求める者に祝福を
そいつとは時々目が合う。
初めて目が合ったのは、たしか国家錬金術師の試験のためセントラルへ行く列車の中。車窓を流れる景色の中だった。
それ以来、街の雑踏の中に。月夜の陰に。降りしきる雨の煙ぶる中に。そして決意の日の道の果てに―――見るようになった。
「兄さん、もうすぐ駅につくよ。」
乗客もまばらな地方周りの列車。その座席の一角で横になっていたオレの頭上から降るように弟の声が聞こえた。目線を声の方に向けると、アルが荷台に乗せておいたトランクを降ろそうとしているのが見えた―――もうそんな時間だったのか…なんか今日はやけに早く感じたな―――そう思いながら身体を起す。
「ん?ああ、そうか…んじゃ降りる準備しねぇとな。」
「なんかずーっとぼんやりしてたけど、考え事?」
「いや、別にそういうわけじゃねぇけど…」
考え事、とも言えなくはないがそれをアルに話すのはちょっと気が引ける。なんせ、アルにはそいつが見えている節がない。あいつの存在は口で説明するには難しい。オレも全体像は感覚だけで認知してるしな。でも、あいつの目…あいつの目だけはハッキリとした印象がある。そいつの目は、昔に見た―――そして今でも焦がれるあの目に似ている。そう、あの優しい目。
「なぁ、アル。そーいや昔聞いたお伽話で旅人を導く妖精の話があったよな。」
話題を変える意味も含めて、オレはさっさと身支度を整えながら先日から頭の隅っこで気になっている些細な謎を振った。
「え?うーんと……―――…ああ!あの話。村に来た旅一座の人たちがしてくれたやつだね。」
お、良かった。アルも覚えてたか。それじゃあ…とコートを羽織ながら些細な謎の本題に話を進める。
「あれって確か困っている旅人に妖精がさりげなく手を貸して旅を助けていくって話だったよな?」
「えーと、たぶんそんな感じの話だった気がする。」
「旅人って最後どうなったんだっけ…なんか最後の方だけ思い出せねぇんだよなー」
「ああ、なんか気になるよね、そういうのって。」
身支度を終えたオレ達はそれぞれに腕を組んでうーん…と考え込んでしまった。端から見ると随分間抜けな光景なんだろうな。でも思い出せないと気になるし―――と思考を巡らせていると身体が軽い揺れを感じた。
「…って、列車が着いちまった。降りるぞ、アル。」
「うん。あ、じゃあ思い出したら兄さんに教えるね。」
「おう、そうしてくれ。」
些細な謎を一時棚上げにして、オレ達は列車を降りて駅の出口へと向かった。この場所に、今度こそオレ達が求めているものがあるという希望を抱いて―――
通り過ぎる機関車が吐き出す蒸気の陰に、一瞬だけあいつの姿が見えた。
オレは錬金術師だ。だから非科学的なことはあまり信じない。けど、目に見えない流れ、世界の循環に何か言葉では言い表せない存在があることは認めているし、実際にその一部には触れている。
だからもしかしたらそいつもそんな存在なのかもしれない。
「兄さん!!」
アルの緊迫した声が周りの轟音にも関わらず耳の奥に響く。背中を冷たいものが走るのを感じながら、オレは精一杯の悪態をついた。
「くっそ…こんな山奥まで来てまた空振りかよ!」
「それよりも早くここから逃げないと!もう崩れかけてて長く持たないよ!」
「ああ、急ぐぞ!!」
もう数えるのも嫌になるくらいの空振りの回数にがっくりと肩を落としたい気分だが、そうも言ってられない。決断をしながら出口に向かって走り出す―――洞窟で生き埋めになるなんて事は絶対御免だ!
「っつぅ〜…!やっぱり痛むなぁ…」
何とか脱出できたオレ達だったが、最後にヘマをしてしまった。宿屋の部屋に戻るなり、オレはベッドに腰を下ろしてブーツを脱いで足の具合を確かめる。
「最後の最後で、崖崩れにあっちゃったね。」
入り口の近くで立ったままため息混じりの声でアルが呟いた。具合を確かめた足は打った部分が見事に青くなっていて、ここに着くまで極力傷みを意識しないようにしていて正解だったと思う。今は芯からくる傷みに、もう歩く気にもならない。
「ったく、ついてねぇな。よりにもよって右足をやられるとはなぁ」
機械鎧の左足は問題無く動く。それが余計に気を滅入らせる。そんなオレの様子を見て、アルが声を発した。
「とにかく、兄さん、もう今日は安静にしてなくちゃダメだよ。頑張りすぎて体壊しちゃ意味ないんだから。ね。」
「……ああ、わかってるよ。」
諭すような口調に、アルの方を見ずにオレはベッドに倒れこみながら返事をする。何の変哲も無い部屋の天井を見つめたまま、鎧の部位が動く音だけでアルの行動を察知する。トランクを開けて、財布を取り出しているらしい。
「じゃあボクは何か食べ物とか薬とか買ってくるから、兄さんはおとなしくしててね。」
「へいへい。気をつけて行けよ。」
「うん。じゃあ、行ってきます。」
右手を軽く上げてアルを見送ると、ドアを開ける音と閉める音、そしてアルの鎧の身体が廊下を歩いていく音が聞こえて―――オレの耳に入る音は微かに開いた窓から入り込んでくる風の音だけになった。
「静かだな…………あ。」
気配を感じて、オレはゆっくりと上半身を起した。そういえば、そいつとはアルがいないときに目が合うことが多かったな。
だから、突然目の前に現れてもそれほど驚きはなった。が、
「でも、こんな近くに出てきたのは初めてだな、あんた。」
「…………………………………」
「あんたが何物かは知らねぇが、オレに何か用があるのか?」
「…………………………………」
今回は随分ハッキリと姿形が見えるな、と思っているとそいつはいつもと同じ目で静かに手を差し伸べてきた。オレが手を取れって言ってんのか?と訊ねるとそいつは黙って頷いた。オレは、その手をまじまじを見つめる。
差し出されたその手は、その眼差し以上に優しさを湛えているようだった……この手を取ればその優しさに包まれることができるだろう。もしかしたら、得ることが出来ないと思っていた安らぎをも、得られるかもしれない。けれど…
オレは俯き気味に手を見つめていた顔を上げて、真っ直ぐにそいつを見る。
「悪いけど、その手を取るつもりはない。」
「…………………………………」
「いつかは、オレがあんたの手を取る日は来るかもしれないけど…でもそれは今じゃない。」
「…………………………………」
けれど、その優しさと安らぎは望みを叶えるものではない。
「オレ達の望みを叶えるためにすることは、今あんたの手を取ることじゃなく、望みに向かって走りつづけることだ。だから―――」
「…………………………………」
オレの答えにそいつは黙って微笑んだ。そして西の方角を指差して音も無く消えていった。ぼんやりとその方角を見ていると、聞きなれた鎧の足音がドアを開ける音と共に聞こえた。
「ただいま、兄さん。」
「あ……アル。お帰り…」
「?どうかしたの、兄さん。なんだか気の無い声だけど…」
手に持っていた紙袋を部屋に備え付けられていたテーブルの上に置きながら、アルが首をかしげる。一応アルに顔を向けてはいたが、意識はまださっきの邂逅に持っていかれているらしい。軽く首を振ってもう一度アルを見る。
「いや、別に…何でもねぇ。」
「ふーん…あ、そうそう兄さんが話してたお伽話の最後、思い出したよ。後、その妖精の名前も。」
紙袋の中から取り出した貼り薬を差出ながらそう言ったアルに、オレは薬を受け取りながら少し目を大きくした。
「お、ホントか?どんなんだったか?」
「えっとね、妖精の名前はヘスペルスで、話の終わりは…」
落ち着いて話をするためにアルが向かいのベッドに座るのを気配で感じつつ、オレは貼り薬を打った部分に当てながら次の言葉を待った。
「とうとう行き詰まった旅人はずっと進む先を示していた妖精が
初めて自分に向けてそっと差し出した手を取ったんだ。
そしたらね、それは旅人が望んでいたものとは違ったけど…
何ものにも代え難い、幸せな安らぎを手に入れたって結末だった。」
「ヘスペルス…」
薬を貼った部分から来る心地良い冷たさを感じつつ、最初にアルが言った妖精の名前を繰り返す。ごちゃごちゃしていた頭の中が一気にクリアになったみたいだ。
「うん。あんまり聞かない名前だけど
昔、参考に読んだ天体関係の本に同じ名前が乗ってたから、思い出せたよ――兄さん、どうかした?」
「んー、いや…そうか、そんな内容だったか。なるほどなぁ。」
あいつはきっとヘスペルスという名なのだろう。その旅人が何を求めていたかは知らないが、お伽話ではなく―――あいつの手を取って安らぎを手に入れたことはたしかだ。
「なぁアル、お前がもしその旅人だったらどうしたと思う?」
オレの唐突な質問に、アルは少し驚いたように身を揺すった。顎の部分に右手を当てて考えるアルの横顔を、オレは黙って見つめた。
「え?……うーん、そうだなぁ………ボクがその旅人だったら………………
手を取らないで望むものを追いかけてる、かな。
安らぎもいいかもしれないけど、行き詰まって諦めた望むもので後悔はしたくないから。」
真っ直ぐな声でそう言うと、アルはこっちに顔を向けた。その時のオレの顔は、目を大きく見開いてかなり間の抜けたものだったと思う。一瞬顔を下ろして上げると、堪えきれず笑い声が漏れた。
「アル――は、ははっさすがオレの弟だな!オレもお前と同じ答えだ。」
「兄さん…」
「うん、そうだな。後悔だけはしたくないよな。そのためにも今は行ける所まで行く!な?」
右手をぐっと握り締めて、親指を立てた状態でアルの方へその手を向ける。すると、アルも同じように親指を立てた状態で右手を向けてきた。
「もちろん!諦めることはしたくないから。」
互いの手を軽くぶつけて、不敵に笑う。アル、お前がオレの弟で―――相棒で本当に良かった。
「よっしゃ、薬のおかげで大分痛みも引いてきたし、明日の列車に乗って次の場所に出発だ!」
「うん!」
たぶん、いつかまた―――あいつとは合いたくなくても目が合うだろう。でも、あいつには背を向け続けてやる。
この決意は誰であろうと揺るがすことは出来ないものだから。
たとえ茨にまみれた道だろうが、心の血を流し続ける道だろうが、振り返ったりはしない。ただひたすらに進む。
何よりも大切な、たった一人の弟と誓い合った決意―――叶えるまで
「立ち止まったりしねぇよ!」
END
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