花星巡り―思いと変化―
「ある意味、これも非常事態だからこそかもしれませんね。」
ダンジョンの入口に立った大河は後ろを見てそう言った。
「昴は言った……面白い組み合わせだが、戦力は問題ない。と…」
「紐育の実力、見せてもらおう。」
「大河さーん、よろしくでーす。」
昴、グリシーヌ、織姫。
それぞれが大河に応じると、大河はぺこりと頭を下げてから前を向いた。
「では、これより探索をはじめます!」
「よし、もう異常はなさそうだな。稽古で疲れてるのに見回りに付き合ってくれてありがとう。」
「ううん、平気。」
ダンジョンと化した街が無事に元に戻ってから数日。
昼下がりの僅かな休憩時間にも関わらず周辺見回りをしていた大神は帝劇の玄関前で立ち止まり、同行していたレニに笑顔を向けた。
「じゃあ、俺はこれから支配人室で米田さんと会うから、レニは休んでてくれ。」
「了解。」
ほのかな笑みを浮かべて大神を見送ったレニは、言われたとおり休息をとるため自室へ戻ろうとロビーに直結している階段を上がっていったが
「あ!いいところに来たでーす!」
サロンを抜けたところで飛んで来た声に動きを止めた。
見ると、織姫がティーセットをトレイに乗せて遊戯室の扉の前に立っていた。
「レニ、ちょっちこのドアを開けてくださーい。」
「………」
ここに自分が通りがからなければ、どうするつもりだったのだろうかという疑問がレニの頭をよぎったが、それは口に出さずに足を進め、遊戯室の扉を静かに開けた。
「サンキューでーす。あ、なんならレニも見物するといいですよ。」
「見物?」
さっさと中に入ってしまった織姫の物言いに首を傾げるが、部屋中を見た瞬間にその疑問は氷解した。
帝劇の遊戯室には様々な設備が整っている。来る者の目を引くのはビリヤード台や蓄音機だが、棚の中には多種多様なボードゲームも揃えられている。
その中の一つ、チェスをテーブルの上に広げ、今まさに勝負の真っ最中な人物たちがいた。
近づいたレニが盤面を見ると、白が優勢のようだ。
その戦況を物語るように、黒をもつグリシーヌは険しい顔だったが、白をもっている昴は余裕が伺えた。
「あら、せっかくお茶を持ってきたのにもう決着がつきそうですねー」
織姫の残念そうな声を聞いたか聞かずか。
昴はゆっくりと駒に手を伸ばし、黒のキングを一瞥した。
「チェックメイト。」
トン、と駒が盤を進む軽い音とともに昴が淡々とゲーム終了を告げる。
「なかなか良い勝負だったよ。」
「…ああ。私の完敗だ。」
負けを認めたグリシーヌの目を見て、織姫は疑問符を浮かべた。
彼女は他者に対して貴族であるプライドは高いが、認めるべきところは認める。だが、それにしても静かすぎるのだ。
まるで、勝負する前から結果がわかっていたような。
「やはり……そなたのような存在を完全無欠と言うのかもしれないな。」
「えええっ!?」
その一言を聞いた織姫は驚きを隠さずに目を見開いた。
ヨーロッパの歴史ある貴族同士ということもあり、その家の家訓や慣わしはある程度お互い知るところだ。
当然、グリシーヌがブルーメール家を継ぐのに相応しい相手として「完全無欠の花婿」を探していることも。
「アンビリーバボーでーす!グリシーヌ、昴に惚れたですか!?昴と結婚するですか!?」
「だっ…誰もそんな事は言っておらんっ!ただ、客観的な事実としてだ!」
ガタンッと音を立てて立ち上がったグリシーヌは言葉を荒げるが、そう思ったのは紛れもない真実だ。
「昴は訊ねる……なぜそう思ったのか、と。なかなかに興味深い。」
ここまで無言だった話題の人物の参入に、織姫もじっとグリシーヌの言葉を待った。
「…先の探索時に、そなたと共に戦って思ったのだ。」
こめかみに人差し指と中指を当てながら、グリシーヌはぽつぽつと語り出した。
最初は、紐育星組の隊長である大河を見極めようとしていたが、次第にどんな状況にも即座に対応していく昴が気になった。
時に大河より勝る動きや判断を見せる昴は、探索時に受けたダメージも最小限だった。
注目して見れば見るほど、グリシーヌは完全無欠の花婿とは、昴のような存在を指すのではないか?という思いを深めていったのだという。
「ふふーん、やっぱり昴に惚れたようですねー」
「だからっ…客観的な意見だと言っているではないか!」
ニヤニヤと笑う織姫に、グリシーヌはさらにムキになるが、二人の喧騒をよそに、そう評価された昴はチェスボードを見つめ、扇子を口元にあてた。
「完全無欠…か。確かに、以前の僕ならそうだと頷いただろう。」
その呟きを聞き、それまで静観していたレニは一瞬目を伏せて思案顔を見せたが、直ぐに表情を戻すと先ほどまでグリシーヌが座っていた席に腰掛けた。
「昴、ボクとも勝負しよう。」
「君と?…了解した。」
声に意外さを含んだ昴だったが、すぐに応じて駒を整えた。
「じゃあ、はじめようか。」
「よろしく。」
瞬く間にレニが白、昴が黒で勝負がはじまった。
駒の進む音を聞きつけて、それまで騒いでいた二人も盤の展開に集中する。
黙々と駒を進める二人の戦いを真剣に見つめていた織姫だったが、時計の針が半周した頃にふいに身を翻し、持参していたティーセットを使ってハーブティーを煎れはじめた。
ローズベースの華やかな香りで気持ちを落ち着けた織姫は、無言でグリシーヌにも同じものを勧めた。
受け取るためにグリシーヌも盤から数歩離れるが、その目は二人の試合を見過ごすまいと動かなかった。
「これほど見応えのある勝負、そうはない。」
「まったくでーす。でも、昔はこんなに長くゲームしてなかったでーす。」
「昔というと…欧州の話か?」
「イエス!その時はあっと言う間に勝負がついてましたー」
一度戦況が決まってしまったら、それまで。
それが織姫が覚えている二人のチェスだった。
しかし、今日はどちらも譲らない。
それは対戦している当人たちも同じ思いだった。
(…昴らしく無い手だ。でも、この局面を抜け出すのには有効。)
(昴は判断する……レニの戦術に幅が出た、と。予想とは違う動きを見せる。)
互いに一度劣勢になっても、そこから活路を見いだそうとあがく。
押して押されて。どちらも譲らない。
やがて、盤上に残された駒は、黒のキング、クィーン、ルーク。白のキング、クィーンのみとなった。
(……このままじゃ、負ける。)
自分の状況を冷静に判断したレニは、ある方法をとることにした。
レニが駒を動かした瞬間、昴はその考えを読んだが、この手以外に動かすことができないためそれに応じた。
「…スティルメイト、か。」
“圧倒的不利な状態から強引に引き分けに持ち込む”
チェックされていないのに、動かせる駒がない状態にを持ち込んだレニは、負けることなく勝負を終えた。
昴の声が響くと、レニは目元の緊張をほどいた。
「やっぱり、昴は強いね。」
「君こそ、僕の予想を遥に越えていたよ。」
互いの健闘を讃える二人に、グリシーヌは惜しみない拍手を送った。
「両者、見事な戦いだった!私もまだまだ精進が足らぬな。」
「うんうん確かに見応えがあったでーす。ますます、昴に惚れたんじゃないですか〜?」
「まだその話をするのか…っ」
「織姫、もうそれくらいにした方がいいと、昴は思う。」
チェス盤を片付けながら、昴は再び舌戦を始めようとした二人を止める。そして、グリシーヌを真っ直ぐに見据えた。
「本当は君はもうわかっているのだろう?完全無欠な花婿の意味を。」
「そなた……」
「意味?」
意外そうに目を丸くするグリシーヌに対し、織姫は首を傾げる。
「完全無欠……それは、欠陥がどこにも見当たらない完璧なもののこと。」
レニの知識が引き出した言葉を、昴は扇を軽く開いて受け継いだ。
「そう。そして全ての物事は表裏一体。完成は、そのままでは停滞につながる。ならば完全無欠とはすなわち、常に高みに向けて成長し続けるということだ。」
そんな存在を自分たちは知っている。
最後の言葉はあえて飲み込んだ。
そこまで言葉という形にしなくても、グリシーヌの脳裏には一人の男性が浮かんでいるようだったから。
「……やはり、隊長が…」
「そうは問屋がおろし金ですよ!」
だが、その人物のことが思わず口をついた瞬間、織姫がビシッと指を指して制止した。
そこから結局舌戦を始めた二人を、座ったままの昴とレニは半ば呆れた様子で眺める。
「昴は訊ねる……レニ、織姫は日本語をあえて間違えて覚えているのか?と…」
「…それはわからない。でも、いつもこんな感じだよ。」
「それと……君は参加しなくていいのかい?」
呆れではなく、どこか楽しそうな色を乗せた昴に、レニは一瞬だけ驚きを見せたがすぐに首を振った。
「今は、いい…でも、いざという時は譲らない。」
「チェスの戦術変化も納得の答えだ。」
「昴こそ…状況はボクたちとそれほど違いはないんじゃない?」
「ふっ…否定はしないでおこう。」
ここにラチェットがいたら、間違いなく彼らの影響を受けたであろうこの展開に驚きや戸惑いを禁じ得ないだろうと思う。
だが、それは不快なものではなく、好ましいことだと認識する。
戦いを終えた束の間の休息を、夕日が優しく照らしていた。
END
書棚へ戻る