Meddlesomeness



「おい、なに百面相してんだよ。」
「あ、サジータさん!」

ある昼下がり。楽屋の鏡の前で一人唸っていたジェミニを後ろから小突くと、ものすごい勢いで振り返られてサジータは少々怯んだ。

「ねぇサジータさん、新次郎は……明日が何の日か知ってると思う!?」

どうしたのかと聞く前に答えを言われて疑問が氷解する。
なるほど、そういうことか。
サジータは苦笑いをしながらジェミニの頭をポンポンと撫でた。



「明日……ですか?」

それとほぼ同時刻。大河のキョトンとした様子に、一人を除き支配人室にいた全員が驚きを隠さなかった。

「大河さん…明日はバレンタインですよ?」

ダイアナが控えめに訊ねても大河の反応は薄い。

「バレンタインってなんだ?うまいのか?」

かわりにただ一人驚かなかったリカリッタが書類と向き合い始めたサニーサイドと、その傍で書類を抱えたまま立っているラチェットに話を振った。

「うーん、おいしいとは限らないかな。」
「バレンタインはね、日頃の思いを改めて形にする日なの。親しい人とカードを交換したり、男性は女性にバラの花を贈ったりね。」
「えっ?!」

驚きの声にリカリッタに向けていた顔を上げると、固まっている大河が見えた。ちらりと周りを見るとダイアナは何とも言えないような笑みを、サニーサイドはわざとらしくため息をついていたのでその目の前に書類を全て置いてから続きを口にした。

「大河くん、やっぱりニッポンにはバレンタインの習慣が無いのかしら。」
「そ、そうですね…でも馴染みが無いだけで一郎叔父から聞いたことはあるんです。それと全然違うから驚いちゃって…」
「まぁ、ニッポンはどんなバレンタインなんですか?」

ダイアナの質問はその場にいる全員の質問だったらしく、視線が大河に集中する。

「ええと、日本のバレンタインは女の人がチョコレートと一緒に告白をする日…って聞きました。だから一郎叔父はこの日になると部屋がチョコレートの香りでいっぱいになるって言ってました。」

大河の説明に対する反応は様々だった。

「同じバレンタインでもずいぶん違うのですね。」
「それって女性だけなの?男性は?」
「大神一郎はそんなに恋人がいるのかい?」
「リカ、チョコ食べたい!リカはニッポンのバレンタインがいい!」

いっぺんに喋られた大河はどう返事をしたらと一瞬迷ったが、とりあえずサニーサイドの発言が一番不穏に感じたのでそれの訂正を行うことにした。

「あの、一郎叔父のところでは義理チョコと言って挨拶みたいにチョコを渡す場合もあるんです!」
「…じゃあ、こっちのカードのやり取りみたいなものかしら?」
「たぶんそうだと思います。で、チョコを受け取ったら1ヶ月後のホワイトデーにお返しをするんです。」

続いてラチェットの疑問に答えるように話すと、それでも彼女は首を傾げた。

「どうして同じ日にお互いにしないのかしら?」
「まぁ、それがニッポン人のオクユカシサってやつなんだろうね。ふむ…1ヶ月かけて準備か。それも面白くなりそうだね。ボクはニッポン流もやろう!ということでチョコレートを待ってるよ。」
「……誰に向かって言ってるのかしら?」

ラチェットの周囲の空気が一瞬にして冷えたのを感じ取ったダイアナは慌て大河に顔を向けた。

「た、大河さんもせっかく紐育にいらっしゃるのですから、アメリカのバレンタインを楽しんではいかがですか?ちょうど休日ですし、ジェミニさん、きっと待ってますよ。」
「そっ!………そ、そうです…ね。」

瞬時に真っ赤になった大河の気恥ずかしそうな様子に思わず笑みがこぼれる。
ここから先は大河とジェミニ次第だが、良い日になるといい。ダイアナがそう思ったとき、ふとあることに気づいて首を巡らせた。

「あら……リカは?」

ソファーでクッキーを頬張っていたはずのリカリッタの姿がいつの間にか消えていた。



「大丈夫だって。さすがの新次郎もバレンタインぐらいは知ってるさ。」
「リカも知ってるぞ!バレンタインはチョコがもらえる日だ!」

開けっ放しにしていた楽屋のドアから駆け寄ってきたリカリッタは、ジェミニの真ん前で勢い良く手を挙げた。

「うわぁ!?もう、リカ…急に出てくるからびっくりしたよ。」
「って、リカ…いま聞き捨てならないことを言わなかったか?」
「さっき上でもその話してた。ニッポンだとチョコをもらえるってしんじろーが言ってた!」

ジェミニとサジータは思わず顔を見合わせて目を丸くした。
もしかして、アメリカとニッポンではバレンタインの意味が違うのだろうか。

「お、ちょうどいい所に…昴!」

先に硬直から立ち直ったサジータは廊下を通りがかった人物を呼んだ。

「昴は指摘する……そんなに大声で呼ばなくても聞こえる、と。」

呼ばれてしまった昴は僅かに眉根を寄せて楽屋へと足を踏み入れた。

「僕になにか用かい?」
「あの、昴さん…バレンタインってニッポンとアメリカじゃ意味が違うんですか?」
「ニッポンだとチョコがもらえるんだろ!?」

不安げなジェミニに得意げなリカリッタ。二人の言葉にサジータが自分を呼びつけた理由を察した昴は手にしていた扇子を口元に当てながら言葉を探った。

「そうだな…日本ではお互いにというより、女性が男性に思いを伝える日として広まっている。贈り物にチョコレートが主流なのは製菓会社の宣伝効果だ。」

昴の説明にサジータとジェミニは興味深く頷いたが、リカリッタは顔を曇らせた。

「え…じゃあ、リカはチョコをしんじろーやサニーサイドやすばるにあげなきゃいけないのか?リカはチョコもらえないのか?」
「おや、僕にもくれるのかい?」

本気で意外だったのか、昴の声には驚きと興味が同居していた。

「おう!リカはみんな大好きだからな!」
「なら、アメリカのバレンタインにすればいい。それなら僕もチョコを用意しておくよ。」
「ほんとか!?じゃあリカ、そっちにする!やっぱりすばる、いいやつだな!いししししし〜リカ、みんなにも言ってくる!」

言うが早いか、リカリッタは廊下へと駆け出していった。

「あ!リカ、ちょっと待て!」

慌てそれを追ったのはサジータだった。
すれ違い様に昴と目が合う。それに無言で頷くとサジータの足音も遠ざかっていった。
その一連の流れの意味を理解できないジェミニはただただ首を捻るばかりだった。



サジータが追いかけてきているとは知らないリカリッタは支配人室を出てきたばかりの大河の姿を見つけて目を輝かせた。

「あ、しんじろー!リカな、明日―――」
「リカ!…ストップだ。」

だが、大河の横に立ち止まると同時に、リカリッタの体が宙に浮き言葉が止まった。
リカリッタの口を押さえて抱き上げたまま、やや息の上がったサジータに大河は目を瞬かせた。

「サジータさん、どうかしたんですか?」
「いいや…なんでもないよ。あたしたちはラチェットに用があるから行くよ。坊やも早くジェミニのとこに行ってやりな。」
「ええっ!?」

うろたえる大河を無視して、サジータは支配人室の扉をリカリッタを片手で支えたまま器用に開けて室内へ入った。

「サジータにリカ…一体どうしたの?」

その出で立ちに言葉をかけたのはラチェットだった。

「いや、ちょっとお節介をね。」

それだけ言ってリカリッタを放したサジータはすぐさま睨まれてしまった。

「サジータ、なにするんだ!リカ、しんじろーにもチョコをあげるって言おうと思っただけなのに!」

その言葉を聞いたラチェットたちはすぐさま「お節介」の意味を理解した。

「リカ、今回はそっとしてあげましょう。ね?」
「うー……わかった。」

ダイアナに諭されて、リカリッタは渋々だが頷いた。
その様子を見たサニーサイドは書類に埋もれかかった頭を上げて呟いた。

「二人とも人気者だねぇ…まぁ、それで仲が良いならいいんだけどね。」
「いいじゃない。私は今のあの子たちが好きよ。」



その頃、楽屋に残された昴は助けを求めるような目で見つめてくるジェミニに悠然と微笑んだ。

「君が気にすることじゃないから、大丈夫だよ。それよりも……そろそろかな。」
「何がですか?」
「上でバレンタインの話が出たということは、アメリカのバレンタインについてみんなの入れ知恵済みだろう。大河の性格上、アメリカに合わせようとするだろうね。鈍感だが、決めたら真っ直ぐだ……もうすぐここへ来ると思うよ。」
「ジェミニ、いる?」

ほら、ね。と面白そうに笑う昴の素晴らしいまでの予言的中にジェミニはただただ驚いて目を見開いた。

「今、ちょっといいかな?」
「う、うん!もちろん!」

硬直した喉をなんとか動かして慌てて立ち上がったジェミニは少しよろけつつも廊下へと出ていった。
その間に、昴はお気に入りの紅茶を淹れてソファーに腰掛ける。
ほのかな薫りを楽しんでいると、しばらくしてジェミニが戻ってきた。

「昴さんの言ったとおりでした……すごいです!」

両手で頬を包んで興奮した様子で向かいに座ったジェミニだったが、すぐに表情が曇った。

「昴さんは新次郎のこと、よくわかってるんですね…ボクはまだまだだなぁ…」

しゅんとなるジェミニに、昴はそんなことか、と淡く笑みを見せてから紅茶を口にする。

「大河はかなりわかりやすいからね。だから、大河が君のことを本当に大事に思っていることもわかるよ。」

紡がれた言葉にガバッと顔を上げると、みるみるうちに顔に熱が集まる。

「明日は楽しんでおいで。」

ジェミニは満面の笑みで、それに答えた。

その翌々日。
シアターで顔を合せる度に2人はそれをネタにからかわれ続けるのだが、それはまた別の話。



    END


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