マリアSS「name of Virgin」(サクラ2第9話ばれ含む)


マリアと聞いて、大半の人が思い浮かべるのは、聖母様だろう。「奇跡の鐘」の台本を見 ながら私は思った。
Virginと言えば聖母様のことで、世界中の人が知っている。その身に起きた奇跡も。父た る神の御業によって救世主を身ごもり、育て上げた。清らかな母性。

同じ名を持つ私の手はなんと汚れていることか。名付けた親の願い通りにはいかなかった のかなと、苦笑する。

聖書には6人マリアの名を持つ女性が出てくる。
聖母様、マグダラのマリア、マルタの妹のマリア、ヤコブ・ヨセフの母のマリア、ヨハネ ・マルコの母のマリア、そしてローマのマリア。いずれも救世主に仕えた立派な女性だ。
少なくとも、私のように手が血で濡れていることはあるまい。
救世主に救われる姦通の罪を犯した女性。何故、救世主は彼女を救ったのか。善人なをも ちて往生をとぐ、いはんや悪人をや。救世主は悪人正機説だったのか。
いや、彼の言葉はそう語ってはいない。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、 まず、この女に石を投げなさい」という彼の言葉は、罪の無い人はいないことを物語る。
血に染まった私の手にも、救われるときは来るのだろうか。

今回の配役は隊長が決める。主役候補に入っているとは言え、恐らく私が聖母役をやるこ とはないだろう。男役トップである私が、母性の象徴である聖母をやるなんて。いくらなんでもそれはあるまい。隊長もそう考えるはず。

けれど、もし、隊長が選んでくれたなら・・・・・・いや、聖母というには私の手は血に染まりすぎた。許されはしまい。
「今年は・・・・・・本当にいろいろなことがありました。今回の公演は・・・・・・そ の一年をしめくくる最後の公演です。・・・・・・・・私は・・・・・・どうしても成功 させたいんです。」
そう成功させたい。その為には私が主役であってはならない。余りにふさわしくなさすぎる。

私の思いは乱れる。
選んで欲しい、でも、私は聖女にはふさわしくなさすぎる。
でも、もしかしたら、役を演じることで、彼女に近付けるのではないか。私の罪は救われ るのではないか。そう考えると、やってみたいという気持ちは強くなる。
しかし、私の手は血に染まり過ぎた。私が演じるなどおこがましすぎる。ああ、お願い、 隊長。私を・・・・・・。

隊長は私を選んでくれた。嬉しい、でも・・・・・・。

「本当に、私でよろしいんですか?」

「ああ。マリア、お願いするよ。」

私は役者だ。役が決まったなら、演じ切るしかない。母の面影をたどりながら、母性を身 にまとう。血に染まった私の演じる「清らかな母性」。偽りの聖母。

舞台は回る。私の思いを巻き込んで。

演じるとは、そこにないはずのものを現出させる行為だ。役者は「役」そのものではな い。「役」に成り切り、観客に「役」であるかのように見せることは出来ても、「役」に は成れない。すなわち、舞台の上は偽りの世界。ただ一時の夢。

私は舞台の上で夢を見る。
私はマリア。あなたの罪を許しましょう。
演じる私が、現実の私の罪を許す。一瞬垣間見える幻想に私は酔う。

「私に女役の主役がつとまるかどうか、とても不安だったのですが・・・・・・隊長のおかげで、新しい自分を発見したような気がします。ありがとうございました。」

雪が降っている。ロシアでも見た雪。冬の訪れ。人とのつながり、温もりが冬を乗り切ら せる。大切な人を守るための行動。母性、父性の原点。 そう、今の私には守るべきものがあり、守りたい人がいる。それは私の母性。新しく見付 けた自分。聖母様のように決して清らかではないかもしれないけれど。 私は祈る。私の生が、私の大切な人達の糧となりますように。 私は感謝する。私の大切な人達に出会えた奇跡に。 遥か昔、私と同じ名を持った一人の女性に、私は祈り、感謝する。


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