そこへ入ったのは勢いだった。
だが、出てきたサジータは実に満足そうに笑みを浮かべていた。
今日は朝早くからクライアントとの打ち合わせのはずだったが、その予定は先方の都合でキャンセルとなり、珍しくスケジュールに空白ができた。
早めにシアターへ向かっても良いのだが、まだ売店もドリンクバーも開店していない時間だ。
そんな時にその映画看板は目に飛び込んできた。
真っ白なドレスに身を包んだプリンセスが夢見る瞳を輝かせているもので、妙に目が離せなかったサジータはきょろきょろと辺りを確認してから、チケットブースへ向かった。

おとぎの国に住む女の子が王子に見初められ、幸せな結婚式直前に意地悪な女王に騙され突然異世界―――現代の紐育へ来てしまうというストーリーのその映画は現実の皮肉さを交えつつも立派な“おとぎ話”でサジータは夢中になった。

(いやぁ、たまには映画も良いもんだな。)

ウキウキした足取りのまま遠回りになるがセントラルパークを回ってシアターに向かうことにする。
映画の中で、プリンセスは紐育で出会った人物とここで愛を歌い踊っていた。
おとぎの国と違って自然と音楽は流れないが、パークにいたアマチュアバンドを巻き込み音楽好きなニューヨーカーが次々と加わり、なんとも楽しいミュージカルシーンでサジータが気に入ったパートの一つだった。

(……ま、もちろん現実じゃあそんな事は起きないけどな。)

賑わうセントラルパークを何事も無く抜けて、思わず苦笑いをこぼす。
その時にプリンセスの隣に居たのは現代を生きる実に現実的な弁護士だった。
そう、弁護士…サジータは自分と同じ職業の人間が主要人物の中にいたという点でもあの映画を気に入っていた。
彼らが徐々に変わってゆく様が物語の鍵だった。

(あと少しで幸せに手が届くと思っていたのに、か…)

終盤でのナンバーを思い起こしながら、サジータは足を止めずに周囲を見渡した。
タイムズスクエア。四方から喧騒が絶えない、紐育一騒がしい場所。
丁度リトルリップシアターの目の前にある交差点の真ん中にあるマンホールから、おとぎの国の住人たちは現れる。
運命の相手を追ってきた王子は、またそこへと帰っていった。そう、運命の相手と共に。

(本当に幸せになれる場所は、それぞれ違うってことか。)

もちろん、映画はハッピーエンド。みんなが幸せに暮らしていく。
さて、自分にとってのそんな場所とは?
疑問符をつけてはみたが、サジータの中ではとっくに答えは出ている。

(もちろん、生まれ育ったハーレムは大事な場所だ。でも、もう一つ…)

交差点を真っ直ぐに進み、シアターの正面玄関の扉を押し開けるとオーナーが趣味で作り上げたこの劇場のメインテーマが耳に届く。

「あれ、珍しいですね。サジータさんが正面玄関から入ってくるなんて。」

そして、モップを持ったまま自分に声をかけてきたのは掃除真っ最中の大河。

「今日はこっちから入りたい気分だったのさ。」

コツコツと靴音を響かせながら大河に近づいたサジータはじっとその顔を見つめる。

「どうかしたんですか?」
「んー…いや、なんでもないよ。掃除、しっかりと頼むな。」

くしゃくしゃと思いっきり頭を撫で回されて大河は思わず声を上げる。

「わひゃあっイキナリ何するんですか!」
「あはは、じゃああたしはもう楽屋に行くな。」

口を尖らせながらも、手櫛で髪を整えてサジータに手を振った大河に片手で応えたサジータは楽屋に向かう誰もいない廊下で堪えきれず笑みを浮かべた。

(やっぱりあたしにはここだな。)

ここには心弾む音楽。頼りになる仲間。そして愛しい人。全てがある。
目指すはHappy Ever After

(もちろん、あんたの隣でな。)




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