしい会話の成り立たないまま手荷物だけを持って去ろうとした彼女に思わず声を上げる。

「もしかして、舞台の最後によぎったものと関係あるの!?」

すると、ビクッと肩を震わせて織姫はゆっくりとラチェットを振り返った。

「……ラチェットも、何か感じたですか?」
「ええ……一緒に行くわ。いいわね。」

了承をもらう形を取っているが、ラチェットは返事を待たずに織姫の隣に立つ。
目を合わせた二人は、次の瞬間には並んで走り出した。



「………っダメです、つながりませーん!」

歯噛みしながらがっくりと首を下げる織姫の背後から、ラチェットは彼女の前に置かれているキネマトロンのモニターを覗く。
織姫の自室へやってきてすぐ、手荷物の大半を占めていた機械を取り出して帝都と通信しようと試みたが、モニターは砂嵐しか映さない。

「……帝都でなにかあったのかしら。」
「かしら、じゃなくてあったんでーす!わたしたちの感じたことがそれを証明していまーす!」
「織姫、少し落ちつ……」

落ち着いて、と楽屋を出るときよりも焦りが目立つ織姫を諭そうとした瞬間、砂嵐のモニターに変化が現れた。

「織姫くんか!?」
「大神さん!良かった、やっと通じたでーす……その服………」

誰よりも信頼している人の声に一度は顔を明るくしたが、かろうじて映る顔は険しく、やや汚れや傷がついた戦闘服はつい今し方まで戦っていた証拠だ。

「…帝都でなにかあったのですか?」

声を無くしている織姫の変わりに努めて冷静にラチェットが訊ねると、大神は険しかった目を少し驚きの色に変えた。

「ラチェット?君がどうしてそこに…」
「出張でイタリアを訪れて偶然」
「そんな細かいこと今はどうでもいいでーす!みんな無事ですか!?」

一縷の望みを託した問いだったが、沈黙した大神に悪い予感は広がっていく。

「………さくらくんが……」

モニターの端に映る拳が血でにじむのではないかというくらい強く握り、大神が漸くそれだけ絞りだしたところでこちらまで警報が響いた。

「くっ…またか!」
「大神さん…モニターに手を置いてくださーい。」
「えっ……こうかい?」

すぐさま戦場に向かおうとした大神を、織姫の奇妙なまでの静かな声がそれを引き止める。
言われた通りに大神が手のひらをモニターに触れさせると、それに重なるように織姫もモニターに手を置いた。

「……ラチェット、このことは他言無用ですよー」
「えっ?」

大神に向けていた視線を、一瞬だけラチェットに向けてそう言うと返事を待たずにモニターに意識を戻した。

「この力を皆さんの元へ、届けてください。」
「織姫くん…」
「わたしだって花組の仲間でーす…離れていても、心は一つですよ。」

すっと目を閉じた織姫から、薔薇色の光が放たれる。
それは霊力があるものだけが見られる力の奔流。その輝きの強さにラチェットは息を飲んだ。

(なんて、強く優しい光…)

やがて、ゆっくりと光が織姫の内に帰るように消えると、モニターごしに合わさっていた二人の手が離れて笑顔を交わす。

「……ありがとう、織姫くん。アイリスの声は聞こえたかい?」
「ええ…聞こえました。」
「織姫くん、ここは必ず守ってみせる。その思いを無駄にはしない!」
「信じてまーす、大神司令。」

織姫を安心させるように大神が大きく頷くと、同時に通信が途絶えた。

「……………」
「………織姫?」

再び砂嵐となったモニターを前に沈黙したまま動かない織姫の肩に触れようとラチェットが手を伸ばすと、ぐらりと織姫が揺れた。

「織姫っ!大丈夫!?」

とっさにそれを受け止めたラチェットに、織姫は力無く笑いかけた。

「……ちょっち、立ち眩みしただけでーす。」
「もう……あんな風に力を飛ばすからよ。」
「愛は奇跡を起こすもの、なのでーす。」

血の気が引いた顔であるのにも関わらず、織姫の笑顔は舞台上よりも数段輝いていた。



「………世界が見たくなったんでーす。」

バスルームを借りて用意した濡れタオルをソファーに体を預けていた織姫に手渡すと、彼女はそう呟いた。

「世界を?」

先を促すように聞き、ラチェットは隣に腰掛ける。
織姫はタオルを額に当て、天井を見上げたまま小さく頷く。

「紅蘭が紐育から帰ってきたときにそちらの話を改めて聞いて、そう思いました。時代の流れを知るために、皆さんとこれからも一緒にいられるように…世界に出ようと思ったでーす。」
「そうだったの……」
「だから、大神さんにお願いしてイタリアに来たんでーす…でも、この公演が終わったらすぐに日本に帰りまーす。」

皆さんの笑顔が見たいから。
ゆっくりと顔を前に戻した織姫と目が合う。

「そうね…それがいいと思うわ。私もなんだか会いたくなってきちゃった。」

あの暖かい場所で出会った優しく強く…悲しいまでにひたむきな人たちに。

「じゃあ、一緒に行きますか?」

だんだん声の調子が戻ってきた織姫に合わせて、ラチェットも明るい笑い声を上げる。

「ふふっそれもいいわね…でも、ダメ。あなたがやるべきことを為そうとしたように、私も私の役目を果たさなきゃ。」
「うふふ…ラチェットもすっかり丸くなりましたねー」
「それは言いっこなしよ、織姫。」
「ねぇラチェット、食事はご破算になっちゃいましたが、今日はこのままパジャマパーティーしませんか?紐育の話を聞かせてくださーい。」
「いいわよ。私にも帝都の話を聞かせてね。」
「もちろんでーす!」

回復した織姫が煎れた特製のローズティーを手に、二人は大いに語り合った。
それぞれの愛しいものを。大切な人たちのことを。
二人のくつろいだ優しい笑顔を見ていたのは、窓辺の薔薇の鉢植えとその先に広がる夜空だけだった。





    END


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