My favorite-Tokyo
リトルリップシアターの屋上は関係者しか入れない。ゆえに、オーナー自慢の空中庭園は部外者の邪魔が入らない憩いの場となっている。
11月には珍しい暖かい日差しに誘われて、ラチェットは屋外サロンで午後の一時を楽しんでいた。
傍らには、先程引き出しの奥から取り出した思い出の品。
ついこの間のようにも、もう何年も前のようにも思う。
「あ、ラチェットさん!」
呼ばれて顔を上げると、ジェミニとリカリッタを先頭に星組全員が揃ってこちらに向かって来ていた。
「あら、みんな揃ってどうしたのかしら?」
「プラムとあんりがリカにおかしくれるんだぞ!」
「あー…つまりな、今二人がお茶の準備をしてるからアタシたちは先に来たってことだよ。」
ラチェットに飛びついたリカリッタの言葉を、サジータが補足する。
「ラチェットさんの分ももちろんありますので、お時間があれば是非。」
「ありがとう、ダイアナ。そうね、じゃあこのまま一緒に待たせてもらうわ。」
「ラチェットさん、これ…台本ですか?」
テーブルの上にぽつんとある本を指差したジェミニに、ラチェットは頷いてそれを手に取った。
「ええ。読んでみる?」
「えっいいんですか!?やったあ!どれどれ………あれ、これ日本語?」
目をぱちくりさせるジェミニの横から昴が台本を覗き込むと扇子を口元に当てた。
「…なるほど、海神別荘か。」
「ちょっと懐かしくなってね…ほら、この間演目の参考にみんなで花組の舞台をいくつか見たでしょう。」
それぞれ自然と決まったお茶会の定位置に腰を下ろして、そのときの様子を思い出す。
「加山さん、また新しい記録フィルム持ってきてくれないかなぁ……ボクはね、愛ゆえにが好きだな!戦火に燃える身分違いの愛!…オンドレ様、わたくしとお逃げください!使命も部下も捨てて逃げるなど、もはや私ではない!そんな私を、あなたは愛せるというのか!?オンドレさまぁ〜!!……なんちてなんちて!」
両手を頬に当てて自分の世界に浸っていたジェミニがはっと我に返って照れ笑いを浮かべると、ダイアナがクスッと笑みを零して頷いた。
「さくらさんもマリアさんも素敵でした…わたしも、また男役をやらせていただく機会があったときにはマリアさんをお手本にしたいです。」
「ダイアナは、何か気に入った演目はあった?」
「そうですね……やはりリア王でしょうか。あの悲劇を、あんなに楽しい内容に変えられるなんて感動しました。」
「そうだな、なんだか帝都花組の舞台は希望に満ちている気がするよ。」
ジェミニから受け取った台本に軽く目を通していたサジータがラチェットに返しながら話に加わった。
「レ・ミゼラブル……あぁ、無情もそうだったな。いやあ、あの舞台は良かった。」
うんうんと腕組みをして頷くサジータの周りを、座るのに飽きてしまったリカリッタがぴょんぴょんと跳ね回ってそのときの様子を思い出してにぱっと笑う。
「サジータ、涙ぼろぼろだったもんな!」
「い、いいじゃないか!そういうリカは何が好きだったんだ?」
「リカな、あれがいい!タライがごーんって落ちてくるやつ!!」
小さな手足をいっぱいに伸ばして舞台の興奮を語るリカリッタに、昴が補足を入れる。
「大恐竜島か…初期の演目だな。」
「すっごく楽しそうだったぞ!リカもあれやってみたい!」
「タライに頭ぶつけるの?でも…リカ、タライは結構痛いよ。」
情感込めてしみじみと諭すジェミニにそれぞれが目を瞬かせる。
「いやに実感がこもってるな…ぶつけたことあるのか?」
代表でサジータが訊ねると、ジェミニはこっくりと首を縦に振った。
「うん。テキサスにいたころにちょっとね…えへへ。」
いや、そこは恥ずかしがるところではない。と全員が思ったが声に出す者はいなかった。
「えっと…昴さんは、何が好きですか?」
話題を変えようとまだ聞いていない昴に話を振ると、昴は扇子を口元に当てて思案する表情を見せた。
「昴は答える…印象的だったのは青い鳥だ、と。当時の演劇誌でも絶賛されていたが、あれほどとは思わなかった…レニの演技に革命が起きたな。」
「ああ、あの銀髪の子は昔の仲間だったのか。」
どこか嬉しそうに見える昴にサジータが内心驚きながら相槌を入れると、ラチェットも参加してきた。
「あと、織姫もね。彼女たちの幸せの青い鳥は帝都にいた…といったところかしら。」
「君はやはり海神別荘かい?ラチェット。」
「そうね。……帝都で同じ夢を見ることができたからこそ、今の私があると言っても過言じゃないわ。」
台本を手にたおやかに笑う彼女に思わず全員が目を奪われた。
彼女にそれ程までの影響を与えた帝都、そして花組とはどんな人たちなのだろう。
「会いたい?」
表情の読みとりやすいジェミニやリカリッタを見て訊ねると、二人は大きく首を縦に振った。
「ふふ…いつか会える日が必ずくるわ。だって私たちも、場所は違っても同じ夢を見ているのだから。」
「皆さん、お待たせしました!」
ラチェットが言い終わると同時に屋外サロンに元気な声が響く。
その声に全員が視線を向けると、甘い香りを放つバスケットを抱えたプラムと杏里に加えてティーセットを揃えたトレイを持つ大河がいた。
「うおー!プラム、あんり、今日のはなんだ?」
待ちきれなくて二人の前に駆け寄ったリカリッタの目の前にバスケットを置いて、二人はにんまりと笑みを交わして胸を張った。
「今日はプラム特製のマフィンです!」
「杏里も手伝ってくれたし、今日のマフィンは自信作なのよぉん!」
バスケットから顔を出すチョコチップやナッツが散りばめられたマフィンを手際良くそれぞれの前に配る二人の横で、紅茶の準備を進める大河にジェミニが口を開いた。
「新次郎、手伝おっか?」
「ありがとう。でも、さっきプラムさんに美味しい淹れ方を教えてもらったからやってみたいんだ。」
「へぇ坊やがねぇ…じゃあ期待してみるかな。」
「大河のお手並み拝見といこうか。」
「わたし、紅茶にはうるさいですよ。」
「う…皆さんに言われると緊張するなぁ……」
一つ一つ丁寧に作業をしていく大河を眺めていたい気分だったが、それではやりにくいだろう。
「そう言えば、この前はあなたたちも一緒に花組の舞台を見たわよね。どうだったかしら?」
ラチェットが振った話題に乗って大河から視線を外した面々は小首を傾げるプラムと杏里の反応を待つ。
「そうね、あたしはつばさが好きよ。やっぱり空に惹かれるのよねぇん。」
「わたしも、プラムと一緒です!あの歌もすごく好きです。」
顔を見合わせて笑いあう二人になるほど、と頷く。
「お待たせしました!お茶をどうぞ。」
その間にも手を休めなかった大河は無事に紅茶を淹れ終った様だ。
一人一人の前に丁寧にカップを並べる大河が席に着くのを待ってから口を付ける。
「とっても美味しいわ。ありがとう、大河くん。」
ラチェットの言葉に他の顔ぶれも表情を和ませる。
「えへへへ……ありがとうございます。」
「ねぇねぇ、新次郎は帝都花組の舞台でどれが好き?」
照れ笑いを浮かべる大河に、ジェミニがカップを持ったままニコニコと訊ねると、大河は瞬きを一つしてから口を開いた。
「どれも好きだけど…ぼくは真夏の夢の夜が好きかな。一郎叔父が初めて舞台に関わった作品だって聞いてたから、もともと気になってたんだけど……」
本公演もある忙しい合間を縫って全員が一丸となって迎えた一夜限りの特別公演。
非情にも敵が現れてしまい、公演中止を覚悟で戦いに臨んだ。だが帰投した花組が目にしたのはずっと自分たちの帰りを待っていてくれた満員の客席だった。
「みんながすごく楽しそうで、舞台は客席が加わって初めて完成する…一郎叔父が言っていた事が少しわかった気がしたんだ。」
たくさんの人達の思いが集い、輝く劇場…最初は戸惑っていたが、今はその一員であることが誇らしい。
かつて大神が語った思いに、大河は心から同意していた。
「とても素晴らしいお話です。わたしたちも、もっとがんばらないといけませんね。」
そんな大河の表情を見た星組のスターたちの瞳に力が籠もる。
先人に恥じぬよう、またいつの日か超えられるよう、力を合わせなければ。
大河を中心とした確かな絆に、ラチェットはある事を心に決めた。
その夜、オーナー室を訪れたラチェットはサニーサイドが差し出した書類に目を通し微笑んだ。
「セントラルパーク使用の許可がおりたよ。明日から早速設営開始だ。」
「すぐに進めるわ……そうだわサニー、一つ提案があるのだけれど、いいかしら。」
「なんだい?」
「今回の公演の演出を大河くんにお願いしようと思うの。」
「へぇ…それはまたどうして?」
メガネの奥にある瞳を光らせるサニーサイドにラチェットは自信を湛えた笑みで答えた。
「大河くんならできると思ったからよ。この特別公演は星組が一つにならないと成功しない…だから大河くんに任せてみたいの。」
「なるほど……うん、いいんじゃないかい。サプライズはあった方が盛り上がるからね。人生はエンターテイメント!楽しいものにしようじゃないか。」
両手を広げて高らかに言い放つサニーサイドの表情はこの上なく晴れやかだったため、その瞳の奥に紐育華撃団総司令としての思惑が潜んでいることにラチェットはまだ気付かなかった。
大河がクリスマス公演「オーバー・ザ・レインボーサンシャイン」と星組隊長になるためのテストがあることを知ったのは、この数日後である。
END
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