ハッピーだと感じたときは?
      
      「んー……そうだなぁ、ラリーと思いっきり走ってるときとか、お日様ぽかぽかな日に干し草の上で昼間したり師匠と一緒に修行したりとかかな。」
      
      「そうだな…ラリーが野駆けにつきあってくれたときや、夜を吹く風が心地良かったり師匠が手合わせしてくれることだな。」
      
      
      そう訊ねてくれた人はもういないけれど。
      
      
      「貴様、ジェミニに何をした!」
      「わひゃあっ!…ジェミニン?!」
      
      日課であるセントラルパークでの朝稽古を終えた帰り道。アパートの前で待っていた人物に笑顔を向けた大河は予測していなかった口調に素っ頓狂な声を上げてしまう。だが、ジェミニンは怒りの瞳のまま大河に近づき胸倉を掴む。
      
      「何をしたか聞いてるんだ!返答次第ではただじゃすまないぞ。」
      「ちょっ、ちょっと待ってよ!」
      
      その剣幕に圧倒されている大河が必死に両手を左右に振ってジェミニンを落ち着かせようとすると、ふっと目の前の青い瞳が変わる。
      
      「ごめん、新次郎!大丈夫?」
      「あ……ジェミニ?」
      
      パッと手を離して胸の前でばつが悪そうにもじもじと動かしながら、ジェミニは黙って頷いた。
      
      「ボクがなかなか起きないから、お姉ちゃんが…その……早とちりしたみたいで……あ、朝早くからごめんね!また後でシアターでね!」
      「…ってジェミニ、ちょっと待っ―――」
      
      そそくさと立ち去ろうとするジェミニに反射的に呼び止めるが、そのまま走り去ってしまったので大河は伸ばしかけた腕で所在なさげに頭をかいた。
      
      「ええと…?」
      
      
      勢いよく自室へと入ると、ジェミニはドアを背にずるずるとその場に座り込んだ。
      
      「もう、お姉ちゃんビックリさせないでよぉ……」
      『オレはお前の様子がおかしいから、その原因を懲らしめたかっただけだ。』
      「だから違うってば!新次郎は全然悪いことなんて無いの……ただ、ちょっと照れくさかっただけだもん。」
      『……』
      
      ジェミニンが黙る気配を感じたジェミニはそのまま無言でしばらく過ごしたが、やがて意を決して立ち上がった。
      
      「さ、そろそろ朝ご飯食べなきゃ遅刻しちゃうよ。」
      
      パンをトースターに入れてせっせと準備をするジェミニの奥深くでジェミニンは唸った。
      普段、ジェミニが起きて活動しているときジェミニンは眠っている。だから、その間のジェミニの行動や体験は知らないのだが、先ほどの話の流れから考えると大河となにかあったのは間違えないだろう。
      
      (妹を頼む、と言ったのはオレだが……)
      
      嬉しいような寂しいような複雑な感情がじわじわとジェミニンの心に沸き上がってくる。
      
      『……ジェミニ。今はハッピーか?』
      「どうしたの突然?もちろん、ハッピーだよ!お姉ちゃんも新次郎もみんなもいるし!」
      
      こんがり焼けたパンをかじりながらすぐさま明るい声で答えたジェミニにジェミニンは静かに笑みを浮かべた。
      
      『…そうか。』
      「ねぇねぇ、そう言えば昔師匠にも同じことを聞かれたよ。」
      『ああ、オレも聞かれた。そしたら師匠、二人とも答えが似てるって笑ってたよ。』
      「そうだったんだ…ねぇ、お姉ちゃんは今ハッピー?」
      
      軽い朝食を食べ終え、食器を台所に運んだジェミニはすぐ傍にある小さな鏡に向かって問いかけ
      た。鏡に映った瞳が僅かに揺らいだ気がする。
      
      『ジェミニがハッピーなら、オレもハッピーだよ。オレたちは二人で一つだ。』
      
      頭に響くもう一人の自分の声と気持ちにジェミニの胸がじんわりと暖かくなる。
      
      「……ありがと、お姉ちゃん。」
      『改まってどうしたんだ?』
      「ん、なんとなく。」
      
      ジェミニはただ小さく笑って首を横に振ったがジェミニンにわからないように師匠にも改めて感謝した。師匠がジェミニンを見つけて、認めてくれなければこうして話すというハッピーは永遠に訪れなかっただろう。
      
      『……じゃあ、オレは眠るからな。』
      「うん、おやすみなさい。」
      
      鏡に向かって手を振ると、次の瞬間には“自分”の顔が見える。
      手早く片付けを終えたジェミニは枕元に大切に納めているミフネから譲りうけた愛刀にそっと触れる。
      ハッピーだと思ったときは?
      そう訊ねてくれた人はもういないけれど。
      
      「………じゃあ、行ってきます。ラリー、今日は留守番よろしくね!」
      
      思い出とそこから始まる今日があるから大丈夫。
      
      「わ!…新次郎。」
      
      ドアを開けたジェミニは今まさにノックしようと右腕を上げていた大河と危うく顔でぶつかりそうになったが、すんでのところで踏みとどまる。
      お互いに頬を染めて目をぱちくりさせていたが、しばらくして大河がやや俯きながらもしっかりとジェミニを見つめながら口を動かす。
      
      「あ、あのさ……シアターまで一緒に行かない?」
      
      今朝はなんかバタバタしてたし、と付け加えた大河にジェミニはあの小さな騒動を思い出したが、それでもこうして誘いにきてくれるのが嬉しくて素直に頷く。
      
      「うん、一緒に行こう!」
      
      その笑顔は極上のものだった。
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