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「ボクはあなたを呼んだはずなんですけどね、ミスター大神。」
大帝国劇場地下の作戦指令室。
そのメインモニターに映された人物はにこやかな顔をしているが決して笑顔では無かった。
「ええ、そうでしたね。」
その人物に、現帝国華撃団総司令の大神一郎は冷静に頷いた。
「なら、船の上にいるはずのあなたがそこにいる説明を。」
モニターに映し出された通信相手である紐育華撃団の総司令、マイケル・サニーサイドに大神は苦笑いをみせる。
「先立って書面で報告が行っているはずですが…」
「ああ、きているよ。でもボクは君が来れない理由を直接聞きたくてね。
ラチェットなんか君が来るって張り切ってるし、ねぇ?」
それでも問いかけてくるサニーサイドに大神がどう説明しようか顔には出さずに考えあぐねていると、メインモニターの右上に新たな回線が繋がれた。
「ちょっと失礼するよ。」
「グラン・マ!?」
突然の乱入者は巴里華撃団総司令であるイザベル・ライラック夫人…グラン・マであった。
「お久しぶりです…お元気そうですね。」
「ああ、ムッシュも相変わらずみたいだね。」
驚いた大神だったが、まず先に挨拶が出たことにグラン・マは満足げに微笑んだ。
「はじめまして、マダム。
まさかこんな形でご挨拶することになるとは思いませんでしたが、紐育華撃団のマイケル・サニーサイドです。」
「ああ、あたしもだよ。よろしく、ムッシュサニーサイド。あたしのことはグラン・マでいいよ。」
続けて挨拶を交わしたサニーサイドにグラン・マは悠然と返す。図らずも現存する華撃団の総司令が勢揃いしてしまった。
「でも突然ですね…なにか、巴里であったんですか?」
「いや、こっちは大丈夫さ。ただムッシュに聞きたいことがあってね…あたしの考えが間違ってなければ、ムッシュサニーサイドと同じ人物の事で。」
質問に首を振ったグランマの切り返しに大神は一瞬驚いたが、華撃団の新しい情報は賢人機関によって常に総司令の元に届けられることに思い当たり納得した。
「ムッシュが推薦した大河新次郎という子は、どんな子なんだい?」
双方から問われた大神は両手を組み、ゆっくりと口を開く。
「……まだ、真っ白な子ですが素直で飲み込みが早くて、何より前向きで諦めない性格です。剣技も俺に引けをとらない実力を有しています。」
「でも、実戦経験は無い。」
彼が実際に配属される紐育から厳しい口調で遮られ、改めてサニーサイドの顔を見るとサニーサイドは眼鏡を直しながら鋭い視線で大神を見据える。
「我々が君を呼んだ最大の理由は経験だよ。新しい組織には経験者を呼んだ方が安定が早いからね。」
「その点についてはあたしも同意するけど、いつまでもムッシュに頼るわけにもいかないだろう。それに、紐育に行く余裕があるくらいなら巴里に顔を出しておくれ。あの子たちだって会いたがってるんだからさ。」
グラン・マの言い分にサニーサイドは一瞬目を見張ったがすぐに肩をすくめて作り笑いを浮かべた。
大神はというと、巴里花組の面々を思い浮かべて乾いた笑い声をあげる。
「ただでさえ、ムッシュは帝都と巴里で手一杯なんだ。この上星組の隊長になったら体が持たないし、いつか本当に血を見るよ。あの子たちも気が強いからね。」
「グラン・マ、怖いこと言わないでください…」
「それに…任せられる人材が見つかったのは好ましいことじゃないか。」
男性の霊力者は滅多にいない。その上、華撃団に入団できる資質を持ち合わせてる者となると更に絞られる。その事を肌で知っているグラン・マは大河新次郎の出現を本当に好く思ってくれているとその表情から読み取った大神は深く頷いた。
「改めて聞くよ、ムッシュ。大河新次郎に紐育星組の隊長が務まると思うかい?」
「はい。」
淀みの無いはっきりとした返事に、グラン・マは目元を和ませて膝に乗ってきたナポレオンの背をなでた。
「そうかい…それじゃあ、あたしから言うことは無いよ。」
「もしもし、その大河新次郎を受け入れなきゃならないこちらはまだ納得して無いので話を終わらせないでもらえますかな。」
そのまま通信終了となりそうな雰囲気に、サニーサイドは素早く発言を挟む。
「こういう判断時のムッシュは信じていいと思うけど……そうだね、じゃあ二人で勝負でもするかい?」
「勝負?」
「俺たちが……ですか?」
モニター越しに二人の男が同じように疑問符をつけたのを見て発言主のグラン・マはああ。と言葉を続けた。
「どちらも腹に考えがあってのことだろう。だったらどちらの戦略をとるか、勝負で決めたらいい。そうだね……チェスなんかどうだい。すぐ始めるならあたしが審判を勤めてもいいよ。」
「…こちらはかまいませんよ。」
「俺も、受けて立ちます。」
サニーサイドの笑みが意地悪く深くなるのと、大神の顔が戦闘時のように鋭くなったのを見取ったグラン・マは双方にチェスの用意を促す。
(なんだか、変な事になったな…)
でも、これで納得してもらえるなら全力を尽くすまでだ。
大神が遊技室からチェスの一式を取りに行って戻ってくると、サニーサイドもグラン・マも既に駒の配置を終えていた。
「なかなかいいチェスじゃないか。職人の一点物ってところかい。」
「ええ、一目で気に入って衝動買いしてしまいました。」
「お待たせしました。」
他愛のない世間話をしていた二人に声をかけると、二人とも会話を打ち切り目の前のチェス盤に視線を注ぐ。
「先行はどちらだい?」
「それじゃあ、敬意を払ってミスター大神でどうぞ。」
「じゃあ、ムッシュ。ゲームスタートだ。」
「わかりました。では……ポーンをd―4へ。」
大神が駒を進めた通りに二人も手元の盤の駒を進める。
そのやり取りを続けていくうちに、グラン・マはよく似た勝負を思い出し心の中だけでほくそ笑む。
(なるほど…帰国前のあたしとの勝負に勝った時と同じ作戦か。)
グラン・マは勝負だと思った時は一気に攻める。それこそ早期にクイーンを敵陣に食い込ませることすら厭わない。今のサニーサイドの戦法もそれに近いものがある。
(ムッシュサニーサイドは、思うように進められなくて不思議に思ってるころかもね。)
一進一退を余儀無くされているサニーサイドの表情を見て、グラン・マは自分の考えが当たっていると確信する。
(スマートに勝てるはずが、気がつけばボクの駒はルークとキング。ミスター大神の駒はポーンとルークとキングか…)
「ルークをa−8へ。」
駒を進め、キングを守る為にa−5に居た大神のルークの囮にする。案の定、大神は次にルークを動かしてきたのでそこをキングで取る。これで大神の駒はキングとポーンのみだが、とそこでサニーサイドはあるルールを思い出す。
(まさか、最初からそのつもりで…!)
瞳が驚きに開かれたのを見た大神は、キングを逃がして勝機を窺おうとしていたサニーサイドに決定的な一手を放つ。
「ポーンをb−8へ…クイーンに成ります。」
敵陣の最終地点に到達したポーンはキングとポーン以外の好きな駒に成ることができる。
滅多に見られない手だが、大神はこの大一番で実現させたのだ。
サニーサイドの駒はキングのみ。
「…チェックメイトです。」
クイーンとキングで追い詰める大神の勝利は明らかだ。
「……決まったね。ムッシュの勝ちだ。」
グラ・ンマが改めて勝者の名を上げると、大神はほっとしたように息を吐き、サニーサイドはやれやれとため息をついた。
「このボクがチェスで負けるとはね…ますます君を星組に呼び入れたくなったけど、仕方が無いか。」
これ以上の勧誘はフェアではない。ようやく引く姿勢を見せたサニーサイドに、大神は先ほど勝利を決定づけたポーンを手のひらの上に乗せて言葉をかける。
「サニーサイドさん、新次郎はこのポーンみたいな存在なんです。たしかに、今は実戦経験の無い隊員ですが何にでもなれる、何でもできる可能性を秘めているんです。」
海を越えて新天地へと向かう甥の顔を思い浮かべて大神は一瞬叔父の顔を覗かせるが、すぐに真摯な目で早くも思案を巡らせている様子のサニーサイドを見つめる。
「その可能性を、紐育星組で試してください。」
「……わかりました。いいでしょう、大河新次郎を正式に紐育華撃団へ迎え入れる手続きを早急に整えましょう。」
「ありがとうございます。」
あんたが頭を下げることは無いだろうに、とグラン・マは思うだけで口にしない。これが大神一郎という男の持ち味だ。
「ただし、本当に資質があるか最初にこちらでも試させてもらいますからそのつもりで。」
そして、この男は紳士だけど食えない男だね。
そう思うと同時にナポレオンが身を上げてモニターのサニーサイドを凝視するが、それは一瞬のことですぐに目をそらせてグラン・マに向かって鳴き声を上げる。
やっぱりあんたもそう思うかい。
「ええ、それはかまいません。」
だが大神がサニーサイドの疑り深いとも慎重とも言える発言をあっさり認めたので、グラン・マもそれ以上口出ししないことにした。
「ま、あとはあんたが納得できるようにすればいいさ。それじゃあ、あたしはそろそろ失礼するよ。いい勝負に立ち会えて良かったよ。」
「グラン・マも、ありがとうございました。」
「ご機嫌よう、マダム。」
二人の挨拶を聞き届けるとグラン・マの微笑み一つを最後に巴里からの通信が途絶える。
「それじゃあ、こちらも退散しますか。ああ、でもその前に最初の質問に答えてもらおうかな。何故、あなたは紐育に来られないか。」
「……簡単なことです。
For Tokyo and an important person, I cannot leave here.」
もうわかっているだろうに、あえて言葉を望むサニーサイドに大神ははっきりと返事をした。
「…わかりました。では、これで失礼するよ。」
そして、その答えを聞いたサニーサイドは今度こそ引き下がった。
挨拶もそこそこに通信を終え、目の前に置いたままのチェス盤を黙って見つめる。
「やれやれ、このボクが煮え湯を飲まされることになろうとはね。」
これが大神一郎という男の力量、あるいは片鱗か。
(まぁ、その人物が太鼓判を押した人材だ。とりあえず到着を待つとするか…予定通りならあと5日。)
それまでに大神用に準備を進めていた様々な要素を大河新次郎用に修正しなくては。
(部屋は変更無しでいけるけど、服や霊子甲冑の整備は急がせないと……まぁ、どっちにしろ最初は雑用で様子を見るか。)
それでくさるような性格だったらすぐさま放り出そう。
サニーサイドが彼なりの結論に達したと同時に、チェスを片づけていた大神の背中に寒いものが走る。
(すまん、新次郎……到着から一波乱あるみたいだ。)
大神の予想が正しければ、サニーサイドは最初に自分が呼ばれていたことを遠慮無く言い放つだろう。
そして、それからの行動で資質を見るつもりだと。
(俺も昔、米田長官にやられたからなぁ……でも、あれがあったからこそここの生活が本当に大切なものだと思えるんだろうな。)
花組の隊長はまずここでの暮らしを愛してくれる人物でなければならない。
それはきっと、星組の隊長も同じだ。
(大丈夫、紐育の街はお前を受け入れてくれる。だから、がんばれよ新次郎…)
「よっと……こんなもんかな。」
さほど広くは無い船室で出来うる限り体をほぐした大河は、小さな窓から見える星明かりの海を見つめる。
「いよいよ明日は紐育かぁ…どんな所だろう。」
夢と希望の新天地、紐育。
誰もが輝ける明日を求めて集うその都市に一人の東洋人が降り立つ。
大河新次郎―――無限の可能性を秘めた彼の物語は、ここから始まる。
END
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