波の向こう




巴里を見渡せるモンマルトルの丘。
その一角に佇む屋敷の庭にある決闘場のマストの上からだともっと空を近く、遠く離れた場所を感じられる。

「……イチローたちは元気かな。」

マストの先端で風を感じながら呟くコクリコの目が細められる。
見つめる先には帝都とフランスを船で繋ぐ港がある。
帝都で起こった黄金蒸気事件に協力するために訪れたのを、昨日のことのようにも思い出せるのに、月日は確実に流れている。

「コクリコ、皆さん揃いましたよ。」

今度、グラン・マに頼んで指令室のキネマトロンを帝撃に繋いでもらおうかなと考えていると、下のテラスから穏やかな声が響く。
見ると、花火が微笑みを浮かべながら手を振っていた。

「わかった!ちょっと下がっててね。今降りるから!」

花火が着地地点からはずれたのを確認してから、コクリコは勢いをつけてマストを蹴る。
途中にあるロープで更にバランスを取って軽やかに着地すると、花火から賞賛の拍手が贈られる。

「いつもながら、お見事です。」
「ありがと!じゃあ、みんなのところに行こう。」
「はい。」

連れ立って歩くのは僅かな時間で、室内に入ってすぐのところにお茶会の場所はあった。

「コクリコ、ここから見てたぞ。相変わらず見事だな。」
「えへへ、ありがと。」

今日のお茶会のホストを勤めるグリシーヌにも褒められ、コクリコは照れ笑いを浮かべながら円卓の席につく。
その隣りに花火も座ると、向かいの席に既についていたエリカの目が輝く。視線の先にはカスタードたっぷりのフルーツタルトがある。

「じゃあ、みんな揃ったことですし、いただきまーす!」
「エリカ!」
「あーあ、食っちまった。」

大きな口で一口。至福と顔に書いてあるエリカの両隣に座るグリシーヌとロベリアはそれぞれに呆れた声を発する。

「うーん、このカスタードは絶品ですね!」
「……エリカ、今日集まった主旨を覚えているか?」
「へっ?何でしたっけ?」

そろそろエリカのこのペースに慣れてはきたが、やはり顔に青筋が浮かぶグリシーヌは紅茶を一口飲んで気分を落ち着かせる。
視界の隅に映るロベリアのニヤニヤとした笑みも感に障るが、今は無視することにする。

「お主とコクリコが皆の前でマジックを披露したいと言ったからだろうが…!」
「ああ、そうでした!グリシーヌさんよく覚えていましたね!」
「エリカさん…」
「ま、エリカだしな。けど、アタシまで呼びつけたんだからそれなりのものを見せろよ。」

言葉が出ないグリシーヌの代わりに花火が呟き、ロベリアが続く。

「うん!今回のはボクとエリカの自信作なんだ。」

だがそれに答えたのはエリカではなくコクリコだった。
タルトを丁寧に食べ終えたコクリコは立ち上がり、エリカの腕を掴む。

「さ、エリカも準備して。」
「了解です!エリカ、がんばります!」

敬礼と笑顔で勢いよく立ち上がったエリカはコクリコを腕にまとったまま駆け出す。

「ちょ、ちょっとエリカ!」

その勢いに足がもつれそうになるが、なんとかバランスを取り戻して一緒になって駆け出す。

「あ、三人はテラスで待っててね!」

そう言い残して閉じられた扉を見つめるグリシーヌとロベリアを交互に見た花火は紅茶を置いて微笑んだ。

「じゃあ、テラスに行きましょう。」
「あ、ああ…そうだな。」
「けど、なんでコイツの屋敷なんだ?いつもはシャノワールでドタバタやってるのによ。」

テラスへ出て一歩引いたところで腕を組むロベリアに答えたのは手すりから準備をするエリカとコクリコを見下ろすグリシーヌだった。

「このマジックは、来週行われる我がブルーメール家のパーティーで披露するからだ。リハーサルは現場で行うものだろう。」
「……本当は、ロベリアさんのためなんですよ。」

なるほど、と納得しかけたが隣りに控える花火が付け加えた一言にまた新たな疑問が生まれてロベリアは首を傾げる。

「アタシのため?」
「ロベリアさん、パーティーの日は抜けられないじゃないですか。でも見てほしいからって、お二人とも。」

いつもと変わらぬ穏やかな表情で告げられた真意に、ロベリアは思わず目を瞬かせ、最後の準備である一人用の小さなトランポリンを置いて立ち位置へつくエリカとマストに上がるコクリコを順番に見つめる。

「……ちっ…まったく、余計な気をつかいやがって。」

憎まれ口を叩いてメガネを直すが、その声にトゲトゲしさは無い。

「それじゃあ、行くよ!マジカルエンジェル・コクリコと!」
「黒猫エリカのマジックショウ!!」
「アン、ドゥ、トロワ!」
「エリカ、飛びます!」

コクリコの合図に、黒猫スーツに着替えたエリカがジャンプし、トランポリンを利用して更に高く上がる。
その姿はしなやかに動く本物の猫のようで観客の視線は自然とエリカに注がれる。
その間にコクリコはもう一つ仕掛ける。

「フルール!」

手にしたステッキの先から、かわいらしいピンクの花が飛び出したと思った次の瞬間、決闘場全体から同じ花が次々に現れて花吹雪となった。

「ほう…なかなかのものだな。」
「へぇ……」
「素晴らしいです……ぽっ」

三者三様の賞賛の言葉に、なんとか着地したエリカはコクリコを見上げて得意げにVサインを送る。
それを受けてコクリコも同じように返すと、風が吹き抜けて花びらが空高く舞い上がり、流れていった。




「大神さん。」

背後から声をかけられ、大神は舞台袖から静かに離れて声の主であるさくらのもとへと向かう。

「さくらくん、お疲れさま。風が強くて大変だったね。」

普段着ではなく、輝くレビュウ衣装に身を包んださくらはにっこりと笑って首を振った。

「あたしは大丈夫です。けど、上で花吹雪を担当してた紅蘭と織姫さんは流されて大変だったみたいで……」
「まったくでーす!」

絶妙のタイミングで入った相槌に振り向くと、さくら同様、レビュウ衣装に身を包んだ織姫とマリア、カンナがこちらに向かっていた。

「野外ステージは風の影響をまともに受けてしまうから、難しいわよね。」
「そのとおりでーす、さっすがマリアさん。そもそも、どうして野外ステージで特別公演をやろうと思ったですか?しかも横浜の港で。」

突然突きつけられた質問に大神は目を瞬かせるが、全員から同じ質問を持っていると視線で語られ、すぐに人差し指を立てて説明を始めた。

「横浜は俺たちが出会うためには無くてはならない土地だろう。だから一度、横浜で舞台をやってみたかったんだ。」

海外から帝都にやってきた花組隊員は必ずこの横浜から帝劇を訪れている。また、大神が巴里へ旅立ったのもこの港だ。

「なるほど、ウチらと横浜はよくよく縁があるっちゅうわけやな。」

頭上から降ってきた声に全員で顔を上げると、黒子の格好をした紅蘭が舞台の上に上がるための階段からひょっこり顔を覗かせていた。

「紅蘭、仕掛けの方はもういいのかい?」
「ああ、バッチリや!お客さんもビックリするで。ほな、ウチも着替えてきますわ。」

言い終わらないうちに、紅蘭は早替えのためのスペースへ向かう。

「特別公演もいよいよフィナーレだな。」

その後ろ姿を眺めながらカンナが呟いた言葉に全員が微笑みを交わし、袖から見える舞台の様子を伺う。
舞台上では見事なデュエットを終えたアイリスとレニが一礼し、頭を上げたところだった。

「みんな、今日はどうもありがと〜!」

大歓声を受ける二人は笑顔で拍手に応えながら、そっと目を合わせ手を握る。

「最後の曲の前に、ボクたちからプレゼントがあります。皆さんの願い事が叶いますように。」

レニの言葉を合図として、手を繋いだまま走り出す。
舞台すれすれで二人が空中に飛び上がり、手のひらから星の形の紙を降らすと観客から驚きと感嘆の声が上がる。その様子に大神は満足そうに頷いた。

「ひょ〜!野外でこの仕掛けが出てくるたぁ誰も思ってなかっただろうな。」
「紅蘭が頑張ってくれたおかげだよ。」

帝劇で度々使用される強固なワイヤーで宙を舞うフライング技術。
屋外のステージでは実現が難しいと言われていたが、希望通りに実現させてくれた立役者に大神が笑いかけると、早替えを終えて袖に待機していた紅蘭は照れ笑いを浮かべて右手を顔の前で左右に振った。

「ウチはみんなに喜んでもらえたら満足なんや。」
「いつもありがとう、紅蘭。」
「な、なんやさくらはんまで改まって…照れるやないか!」
「うふふ……じゃあ、行ってきますね!」

その場にいた全員に軽く手を振り、さくらは光溢れる舞台でも最も輝くセンタースポットへ向かう。
客席上空から舞台へ戻る二人の着地を両手を広げてさりげなく手助けして笑顔で会話をする。
アイリス、レニはポケットから最後の星を握り、勢いよく腕を振り上げてさくらの頭上に集中的に降らすとレビュウ衣装に着替えるために両袖に走った。
その間に始まったさくらの伸びやかな歌声が会場を包み、風が流れてさくらを纏っていた銀色に輝く星が夜空を彩るように舞い上がる様を大神はとても幸せな気持ちで見つめていた。




頬をなでる潮風に大河は目を細める。

「いい風だ。これなら問題無いだろう。」

隣を見ると風に遊ばれる前髪を軽く抑える昴と手にバスケットを持ったダイアナが自分と並んで海を眺めていた。

「ジェミニ、リカ。いいか?」

その後ろからの声に振り返ると、サジータが身を屈めてリカリッタと目を合わせていた。

「うん。こいつ飛べるようになったからな。」

リカリッタがこくりと頷くと、ジェミニが手にしていた鳥かごの扉を開ける。
1ヶ月ほど前、ジェミニとリカリッタが怪我で弱った真っ白な鳥をつれてシアターへとやってきた。
臨海公園のベンチの影でうずくまっていたらしく、すぐさまダイアナが処置したが、体力がなかなか戻らず飛び立てないでいた。

「じゃあ、リカが飛び立つ手伝いをしてあげてね。」
「そうだね、リカが一番頑張ってたもんね。」

だが星組全員、中でもリカリッタの根気強い看病で、見事に回復した。
ジェミニと大河の言葉に全員賛成らしく、それぞれの顔を見つめてからリカリッタはにっこりと笑って鳥かごの中でさえずっていた鳥に手を伸ばす。

「リカ、両手に乗せるようにして……そう。そして少し勢いをつけて手を挙げてこの子が羽ばたけるように手伝ってあげて。」
「おう、わかったぞ!!」

ダイアナのアドバイス通りに、小さな手で優しくしっかりと鳥を掴み、海と空に向き直る。

「それっ」

リカリッタが両手を離すと同時に、鳥はバサバサと羽音を立てて自分の力で飛び立った。

「やったね、リカ!」

全員がそれを見送り、大河が喜々とした表情でリカリッタを見ると、リカリッタも満面の笑みで答え、両手をいっぱいに高く上げて高く飛翔していく鳥に大きく手を振る。

「元気でなー!」

羽ばたく翼から、一枚の羽が名残のように落ちる。その羽も風に乗り、海へと流れていく。



巴里の花、帝都の星、紐育の羽。

風に乗ったものをつなぐのは海。

この空と海の向こうにいるあなたに

夢が、幸せが、希望が

届きますように。



    END

書棚へ戻る