「あ、新次郎出かけるの?」
エレベーターホールからまっすぐにロビーに向かってきた大河に声をかけたのは掃除服姿のジェミニだった。堅く絞った布巾でテーブルを拭いているところだ。
晴れて女優になったにも関わらずこうしてたまにシアターの掃除もこなす彼女に大河は足を止めて脇に抱えた封筒を指し示した。
「うん。今から王さんに届けに行くんだ。」
「そっか〜…外、暑いから気をつけてね。」
「ありがとう。じゃあ行ってくるね!」
「いってらっしゃーい!」
大河が玄関を出ていくまで手をふって見送ったジェミニはそのまま片足をぴょこぴょこ上げて夢見がちに瞳を潤ませた。
「なんか今のって新婚さんっぽかったよね。いってらっしゃい、ダーリン。行ってくるよハニー。あ、待ってネクタイが曲がってるわ……なんちて、なんちて!」
いつもならこのまま放っておくと小一時間はこのまま自分の世界に浸っているジェミニだが、今日ははたと我に返り急いで楽屋へと向かった。
「新次郎、出かけましたよ!」
勢いよく扉を開けながら報告すると中で思い思いの場所に座っていた星組の仲間たちが素早く立ち上がった。皆、それぞれに紙袋を抱えている。
「よし、じゃあ早いとこ始めよう。」
サジータの声に5人連れ立ってロビーへと戻り、ジェミニが綺麗に整えたテーブルに紙袋の中身をどんどん出していく。
「いししししし〜!今日は特別だからリンゴどっさりだぞ!」
リカリッタがゴロゴロと転がし出したリンゴがテーブルから零れるのを昴が受け止めて丁寧に戻す。
「カウンターの中では狭いからフルーツを切るのはこちらでやろう。」
「じゃあ、ナイフとまな板はこちらにおきますね。」
昴の提案にカウンターの中で必要な調理器具を用意していたダイアナはすっとテーブルにセッティングする。切ったフルーツを入れるボウルも合わせて置いてくれたダイアナに昴は短く礼を言った。
「じゃあボクは生地を用意するね!えへへ…新次郎、喜んでくれるかなぁ?」
役割分担に続いた呟きに、全員がそうだと良いと思う。
影がすっかり長くなり、ロビーに差し込む光が赤みを帯びてきた時間にそれは完成した。
「よっ……と…できたー!」
最後の飾り付けとしてメッセージが書かれたチョコレートプレートを慎重に慎重に置いたジェミニは両手を上げて喜んだ。
「まぁ、あたしが本気になればこんなものだよ。」
「サジータは生クリームを混ぜただけだぞー」
率直なツッコミにサジータは思わず厳しい目線を向けるが、当のリカリッタはイタズラが成功したかのようにニコニコと笑ってサジータの傍からダイアナの傍へと移動した。
「あとは、大河さんの帰りを待つだけですね。」
リカリッタの頭を撫でながらダイアナがワクワクを抑えられない声を出して玄関をチラリと見る。
ふと、サジータは同じ方向を見ている昴が何時になく柔和な笑みを浮かべていることに気がつき軽く目を見張った。
「それにしても、初めて会ったときはこんな風に祝う相手になるとは思わなかったよ。」
だが、それにはあえて触れずニヤニヤ笑いを浮かべて別のことを口にする。
それが今の待ち人を指すとわかった面々はそれぞれに頷き、笑顔を浮かべた。
平素はリトルリップシアターのモギリとして走り回る大河新次郎はここにいる紐育華撃団星組をまとめる隊長だが、渡米した時の扱いは今思い返すと散々なものだった。
だが、彼は諦めず立ちふさがる様々なものに真っ直ぐに向かっていった。
その姿に心を塞ぐ呪縛を打ち払う勇気を得た。
明日を信じる希望を持った。
自由の素晴らしさも、夢を見る力も、愛する暖かさもみんな彼から教わった。
だから、今日は特別な日なのだ。
甘い、微睡むような時間を動かしたのは勢いよく開いた扉の音だった。
見ると、走ってきたのか肩で息をしている大河が笑顔でこちらを見つめていた。
一瞬だけ目を合わせた5人は特製のケーキを中心に一斉に口を開く。
「お誕生日おめでとう!」
嬉しい光景に大河は顔をさらに綻ばせた。
その様子を見た面々は、嬉しい結果にさらに表情を明るいものにする。
今夜のリトルリップシアターは、幸せの輝きで満ちていた。
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