もののこころおもい
「マリア、今度のお休みあいてる?」
そうレニが切り出したのはクリスマス公演を一ヵ月後に控えた午後だった。
自室で読書を楽しんでいたマリアは本から目を離し、レニを真っ直ぐに見る。
「そうね…大丈夫だけど、どうして?」
「うん、実は……前に、ベッドを入れたらどうかって言ったよね。」
「ええ、そうね。」
レニの部屋は殺風景と言う言葉が似合いすぎた。
簡素なテーブルとイスと照明。それに衣服などが入っている大きめの木箱―――レニの部屋の目立った家具といったら、これだけであった。
「この前、照明を少し光度の高いものに変えたんだ。
だから、ついでだからベッドも…って思って……次の休みに、買いに行こうと思ってるんだ。
だから、その時一緒に来てアドバイスしてほしいんだ。ボクじゃよく分からないから…」
淡々とした喋りの中に、確かな変化をマリアは感じた。キッカケさえあれば、人は変わっていけるものだ。
柔らかく微笑んで返事をする。
「わかったわ。一緒に買いに行きましょう。」
「ありがとう。」
「どこか行きたいお店とかある?」
この問いには、予想外の答えが返ってきた。てっきり、特に無いと言うと思っていたのだ。
「あ、うん…ここに行ってみようと思うんだ。」
ポケットから四つ折りにたたまれたメモを机の上に広げる。簡単な地図の端に店名と最寄駅が書かれていた。
「浅草の方のお店。由里たちに聞いたら、かすみさんがここがいいだろうって。」
「かすみのおすすめね…
…レニ、あなた由里がいる目の前で聞いたの?」
マリアの眉が少し上に上がる。その様子に、レニは首を傾けながらあっさりと答える。
「うん、こういう事には由里達が詳しいと思って。」
「…レニ、もしかしたら賑やかな買い物になるかもしれないわね。」
当日の玄関を思い浮かべて、思わず苦笑いをこぼしてしまう。
そして、その予想は見事に当たった。
「うわ〜!これカワイイ!アイリス欲しいな〜」
「お嬢ちゃん、気に入ったのかい?」
「うん!」
「よ〜し、かわいい嬢ちゃんに特別プレゼントだ。」
「えっいいの?!うわぁ〜どうもありがとう!!」
「お!この茶碗いいなぁ〜」
「よかったら、手にとって見てくれよ。お安くしとくよ。」
「この写真立て、ステキですね。」
「そこに良い人の写真でも入れたらどうだい?きっとより一層栄えるよ。」
「えっ!い、いやですよぉもぅ〜〜!!!」
「へぇ…けっこういい物が置いてあるんですわね。」
「お、お目が高いですね。それは職人技が光る一品ですよ。」
「お買い物楽しいで〜すね〜!」
「ノリがいいねぇ!よし、これもおまけしちゃおう!!」
「さっすが江戸っ子!気風がいいねぇ!!」
「おお!紅蘭ちゃん、久しぶりじゃねぇか!良い品が入ってるぜ、見てってくれよ!」
「おおきに、おっちゃん!まとめて見せてもらうわ。」
「…みんな、楽しそうだね。」
ついた早々、思い思いの店にちった仲間を見て、レニが呟く。その横で、マリアは困ったように口を開いた。
「みんな、あまり離れないで。迷子になるわよ。」
「大丈夫デース、マリアさん。みんなそんなにお子様じゃないで〜す。」
早くも買い物袋を抱えた織姫が戻って来た。
「でもでも、こーーんなにお店があると、アイリスじっとしてられないよぉ!」
貰った鈴付き巾着を揺らしながら、アイリスがレニの手を取る。
「レニ、いいとこ教えてもらったなぁ。」
「かっぱ橋商店街…ここならなんでもそろいそうですね。」
茶碗の入った箱を掴んだカンナに続き、さくらが表札を読みながら戻ってくる。
「まぁ、庶民の方には良い所ですわね。」
「とか言いつつすみれはん。その包みは何や?」
ちゃっかり包装された小物入れを持ったすみれに、すかさず突っ込みを入れる紅蘭。
思わずすみ例外の全員が忍び笑いを漏らす。当のすみれだけは、ツンっと顎を横に向けていたが。
かっぱ橋商店街―――太正二年の市区改正で農道が広くなったのをきっかけとし、 このスペースに目を付けた道具商や古物商が自然発生的に 集まりだしたのを始まりである。その後、太正七年に、 帝鉄開通とともに合羽(かっぱ)橋停留所開設、12年にはかっぱ橋通りに帝鉄が開通したため、今では浅草の住人を中心に多くの人が利用している。
「とりあえず、レニの物を見ましょう。今日はそれが目的なのだから。
みんなの買い物はそれからにしましょう。」
「はーい」
マリア、レニを先頭に、途中声をかけられたりサインをしたりしながら、全員でメモに書かれた店へと移動を開始した。
「どっからどう見てもインテリアショップですねー。しかも半分アンティーク入ってまーす。」
「でも物が多くてちょっと動きにくな、こりゃ……」
メモに書かれた店内は、ベッド、タンスなどあらゆる家具で埋め尽くされていた為、人が背と背を向けてやっとすれ違えるくらい狭い通路が二本あるだけであった。
花組八人を許容するには、少々キャパシティーオーバーようである。
「マリアさん、あたしたち隣りのお店にいますね。」
「あ、わたしも行きまーす。」
「では、わたくしは向かいのお店に参りますわ。」
「あー…あたいもそっちに行こうかなぁ…なんか気になるものがあっちの店に見えるし。」
それぞれが公言した行き先にマリアは頷いた。
「わかったわ。こっちの買い物が終わったらそっちに行くわね。」
マリアの返事を着た面々は、押しつ押されつ通路を通り、隣りと向かいの店に散っていった。
残ったのはレニ、マリア、紅蘭、それにアイリスである。
「アイリスは皆と一緒に行かへんの?」
「うん。だって今日はレニのためのお買い物だもん。
アイリスも一緒に選ぶの!」
ニッコリ笑うアイリスに、レニもつられて微笑む。
「ありがとう、アイリス。」
「いらっしゃい。何かお探しかね?」
店の奥から主人らしき老人が顔を出した。
「あ、はい…ベッドを。」
「ほう、珍しいの。若い外人さんがこんな店で買い物とは。
…ふむ、これなんかどうだ?なかなか掘り出しもんだぞ。」
老人は三歩ほど後ろの奥にあるベッドを指差した。立派な造りのどっしりとしたベッドだ。
「どう、レニ?」
「…部屋の面積を考えると、もう少し小さい方がいい。」
「では、こっちはどうだ?」
老人はレニとマリアを連れて店の奥に収納されているベッドを見せた。
黒塗りの落ちついた感じがするベッドで、先ほどの物より一回り小さかった。
「昨日仕入れたばっかりの物だ。これはどうだ?」
「…そうだね。いいかもしれない。」
「じゃあ、これにする?」
マリアに首を縦に振って返事をする。
「あ!ねぇねぇレニ、ちょっとこっちに来て!」
会計をしようとしたところに、突然アイリスが顔を出し、レニの返事を聞く前に引っ張っていってしまった。
「あのね、面白い机があったの。」
「机…?」
「うん、これだよ!」
アイリスに引っ張られて着いた先には紅蘭と、とても机に見えない家具があった。
なにせそれには「机」には必要不可欠の水平の板が見当たらなかったのだ。それに、板でふさがっていて奥行きも何も無かった。
「これ、机?」
「レニ、これはな…こうすると机になるんやで。」
そう言ってレニのちょうど目線の高さにあった板のくぼんだ所を掴むと、力を前に入れた。すると、その部分が外れ、水平の板になった。今度はどこからどう見ても机である。
「ねぇ!おもしろいでしょ〜!」
レニの同意の言葉を期待したアイリスだったが、レニは何も言わず、じっと机を見つめていた。
「…?レニ、どうかしたの?」
「え…あ、ううん、なんでもないよ。
ただ、この机を見てるとなんだか不思議な気分になって…」
「ほう、それは呼ばれたんだよ。」
振り返ると、マリアと老人がいた。
老人の方はニコニコと顔を綻ばせている。
「ご老人、呼ばれたとは?」
マリアの言葉に、老人は快活に口を開いた。
「物には、心が宿るんだよ。」
「心…」
「ああ。そして心ある物は持ち主を選ぶ。お前さんはこの机に気に入られたようだな。良い事だ。
どうだ?もしよかったらこいつを連れて帰ってくれんかの。お代は弾むよ。」
嬉しそうな老人と机を交互に見る。
「レニ、せっかくだから机も置いたら?あると便利よ。」
「せやなぁ、じいさんもこう言っとる事やし、ええんじゃないか。」
「ね、レニ。この机も買おうよ!」
「…そうだね。この机なら、限られた部屋の面積を有効に使う事ができるしね。」
みんなの後押しもあって、レニは机の購入を決意する。
レニらしい返事で返すと、老人はうんうん、と頷いた。
「ありがとうよ。そんじゃあ、後は若い連中に運ばせようかね。」
「ああ、ほんならウチも行くわ。ちゃんとトラックを用意しといたんや。」
「じゃあ、ボクも…」
老人、紅蘭に続いていこうと一歩踏み出したが、すっと紅蘭に止められた。
「ウチ一人で大丈夫や。それよりも、この際やからもっと買い物しとき。
買ったモンはぜーんぶトラックで運ぶやさかい。帰りの荷物も心配せんでええで。」
どんっと胸を叩くと、紅蘭は早足で老人の後を追った。残された三人は顔を見合す。
「紅蘭もああ言ってる事だし、もう少し見てみましょうか。」
「そうだよ。そうしよう!ね、さくらたちの所に行ってみようよ。」
「…うん。」
やはり、アイリスに手を引っ張られて隣りの店に行くと、さくらと織姫が服をとっかえひっかえ合わせてはお互いのコーディネートを見せあっていた。
「あ、レニ、マリアさん、アイリス。もうそっちの買い物は終わったですかー?」
「ええ。今お店の人と紅蘭が運んでくれてるわ。紅蘭がトラックを用意していたのよ。」
「さすが紅蘭、用意がいいですね。
あ、そうそう!レニも何か着てみたらどう?ここすごく安いのよ!」
「うん…でも、ボク着替えは間に合ってるよ。」
そっけないレニに、織姫がこめかみを抑えてため息を漏らす。
「あーもう!これだからレニはダメでーす!
いーですか?服は多くても全然困らないのでーす。むしろ、多くなくちゃ困るのでーーす!!」
熱弁する織姫に思わず飲まれる一行。しかし、レニはそれでも意見を変えなかった。
「でも…本当に間に合ってるから、いいんだ。」
「んもう…つまらないですねー
ところで、レニ。寝るときはちゃんと着替えますよね〜?」
「ううん。このままだよ。着替えは朝になってから。」
織姫はこれがトドメとばかりに、身体をのけぞらせてしまった。
そして、起き上がりこぼしのような勢いでレニの眼前に攻め入った。
「ダメでーす!!ベッドに寝るなら、ちゃんとそれなりのかっこをしないといけませーん!
わたしのネグリジェをあげますから、今夜はそれを着てみるがいいでーす。」
「でも……」
「わかりましたねーー!?!!」
「………わかった。」
ようやくレニの口から出た言葉に織姫は満足そうに笑うと、手にしていた自分のお気に入りの服を持って会計へ向かっていった。
それを追うように、さくらも会計に向かおうとするが、くるりと振り返るとレニに追い討ちをかけた。
「あ、レニ。よかったらあたしの寝間着もあげるから、よかったら試してみて。
最初はいろいろ試してみるのもいいんじゃないかしら。」
「むー!みんなズルイー!アイリスもレニにプレゼントするのー!!
アイリスとおそろいのパジャマあげるね!それを着て一緒に寝よう!ね?」
真っ直ぐに見つめてくるアイリスに、レニは首を縦に振るしかなかった。
にっこりと笑うと、アイリスはさくらと織姫が新たに買った服を見るために会計場所に走った。
「……………」
「まぁ……自分に合ったものをさがすといいわ。」
「うん……マリア、参考までに聞いてもいい?」
「何?」
「マリアは寝るときはどうしてるの?」
マリアはつい言葉を選んでしまった。はたしてここで言っていいものなのだろうか?
そこに、ちょうどいいタイミングですみれとカンナが口ゲンカをしながら店内に入って来た。それぞれに、荷物を抱えている。
「あら、みなさんもうおそろいでしたのね。」
「お!レニ、ちょうどよかったぜ。これあたいからな。いろいろ使えそうな雑貨を買ったんだ。」
とんっと大きな包みをレニに渡すと、カンナは晴れやかに笑って見せた。
「これを、ボクに…?」
「ああ。まぁ、使わなかったら捨ててもいいからよ。」
「ううん、ありがとうカンナ…」
こほん、と咳払いが一つ聞こえた。見るとすみれが目線を少し泳がせながら持っていた細長い包みをレニに見せた。
どうやらカーテンのようだ。
「まぁ、良い品でしたから思わず買ってしまったのですが、私の部屋には向きませんの。
無駄にしてしまうのもなんですから、レニに差し上げますわ。」
それだけ言ってすみれは店の外へ出て行ってしまった。
その後姿に、レニは声をかけた。
「ありがとう、すみれ。」
「おっ待たせしました〜今度はどこ行くですか?」
袋を抱えた織姫とさくらが戻ってきた。
「もう、ボクの用事は終わったよ。」
「そうね、じゃあ……」
「かっぱ橋商店街&浅草巡りでもしよか!」
ひょっこりと表れた紅蘭に、全員が驚き仰け反った。
店の前の道路には、トラックが止められており、先ほど買ったベッドと机、それに紅蘭が個人的に買ったと思われるものが積んであった。
「どや?せっかくトラック持ってきたんやさかい、みんなで今日はいーっぱい買い物して楽しもうやないか?」
「いいわね、紅蘭!ね、そうしましょ。」
一番に同意したさくらに、全員が続いた。
結局、日が西に姿を消すまで、花組は買い物を楽しんだ。
そして夜。みんなの手伝いもあって、夕食後始められたレニの部屋の模様替えはスムーズに終わった。
重苦しい雰囲気を引き立たせていた雨戸も外され、大きく開かれた窓から流れる風にカーテンが揺れている。
ベッドも置き、机も置いた。カンナに貰った雑貨も所々で利用されている。
中でも大きめの写真入れはレニのお気に入りだった。由里に頼んでもらった花組の写真とピッタリ合ったのだ。
壁に立てかけてみると、自然と顔が和らいだ。
明日には、かえでに頼んでおいたレニが帝劇に来てから初主演した「青い鳥」のポスターも飾られる。
(変わっていく、ボクの部屋……)
そしてつい一刻ほど前に紅蘭が新しい照明を取り付けてくれた。
今までの家具は倉庫で休んでもらっている。
とりあえず、今日はいつもの服でベッドに横になると、右腕の中にいるヌイグルミを見た。
夕食後、すぐにアイリスからプレゼントされたものである。
「あ!レニ!!ちょっとアイリスの部屋に来て!!」
廊下で佇んでいたレニを見つけたアイリスが自室のドアを開けて招き入れる。
呼ばれるままアイリスの部屋に足を踏み入れると、アイリスの大切な友達の山が見えた。
「ねぇ、レニ。テディベアって知ってる?」
アイリスのイキナリの質問に、レニは自分の知識を探った。
「テディベア……1902年、米国第26代大統領セオドア・ルーズベルトが熊狩りをしていた時に
罠に掛かった小熊を逃がしてやったという逸話から生まれたヌイグルミ。
大統領の愛称「テディ」から名前が付けられた。
モヘア製で頭、手、足がジョイントで動き、目はグラスアイやボートボタンで作られた……」
「んもう!レニ、そうじゃくて!!」
小さな手がレニの口を塞ぐ。
「自分にとって大切なクマのヌイグルミはみーんなテディベアなんだよ。お友達!
ジャンポールもそうなんだよ。
…それでね、アイリス、レニのことがすっごく大切だからレニにもクマさんを持ってて欲しいの。
だからね、これあげる。」
控えめに目を落としながら、アイリスはヌイグルミをレニの前に差し出した。
特に断る理由は無いので、ゆっくりとした動きでヌイグルミを受け取る。柔らかい生地を使った手触りの良いものだった。
あたたかい……やっとのことで口を開き、アイリスを見て微笑む。
「ありがとう、アイリス。」
レニの言葉に、アイリスは頬を軽く染めながら「どういたしまして。」と返した。
「じゃあ、レニ。今日はその子と一緒に寝てあげてね。」
「…え?」
「ヌイグルミは抱いて寝るんだよ。アイリスはいつもジャンポールと一緒寝てるよ。
一緒に寝ると、とってもあったかい気持ちになって、よく寝れるんだよ。」
「そう、なんだ……」
という、やり取りの結果、アイリスの言った事を実践しているのである。
頬のすぐ横にヌイグルミを抱き寄せると、あたたかいものがレニの身体を巡った。
(たしかに、抱きごごちはいいね。)
ヌイグルミを寄せたまま、部屋を見渡す。
物には心が宿る―――部屋に新たに迎えた物達は、全てレニの大切な物となるだろう。
仲間が自分のために選び、考えてくれたものばかりだから。
(大切な物があるって、嬉しい事なんだね。
……隊長、ボクはまた新しい事をみんなに教えてもらったよ。)
毎日の小さな変化に、心が躍る。それは、嬉しい事だよね?
壁にかけられた写真へ目を向ける。
その真ん中に写っている人物―――今は不在の大神一郎に向けて、言葉を放つ。
「おやすみ、隊長。」
もう一度ヌイグルミを抱き寄せ、レニは眠りについた。
いつまでも、一緒にいよう―――ここで、この時を。
そして、一緒に心を成長させよう。
END
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