「アメリカンドリーム、ね…」
シアターで定期購読している演劇雑誌の“今月注目舞台”の記事を読んだラチェットはそう呟いて雑誌を手にしたままデスクから離れた。
紙面にあった注目舞台とはこのリトルリップシアターの「ロデオとジュリエット」だ。特に初主役となるジェミニに注目している。
「まぁ、自然な興味よね。」
同シアターの掃除係がいきなりの主役抜擢。これに注目しないのは逆に記者として失格だ。
「…さて、そろそろシアターを閉めなきゃね。」
雑誌を本棚の所定の位置に戻したラチェットは自分の手荷物を持って支配人室を後にした。
エレベーターを降りて楽屋の前まで来たときにラチェットはあることに気づく。
「……ステージの方かしら?」
物音がする。
今日はスタッフも早めに仕事を切り上げて帰ったはずだ。携帯しているナイフを確認し、気配を殺してそっと舞台を覗くと人影が一つ。
だが、その姿にラチェットはふっと警戒を解いた。今度は足音を消さずに舞台のセンターに座る人物に近づく。
「ジェミニ、こんな時間に一人でどうしたの?」
その声に気づいて振り返ったジェミニの顔には不安と期待が入り混じっていた。
「あ、ラチェットさん…」
「落ち着かないの?」
柔らかい笑みを浮かべて指でジェミニの隣を指すと、ジェミニが小さく頷いたのでラチェットも舞台に腰を下ろした。
「……もうすぐ本当に星組の舞台に立てるんだなぁと思って。」
掃除をしながら真似るのとは訳が違う。そう思うとドキドキワクワクしてしまうと話すジェミニにラチェットは微笑みをさらに深くし目を細めた。
その女神が如くの雰囲気に、ジェミニはかなわないなぁとぼんやりと思った。
「……ボク、ラチェットさんに憧れてるんです。」
「私に?」
ラチェットにとっては唐突に思える告白に目を瞬かせると、ジェミニは素直な笑みを浮かべて頷いた。
「だって、ラチェットさんはスッゴくキレイだし、頭もいいし、頼りになるし……ボクが最初にすごいと思った女優さんもラチェットさんなんです!」
矢継ぎ早に出てくる褒め言葉にラチェットは気恥ずかしさを感じ、やや頬を染めた。
「ふふ……ありがとう、ジェミニ。あなたにそう言われると嬉しいわ。」
その手の賛辞は飽きるほど聞いていたが、ジェミニの言葉は素直に嬉しかった。
「だから、ボクもがんばろうって思ってるんですけど……ちょっと不安になっちゃったんです。だから、ここに来て考えようと…」
キラキラと輝いていた瞳が陰る。くるくると変わる表情にラチェットは膝の上に頬杖をついていたずらっぽく笑った。
「ねぇ、ジェミニ。私が憧れているものって知ってる?」
「えっ?」
「私の憧れはね、満天の夜空を広い草原で寝ころんで見上げること。」
すっと頭を上に向けるが、ここから見えるのは照明という人口の光の装置。
仮に外に出たとしても摩天楼の空に輝く星は本来の数からみるとごく僅かだ。空を埋め尽くすほどの星を、ラチェットはまだ一度も見ていなかった。
ラチェットの夢にジェミニは目をぱちくりさせた。それは、テキサスではごく当たり前でジェミニにとっては普通のことだったから。
「私はね、それを知ってるあなたが羨ましいの。」
「そ、そんな……ラチェットさんにそう言われるとボク照れちゃいますよ。」
思わぬ言葉に亀のように首を縮めて照れるジェミニの頬をラチェットは両手で優しく、けれどもしっかりと包んで自分の目と合わさせる。
「誰にでも、その人にしかない魅力が必ずあるの。今回の舞台、あなたなら誰よりも輝くジュリエットができると思ったから任せたのよ。だから、もっと自分に自信を持ちなさい。」
「ラチェットさん……」
真剣な光を宿す瞳に見つめられ、ジェミニは口元を引き締めてしっかりと首を縦に振った。
「わかりました!ボク…精一杯がんばりますっ」
立ち上がってガッツポーズをとる様をラチェットは眩しそうに見上げてから、一拍遅れてジェミニに続いた。
「じゃあ、ボクそろそろ帰りますね。ラチェットさんは?」
「私はもう少しいるわ。おやすみなさい、ジェミニ。」
「はい、おやすみなさいラチェットさん。相談に乗ってくれてありがとうございました!」
ぺこりと頭を下げて走り去る後ろ姿が見えなくなるまで見送ったラチェットは、ふふっと口元をほころばせた。
「まるで磨けば磨くほど輝く可能性がある宝石の原石ね。」
彼女ならこれからもっともっと輝いていけるだろう。
ジェミニがいた、かつては自分もそこにいたセンタースポットの当たる位置を一瞥してから、ラチェットは今の勤めを果たすべくシアターの玄関へと向かった。
自宅へと早足で向かいながら、ジェミニは頬を緩ませる。
「何だか、新次郎が言ってた意味がわかった気がするなぁ」
ラチェットに期待されているのが嬉しい。
以前、大河からそんな内容の話を聞いたときは何故だか少し悔しかったが、今はそれがよくわかる。
彼女に期待されてるのならば、がんばらないわけにはいかない。
「よーし!ボクはボク!」
両手を握りしめて頭上に掲げそう叫び、はっと気づく。
「そうか……ボクはボクなんだよね。」
誰かに憧れるだけじゃなく、自分らしさを受け入れること。
他のみんながより輝いて見えるのは自分で自分を認めているからなのだ。
まず、そこから始まるのだ。今なら、それがわかる。
「お姉ちゃん……ボク、やるよ。」
今なら、それができる。
胸に手を当てて瞳を閉じてそう呟いてから、ジェミニは再び歩き出した。
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