「よし、きれいになったぞ。」
額ににじんだ汗を拭いながら、大河は満足げに呟いた。視線の先にある屋外サロンは昨晩の雨の汚れも消えてすっかり元通りになっている。
「あ、しんじろー!」
次の掃除場所に行こうとバケツに伸ばしかけた手を止めて振り返ると、肩に相棒であるノコを乗せたリカリッタが勢い良くこちらに駆けてきていた。
「リカ、そこまだ湿ってて滑るから気をつけ――」
「うおっ!?」
「ああもう、言ってるそばから!」
転ばなかったものの、突然バランスを崩したリカリッタの肩からノコが投げ出される。素早く地面を蹴った大河は正面から向かってきたノコを掴み、肩で押さえて空いてる方の手でリカリッタを支えた。
「ふぅ……リカ、ノコも大丈夫?」
交互に様子を伺うとリカリッタは頷きながら体制を整え、ノコはキュッと一声鳴いてリカリッタの肩へ戻った。
「怪我してない?」
「おう!リカもノコもへいきだ!いしししし〜…しんじろーありがとな!」
「いえいえ、どういたしまして。」
「お礼にノコやる!」
胴体をしっかりと掴まれて差し出されたノコに大河は思わず言葉を詰まらせる。
リカリッタが感謝の印として大河にノコを託そうとするのは今に始まったことではないが、ノコの顔やリカリッタの事を考えるとやはり受けるわけにはいかない。
「い、いや…前にも言ったけどノコはもらえないよ…リカの気持ちだけで嬉しいから。」
優しく笑いかけて頭を撫でるが、今日のリカリッタは納得がいかないのか眉根を寄せて唸る。
「んー…じゃあ、これな。」
ちょいちょいと手招きをされた大河が合わせていた目線をそのままに距離を縮めると、リカリッタは素早く両手で大河の顔を掴んでその頬に自分の唇を当てた。
「なっ…!?リカ!??い、いま…」
思ってもいなかった事態にうまく言葉が出ない。だが、そんな大河を余所にリカリッタはけろっとしている。
「あのな、嬉しいときは相手のほっぺにキスするんだってサニーサイドが言ってたんだ。そのときにラチェットやプラムに聞いてもそれでいいって言ってたからウソじゃないぞ!」
アメリカでは挨拶代わりにキスをすることがある。ということはもちろんわかっているし、実際にプラムには何度かされたこともある。リカリッタは間違ってはいない。
(でも、リカにされるとは思わなかったよぉ…)
「しんじろー…もしかしてイヤだったのか?」
しゅんと肩を落とすリカリッタに、慌てて首を振る。
「イヤじゃないよ!ただ、ちょっとビックリしただけだから…大丈夫。ありがとう、リカ。」
嬉しいのと照れくさいのとちょっと情けないのが混ぜこぜになっていた思考を押さえ、安心させるために笑顔をみせるとリカリッタもパッと顔を明るくする。
「じゃあ、今度はしんじろーもだぞ!」
そして、そのままの笑顔での要求に、大河は思わず転びそうになった。
「リカがしんじろーを助けたときにはちゃんとするんだぞ。」
ああ、ぼくは一生かなわないかもしれない。
でも、それでもいいか。と大河は思う。
「しんじろー?」
この笑顔が曇らなければ、それでいい。
リカリッタの頬を両手で包み、そっと額に口付ける。
リカリッタが大河の顔を見上げると、彼の頬は少し赤かった。
「リカ、まだしんじろーになんにもしてないぞ?それに、おでこじゃなくてほっぺだぞ。」
「い、いいの!もう、十分嬉しかったから。」
「?わけわかんねーぞ、しんじろー。」
無邪気なリカリッタと一生懸命な大河。他の仲間が居たらなにか言うに違いない状況だが、リカリッタの肩から降りたノコは短く鳴くだけだった。
「……うーん、やっぱりリカの方が押しが強そうだねぇ…でも、ちゃんとアクションをとれただけ大河くんも成長したってことかな。」
「……仕事をサボって覗き見なんて、いい覚悟ね、サニー。」
「ラ、ラチェット!いやこれはだねぇ…」
(それにしても……リカ、他にもサニーさんとかに何か教わってるのかなぁ…あまり変なことを覚えなきゃいいけど。)
サニーサイドにフライパンの一撃が入る音は、密かに心配する大河の耳には届かなかった。
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