楽屋前の廊下にいる人物に声をかけたのはいつもの習慣だからだ。

「大河、おはよう。」

だが、声をかけられた人物は一瞬身を縮めてからこちらを見る。その笑顔もどこか堅い。

「あ、昴さん…おはようございます。」

らしくない。と即座に思う昴だったがきちんと振り返った大河を見てさらにその感情を深めた。
彼の服装は常にきっちりとしているのだが、今はネクタイが不自然に緩んでいる。

「大河、ネクタイが緩んでいるぞ。」

締め直してやろうと手を伸ばすと、予想に反して大河はやや逃げ腰になった。
ますますもってらしくないし、面白くない。

「……大河、なぜ逃げる?」

わかりやすいようにあえて不機嫌な声を出すと大河は困った。と顔で語って首筋に自身の手を当てる。

「実は、今朝ちょっと寝違えてしまって…ネクタイを締めると痛いんです。」
「なるほど……だが、そんな調子で今日の仕事はどうする気だ。」
「なんとか我慢できないわけではないので、ロビーにいる時だけ締めようと思います。」

力無く笑うその言葉に説得力はあまりない。
彼の精一杯のやせ我慢に昴はやれやれと肩を竦める。

「まったく君という奴は……少しかがめ。」

言われるままに膝を落とすと、昴の両手が大河の首筋に当てられる。

「昴さん?」
「動くなよ……はっ!」
「わひゃあっ!」

ツボを探るような指の動きに次いでぐきっという派手な音を立てた大河の首から昴が手を離すと、さっきまでのじりじりとした痛みが消えていた。

「どうだ?」
「あ……もう、痛くないです。昴さん、ありがとうございます!」

いつもの人懐っこい満面の笑みに昴も薄く笑う。

「まぁ、仕事に支障が出るようでは問題だからな。」
「今度また寝違えたりしたときも、昴さんに相談しますね。」
「調子に乗るな。僕だって都合がある。」

ピシャリと言い放つと叱られた子犬のようにうなだれる。

「まぁ…早期なら考えてやらないこともない。」
「は、はい!…えへへへ…」

フォローを入れるとまたぱっと表情を明るくして、笑う。大河らしい百面相だ。

「何がおかしい。」
「なんでも無いです。じゃあ、ぼく仕事に行きますね。」

ネクタイをしっかりと締めてロビーに向かって走りだした後ろ姿を見送りながら昴は思う。
本当に、興味深い存在だ……と。




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