花星巡り―光と風―
リカリッタの嗅覚は鋭い。好きなものだと殊更だ。
「カンナ、それお菓子か?」
香ばしい匂いに釣られるまま帝劇の厨房へやって来たリカリッタは調理台の上で山盛りになっているクッキーのようなものをじっと見つめたまま、丁度後片付けを終えてエプロンを外したカンナに尋ねるとすぐに答えが返ってきた。
「これはな、ちんすこうって言ってな。あたいの故郷のおやつさ。ほら、食ってみな。」
リカリッタの手のひらに三つほど掴んで渡すと、すぐさま頬張ったリカリッタは、その味にぱっと笑顔を見せてあっという間に平らげた。
「うっま〜い!リカ、もっと食べたい!」
「ああ、いいぜ。んじゃあ食堂で食おうか。」
「うん!」
ちんすこうの山を大皿に移し替えて厨房を出るカンナに続いて食堂へ向かうと、テーブルの一角を使って手紙を書いていた先客と目があった。
「うわぁ〜すごい量だね!」
思わずその手を止めてカンナがどんっとテーブルに大皿を置く様を見たコクリコが素直な感想を零した次の瞬間、リカリッタは早速新たなちんすこうに手を出した。
「コクリコも良かったら食ってみろよ。うまいぞ〜」
「うん、ありがとう!」
「手紙書いてたのか?」
可愛らしい花柄の便箋を見て尋ねるとコクリコは頷いた。
「アイリスがまた便箋をくれたから、サーカスのみんなに書こうと思って!」
「あ!リカもてがみ書く!!」
六つ目のちんすこうを食べ終えたリカリッタがそう叫ぶとコクリコは一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに便箋一枚と予備のペンをリカリッタの前に並べた。
「リカも書くなら、これ使っていいよ。」
「ありがとな、コクリコ!」
「リカは誰に手紙を書くの?」
「パパ!リカは元気だぞって書くんだ!」
便箋いっぱいに拙い文字を綴る様子を微笑ましく見守る二人だったが、書き終えたリカリッタの言葉に今度は首を傾げた。
「カンナ、ビンってあっちか?」
「あ?ああ、たしか流し台の下に空ビンがあったはずだけど…何につかうんだ?」
厨房を指差して向かうリカリッタの後を追いかけながらカンナが尋ねるとリカリッタは今書いた手紙を丸めながら二人にとって驚きの言葉を発した。
「これをビンに入れて海へ流す!そうすれば、パパに届くからな。」
「えっ?」
自分の父親がどこにいるのか知らないの?
喉元まで上がってきた言葉をコクリコはぐっと飲み込んだ。
飲んだ代わりの言葉を探している間に、リカリッタは手頃な大きさのビンに手紙を詰めてしっかりと封をした。
「なぁ、ここから海ってどうやって行くんだ?」
訊ねられたカンナは腕を組んで唸った。
「えいっ」
腕を大きく振って投げられたビンはポチャンッと小さな水音をたてて川の中央あたりに浮かぶ。
今から海へ向かうと帰りが遅くなってしまう事を懸念したカンナは海へと繋がる川にリカリッタを連れてきたのだ。
「ちゃんとパパの所に行くんだぞー!」
流れに乗って川下へと流れていくビンを両手で見送るリカリッタを土手から見ていたコクリコは思わず呟いた。
「リカの手紙、届くかな……」
隣に座っていたカンナは同じようにリカリッタの背中を見つめながら、独り言のようなその呟きに答えた。
「きっと届くさ。川を渡って、海を越えて……メキシコだって、たとえ空の果てだってな。」
空の果ての意味をハッキリと認識したコクリコは驚いて目を見張るが、カンナは穏やかな笑みを浮かべていた。その表情のまま、コクリコの頭に手を伸ばし優しく撫でる。
「リカはきっと…ちゃんとわかってるさ。だから、手紙を海に出すんだよ。」
諭すように言ったカンナは川風に微かに混ざる塩気を感じて目を閉じる。
「あたいはさ、海育ちだからこんな風が吹いたりしたときに…親父を思い出すんだ。そんなとき、親父はあたいの傍にちゃんといてくれてるんだなって思うのさ。リカも、そうなんじゃないかって思うよ。」
ちゃんと、わかる。わかってる。
コクリコの頭から手を離したカンナは立ち上がり、体中で風を受け止めるかのごとく大きく伸びをした。
そのままの姿勢でカンナとリカの様子を交互に見たコクリコは空を見上げて、ギュッと拳を握る。
(ボクには……)
父親の顔は、もう朧気ですらない。母親の顔も似たようなもので、両親のぬくもりを思い出そうとしても、出てくるのは父親の名前から取った子猫の感触だけだ。
「コクリコ、どうしたんだ?……どこか痛いのか?」
すぐ近くから聞こえたリカリッタの声にハッと顔を戻すと、心配そうにこちらをのぞき込んでいる。
「ううん、何でもないよ。ちょっとぼんやりしちゃっただけ。」
得意の笑顔を浮かべて立ち上がるコクリコを、カンナはじっと見つめていた。
「……さてと、じゃあそろそろ戻るか!」
けれど、あえて明るい声で小さな二人の背中を叩いて先を促すと、その手を伝ってノコがカンナの頭上に陣取った。
「あ、ノコずるいぞ!リカもそこがいい!」
それを見たリカリッタは思い切り踏み込んでピョンとカンナの肩に乗る。
「あんまり暴れて落ちるなよ。」
突然の行動だったが、カンナは慌てずに受け入れてキチンと肩車をしてやり、コクリコとは手を繋いだ。
「……さっきの話の続きだけどな。あたい、おふくろの事はほとんど覚えてないんだ。」
歩きながら話し出したカンナに、コクリコもリカリッタも視線を向ける。
「だけど、舞台に初めて立ってスポットライトを浴びたとき……その光が、暖かさがまるでおふくろみたいに思えたんだ。」
「舞台の光が……」
「ママ…?」
共に母親との思い出が薄い二人は、カンナの言葉に真剣に聞き入っていた。
「ああ。そんでもって今は…その光の中にはみんなもいる。」
特別で大切で。時に厳しいけれど、それでも暖かい。
失った大事なものの代わりなど、ありはしないがまた別の形でそれを補ってくれるものがある。
「なんか、改めて話すと照れくさいけど…あたいにとって舞台は…帝劇はそんな場所なんだ。」
笑って締めくくられたカンナの告白にじっと耳を傾けていた二人は、触れている手にぎゅっと力をこめた。
「リカも舞台大好きだぞ!みんなと一緒!楽し、楽し〜!」
甘えるように頭を寄せるリカの声は弾み、コクリコも先程とは違うふんわりとした笑みを見せる。
「うん!ボク、サーカスのステージもシャノワールのステージも大好きだよ!みんながいるもの!」
二人にカンナは底抜けに明るい表情で頷いた。
「じゃあ、帰ったら今日もみんなで晩飯だ!大勢で食べる飯はうまいぞ〜!」
あいてる手を突き上げると、リカリッタとコクリコもそれに倣う。
影が長くなってきた帝都を優しい風が吹き抜けていった。
END
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