2月29日 園岡新太郎、西村陽一、べろ武田
2月29日。うるう年の貴重な日ですね。そんな日に行われた園岡さん、西村さん、武田さんのダンディ団トークショウ!
平日+月末という条件が重なったためか、定員にならずスタート……でも、その分濃い感じもしました!!(笑)
ところどころ、園岡さんについてだけはつい癖でボスと書いてしまっているところもありますが(汗)ステージ上でも役名がぽろぽろ出てきたりしていたので見つけてもご容赦くださいませ;;
店主のいつもの諸注意のあと、会場がやや暗くなりまして、あのダンディ団の主題歌といえる曲が流れてきて…
袖から武田さん、園岡さん、西村さんと登場し、そのままステージに並び「ダンディ」を熱唱。
メロディー部分はボスのみ、サビの部分は三人で歌われていました。
曲が終わって、三人がそれぞれご挨拶をしてここからトークモードへ。
園岡さんが2人に向かって「お客さんいたよ、よかったね。」と言うと、西村さんが「良かったっすね。誰もいないかと思ってたけど。」と仰られてました。
そんなこと無いです!!お三方のために駆けつけましたよ!!
立ち見の人に向けて「立っているところ悪いですが、座らせてもらって…」と断るところがまた律儀です、ボス。(笑)
完全にトークモードなのですが店主の出番は無く、進行役は武田さんがやることに。「なんで俺が進行役なんだ」と呟いていましたが、適任だと思います。(笑)
実はダンディ団、事サクラの舞台関係に関しては一番長い歴史を持っていたりするんですよね。それこそ、花組さんよりも出番が多いかも…<様々なところに出没しているから。(爆)
ということで12年分のサクラの思い出を語ることに。西村さん曰く「サクラの生き字引って言われているので」と。(笑)
ということで、記念すべき第1回の歌謡ショウ「愛ゆえに」から思いで語りスタートです。
この頃から西村さんと武田さんは参加されていたのですが、あの時はまだ園岡さんはおらず、ダンディ団という名前もなくヤクザというだけだったと。
2人のサクラとの出会いは「たまたま」だったそうです。「たまたま事務所に6人って依頼が来て、その中にたまたまいたってことですね。」と語る西村さん。
「その頃はまだJACにいたんですよ。」と武田さんも当時を振り返り、さらに西村さんが思い出を掘り下げます。
西村「本番まで一週間で、本番は三日という後半のサクラではありえないことですよね。だから本番まで花組さんの顔知らなかったんだよね。
で、稽古場にはサングラスのカメラ持った変なおっさんがいたんですよ。(爆…こんなこと言っていいのかな?と言いつつでしたが、今日はぶっちゃけトークですから!)
本番のときに…厚生年金会館でしたっけ?(相槌を入れる園岡さんと武田さん)
ウチの楽屋だけクーラー故障しててサウナ状態だったんですよ。本番終わって汗だくで帰ってきたときにそのサングラスのおっちゃんが来て「今、何が必要ですか?」って聞かれたから「じゃあ、こんな状態(汗だく)ですから冷たいおしぼりを」って頼んだら即持ってきて!「この人出来るおっちゃんやなぁ〜!」って思ってたら、終わって最後にプロデューサーからの挨拶ですってなったときに「あれ、どっかで見たな〜?……プロデューサーだよ!!!(汗)」って。(笑)あの時、誰よりも動き回ってました。」
広井さんは気配りの人だと出演者の方々からこういう機会によくお話を聞きますが、最初からそうだったんですね。あ、広井さんと言えばあの掃除人スタイル。
あれは西村さんと武田さんたちのチョイスらしいです。「広井さんの衣装は僕らが勝手にチョイスして、それから始まりました。」と!楽屋にあったものを組み合わせたそうです。
こんなところにもダンディ団の功績が!
ちなみに、この話をしているときまだ参加されてなかったボスは…イスの足元に用意してあった浪漫堂袋の中身をがさごそ。(笑…2人にはそのまま話続けて。と振っていたので、上記のような話運びとなりました。)「愛ゆえに」の話が始まったばかりの頃に「ちなみに、その頃から見ている人?」と客席に尋ねたらちらほらいらっしゃって「そういう方たちには…」とその袋の中身だった携帯クリーナー(歌謡ショウファイナルで販売していた、歴代公演イラストを使ったあれです。)を手を上げていた人たちに配っていました!最初からサービス満点です。
話に合わせて一生懸命「愛ゆえに」のイラストを探していたのですが、見つかったものの…数が足りなかったらしく、途中から絵柄はランダムだったっぽいです。(笑)
ボスが戻ってきて、一段落したところで二年目の「つばさ」の時期の話へ。
ここからはボスもトークに参加してきました。
園岡「二年目の4月に乙女組があって、そのとき初めて参加したのがキッカケで、その時は悪のピエロという悪役だったんですけど。やってる最中に夏に舞台をやるって聞いて是非出してくださいよって言って…そしたら、主題歌まであって。」
歌が歌えて嬉しかったそうです。
ここからまた楽屋トークへとなりまして…園岡さんは遅れて稽古に参加されたそうなのです。その時は、それまで「アンネの日記」という舞台に出ていらしたそうで、舞台の楽日からそのまま稽古場に直行したそうですよ。
その時、園岡さんの代役をされていた西村さん曰く(サクラはメインメンバーがなかなか揃わなかったりすることが多いらしく、そういう時の代役にダンサーさんたちが奮闘しているそうです。)「最初に会った時に頭チリチリで(顔が)真っ黒で誰かと思った。」そうです。(笑…そのときはユダヤ人の役をなされていたそうです。)
園岡「振り写しをやってもらって。」
西村「あの時、僕らは何でも屋でしたからね。♪銀座から浅草へ〜〜ってこの辺(首筋)がかゆくなる歌とかの振りをね。」
園岡「それは…ふっちゃんに悪いね。」
西村「(苦笑)でも、その最中でもまさか自分たちのボスだとは思わなかった。(爆)一応、自分がヤクザたちの中では一番上だと思っていたから。」
そんな、ボスとの初対面を語っているうちに、またもとんでもない話が飛び出しましたよ。(笑)
その、出会って最初の稽古が終わって都内の某すみだパークスタジオ(ボスや武田さんから「某になってない」とツッコミあり(笑))を出たところで広井さんが「これから西ヤン家に行くぞ!って」言い出したそうです。
西村「(園岡さんと)初対面ですよ!?「じゃ、行くか」って…えー!?」
園岡「大磯って場所に惹かれてね。」
西村「広井さんは来るわ、こっちは初対面で気を使うわで大変でしたよ。家に着いたのが夜中の12時回ってましたからね。そのまんま海に行きましたよね。
で、次の日に稽古だったんすよ。でも、広井さんが「いいよ!」って…(爆)夕方まで泳いでましたね。」
もう時効ですよね、と言いながら話してくれました。(笑)
いやー…パワフルですね、皆様。(^^:;
そんな、裏話が飛びだした「つばさ」ですが、つづいて三年目の「紅蜥蜴」へと話題が移ります。
最初、ダンディ団はダンディ商会という名前で、もっと人数がいた(JACが6人、ダンサーが3人だったそうです)のですが、ここから大半を占めていた若手が抜けて、今の人数になったと。
……あれ?一年目から来てる人いますかって聞いたのはここだったかもしれません……武田さんが「あ、やっぱりいますね〜!歳がわかりますね。(爆)」と言ったとメモが…(^^;;
まぁ、それはさておき…はれてダンディ団と正式名称が付いたこの年。ダンディ団は主に舞台の幕前でつなぎとして出ることが多かったという話に。
「台本見ると、ダンディ団、3分よろしく。5分よろしくとか…で、芝居を作っていくと転換が早まって短くしてくださいって言われるんですよね。こっちは融通利かないんだから!(笑)」と西村さんが人知れぬ苦労を語っていました。
けれど「紅蜥蜴」と言えば…と園岡さんが口を開きました。「あの長い曲!」と。(笑)
園岡「あれ全部やると7分ありますからね。」
西村「あれはキツかった。あれが一幕の締めだったから、最後に緞帳が閉まると、全員「ふぅ〜〜」って。マジですよ!」(今まで綺麗にポーズを取っていた人たちが、一瞬で崩れ落ちる様を上半身で再現してました。)
園岡「ミュージカルでもそんなん無い。(歌か踊りか)どっちかですからね。」
西村「新太さんなんか、そうとう辛かったんじゃないですか?タップもあったし。」
園岡「もう、田中公平…ちょっと似てるのがいますが(笑…いわゆる、ニセ公平先生が来ていたんですよね。)どうしてやろうかと思いましたね。ちょっと言いすぎですか?まあ、あくまでも無礼講ですから。」
この後ちゃんと「オーケストラで7分はなかなか書けないですから」とちゃんとフォローもされていました。西村さんと武田さんに「今更遅いよ」みたいなツッコミを入れられてましたが。(笑)
園岡さんは間奏でのタップの後の歌い出しはそうとう必死だったそうです。(^^;;
ここで、話がちょっと戻りまして(西村さんが「ちょっと戻るんですけど」と前置きして)再び「つばさ」へ。
三作目でボスに団耕介という名前が付いたという話から「つばさ」の中で西村と武田は名字だけで名前が無く、しかも名前を出した理由は園岡さんが2日目に「誰が一番偉いんだ?」と訊ねるようなことを言ったからだそうです。そこで、西村と呼ばれることに。
ちなみに、その時の千穐楽だけは「武田が!!」となっていたそうです。(笑)
「その時からハマってましたね〜」と園岡さんは嬉しそうでしたが、武田さんは苦笑いでした。(笑)
そんな話をごまかすかのように(笑)話題は「アラビアのバラ」へとなり「アラビアのバラから(武田の)名前が付いた」と武田さん。
曰く「明日本番で、どうしようってなって厚生年金会館の上のホテルの部屋で話してたら、なんか知らないうちにベロムーチョって付いてて(笑)…日系ブラジルになっててね。で、サンバを踊って……」とここまで言ったところで園岡さんがすかさず「踊る?」とツッコミ!(笑)
音源無いでしょ!と武田さんは最初首を振るのですが、そこはボス。口でホイッスルのマネをして出だしを作り…そこまで作られたらこっちが長年染み付いた手拍子であおるだけです!(笑)
ということで、1フレーズぐらい武田さんはその場で立ち上がって踊ってくれました。(笑)どこまで続くかな〜と思ったら「もういいでしょ!」と自分で早々に切り上げてイスに座りなおして名前つながりの話題を西村さんに振ります。
西村に名前が付いたのはカウントダウンから、だったと。
西村「みんなが(自分の事を)西ヤンって呼んでたから、ヤン太郎でしょ。単純です。(笑)自分としては西村、なんとかの介とかすごい長い名前かなと思ったらヤン太郎で。日系韓国人かと思いましたね。」
ダンディ団、名前だけ見ると結構国際性に富んでたのかもしれませんね。(笑)
さて、晴れて名前が決まった。設定も固まってきたところで「海神別荘」の話題へ。「「海神別荘」で初めてばら売りになったんですよ。」と武田さん。「ボスはかえでさんと金田先生とバス旅行に行って」とたしかにこの年のダンディ団は揃っていたけれど行き先はバラバラでしたね。武田さんは弟分の稲荷寿司屋を叱咤激励し(だから、この年は一番ストーリーに関わっていたんですよね)西村さんは薔薇組と一緒に歌ったりしてましたからね。
それを受けて「話戻るけど「つばさ」のときにボスが花組ファンで、西村は薔薇組ファンですってなってて、そこから「そういうキャラか」ってなって(笑)よく一緒に出るようになりましたね。」と西村さん。こういう、後々に続く設定を舞台上で言うのは大抵園岡さんだそうです。(笑)
その頃は郷里さんがいなかったから、ゴツイのが居なかったからいいバランスだったんじゃないの?と園岡さんがフォローらしきもの(爆)を入れていました。
さて、次の年からはスーパー歌謡ショウになりましたね。となり、園岡さんが「オケピが無くなって。公平先生が楽しみにしてたけど、でもスーパーになるためにはしょうがないってなって」と一番の目に見える変更点だったオケピがなくなったことにちょっと語ってました。
そして、ダンディ団的にはこのストーリーの中でオーディションのシーンがあってここから晴れてボスが第二幕の芝居にも参加できるようになったと。それまで「二幕はほとんど見てたからね」と園岡さんご自身が仰ってました。
ちなみに、西村さんと武田さんは初期から目立たないように劇中劇部分にも参加していたので…でも、バレバレだったけどね。と自分たちで暴露してました。(笑)眼帯とかしていたけど、なんかバレバレでした。園岡さんはそれ以上の存在感があるから舞台にいたらすぐわかるから、今まで出てなかったという話もしていたような。
そして、話はそのオーディションの話に。その時に、ボスは一度?たぶんDVDにもなってると武田さんが仰っていたのですが自分の名前を名乗るときに「団耕作」って名乗ってしまったそうです。
その時2人は「あ、緊張してる演技だからか。さすがボス!」と思ったそうなんですが…その後「間違えた〜」って言うかなと思ったらそのままスルーであれ〜〜?と思ったら、本当にただ間違えただけだというのが後々判明したそうです。(笑)
ボスの頭の中には団耕作という名前があったからそこで出てきちゃったみたいです。(爆)でも、その発言の意味を汲み取れず2人が首をかしげていると「知らないの?加山雄三さんの作家名。団耕作っていうの」と解説していました。たしかに、よく似ていますね。(^^;;
まぁ、それはDVDに残っているそうなので要チェックだそうです。園岡さんの珍しいミスが!(ここも、DVD差し替えになるかと思ったら、そのままだったんだそうです。(笑))
さて次の話題へ…となったのですが「その後は、ダンディ団には(設定的な)大きな動きは無かったですよね。」と武田さんがはしょり、でもその間にもダンディ団はそのままの設定で出演し続け博品館で乱入公演をやったり(薔薇組と組んで、とっても濃かったですよね(笑)<これは行きました。園岡さんは「あれはホントに楽しかったね〜。男ばっかりで。(笑)」と当時を思い出していました。)
ディナーショウにも出たりしてと。
「大概困ると僕たちに話が回ってきましたからね。(笑)何でも屋ですから。」と西村さん。でも、その分いろいろなところでダンディ団が見れてとっても楽しかったんですよ。
そして「最終的には武道館に行っちゃいましたからね!」と武田さんが最新のところまで引っ張ってきました。いいのかな〜と思いつつ出ていたらしいのですが、ダンディ団は本当に舞台関係のサクラには欠かせない方々なので、いていただかなくては!!
ここでの話題は先のトークショウで語られている部分と似ていました。「あれはそうとう距離があったよね。」とボスが語り、西村さんが「そうとう踊りましたよね。実寸で稽古場が取れなくて(距離をとるために)折り返してたりしましたからね。」と稽古時も交えて膨らませました。
「最後まで(距離感などを)把握できてなかったのはカンナさんです。(笑)舞台の上を徘徊していましたからね。」と暴露もあったり。(笑)
そして、武道館と言えば。やはりあの話題も。(爆)
「あと、奈落に落ちた奴。あれ、お客さん演出だと思った人もいるみたいですけど、あんな危険な演出しませんから。(苦笑)ちょっとこの辺(胸の下、あばら辺り)を打っただけですみましたが、あれはたまたま流木が居て助かったんですから。」と園岡さんが語ってくれました。
ね、あれは……本当に無事だからこそこんなに笑い話に出来る事、ですよね;;
その後「合同は初めてでしたよね。」と、西村さんか武田さんが仰られてました。(あやふやですみません;;)
たしか、オープニングがカッコよくてもう、見てるだけでいいという気分になったそうですが「それじゃあ、陶山くんになっちゃうね。いつも「僕は見てるだけでいいんです〜」って言ってるからね。全部ばらしちゃう。(笑)」と園岡さんがツッコミを入れていたのはバッチリ憶えています。(爆)
ここで、はたと気付いた武田さんが「あ、浪漫堂の話もしなくちゃね!」と振り、なにかありますか?という話になりました。
そこで浪漫堂のポイントカードをちゃんと持ってるという話になり園岡さんは20番台、西村さんは30番台のポイントカードを持っていたそうなのですが…
「ちゃんと買い物したんですよ。でも、その後で財布を落としちゃってなくしちゃいまして…それから買ってませ〜ん、すみませーん!」と西村さんは立って謝ってました。(爆)
ちなみに、ボスも「俺も一昨年財布無くしちゃって…」と紛失してしまったようです。(汗)
これを聞いた武田さん「僕は、持ってますよ。」と誇らしげだったのですが「ちゃんと買い物したの?」とボスに突っ込まれ…「買ってませーん!すみませーん!!」と立ち上がって平謝りしてました。(笑)
そして浪漫堂と言えば…カフェライブという話になったのですが「あれタイトルが酷いんですよ〜!」と西村さんが思い出して抗議を。(笑)
「園岡新太郎サクラをダンディに歌う」とカッコいいのにその後に「ふろく、西村陽一&武田滋裕」とあって、酷いと。(笑)
これに園岡さんが「西村と武田が立ってくれなきゃダンディ団にならないから。」とフォローを入れたら「そんなこと言われたことないですけどね。」と2人で頷きあってました。(爆)
そんなカフェライブの内容ですが「かなり、半分ぐらい真面目にやりました!」と。(笑)
全てにおいて一生懸命なのですが、ギャグの面が強かったという意味です。
「どれがギャグになりやすいかとか、他の組の人の曲も聞いたりして、全曲聴きましたからね。」とかなり綿密に企画していたようです。
「レッドの会議室を使って稽古しましたね。」とこれは園岡さんだったでしょうか。さらに「合宿しましたよね!」と武田さんも参加。越後湯沢でスキー合宿をしたそうです。
まぁ、合宿というのは名目で鍋を食べたり、スキーをしていたりしたそうですが。(笑)園岡さんが鍋を作ったりしたそうですよ。
そこで園岡さんがある意味ビックリな事を暴露。その時まで、武田さんはスキーをしたことがなかったそうです。「信じられますか?元JACですよ!」と。(笑)
西村さんには「うまいんです。教えるのも上手で。」と褒めてました。
ボスに「リフトに乗るのに一時間かかりましたからね。」と暴露された武田さんは苦笑いしながら「ちょっとした坂になってるのが、僕にはかなり大変だったんですよ!」と叫んでました。(笑)
西村さんたちがリフトに乗って滑って降りてきても、まだ乗れてなかったという感じだったらしいです。「でも、上に上がって滑ってきたら楽しくって、これはこれからもやらなきゃなってなりました。」と楽しかったことを言ってくれました。
そんな、様々な準備をして臨まれたカフェライブだったと。
「僕たち真面目でしょ。こんなカフェライブのために準備して!」と武田さんが言ったら園岡さんと西村さんが「こんなって!!」とすばやいツッコミを!(笑)
慌てた武田さん「いやいや、そうじゃなくて!!こんなに一生懸命カフェライブのために準備してって意味ですよ!!」と言葉を増やしたら「言葉が足りないな。」と園岡さんにそのまんまつっこまれてました。(爆)
ここで、三人主体のトークは一旦終わり「何か質問とかありますか?」とこちらへ振ってくれたので数名が手を上げて質問をしました。
まず最初は「人の歌で歌ってみたい曲とかありますか?」というもので、しばし考えて園岡さんから回答していました。
「夢見ていようとか、歌いたかったですね。あと、あれ…花咲く乙女とか。でもあれは花咲く“乙女”だからねぇ〜(笑)花咲くおじさんになっちゃうからね。」と仰られるものですから客席からはぜひ聞きたい!!と声があがるわけですよ。「じゃあ、今度是非歌う機会を広井王子に作ってもらいましょう。」と園岡さんが締めると、西村さんが「僕は八犬伝のエンディング曲が好きですね。」と歌謡ショウナンバーからセレクトしていました。
「あれはストーリーが洒落てたよね。」と園岡さん。7人の八犬伝はたしかに珍しいと思います。
もともと花組さんで八犬伝というアイディアは西村さんから出たもので、とある飲み屋で言ったらそれがああいう形で出てきて「飲み屋で話したことが全部現実になるんですよ。」と。
「広井王子は一滴も酒飲めないですからね。飲むと死んじゃうんですよ。だからみんなが出来上がってく中でもちゃんとアンテナ張ってて面白いことはどんどん取り入れていく。」と園岡さんが話してくれました。
武田さんはたしか「歌ってみたいのは「バスは行く行く夢乗せて」で好きなのは夢のつづき。」とおっしゃってました。
続いての質問は「武田さんは紐育に来ましたけど、今度紐育での登場の予定はありますか?」というもので、これには三人面食らってましたね〜口々に「そう来たか。」と言ってました。(爆)
園岡さんが口を開き「それは俺たちには一概には言えないことなので…広井王子が書いてくれないと。コイツ(武田)は一人だけブラジルに行ってますけど、ファイナルでダンディ団はかなりあやふやに終わりましたからね。」と。たしかに、身の振り方考えないとな。で終わっててそれ以降さっぱりなんですよね。西村さんも頷いて「やめちゃったの?ってとこで切っちゃった。」と気になってる様子でした。「逆に自分たちが知りたい。」と。
そういうことでしたので園岡さんが「是非、皆さんが広井王子にダンディ団はどうなったかと聞いて(キーボードを打つ振りをしてました)ください。」とお願いしていました。ダンディ団は不滅ですからね!!ぜひ、今後が気になるところです。
次の質問は「舞台衣装に関するエピソードがあれば」というものでこれも園岡さんから回答していました。
「つばさのときは在りものだったんですよね。で、次の年に音符とかが付いた衣装が出来まして。その衣装がアニメにもなったりして、あれから団耕介が出来上がりましたね。」と。たしかに、「つばさ」のときは全体的に黒かったですものね。
西村さんは「僕たちは(最初は)6人居るので派手な衣装が多かったですね。子供番組の戦隊物みたいな感じで。」(笑)とその中でも赤で、リーダーみたいだった西村さんはそのままそれが定着し、武田さんはストライプのスーツから、女の人にタコが絡んでるシャツになったのですが「その時(初期)はまだシャツが無くて、広井さんが浅草かアメ横で買って来たやつなんですよね。着まわせるようにってもう一着金太郎みたいな絵があるシャツもあったんですけど、結局それは一回ぐらいしか着なくてずっとあのシャツで。でもあれ一枚しかないから、どんどん縮んできちゃって。」(爆)
ここで、2人も武田さんの話に参加してきて、歌謡ショウの会場前のご挨拶のところであるとき、武田さんと同じシャツを着てる人がいてその人に武田さんが「変えてくれよ〜〜」って言っていたと暴露していました。(笑)
でもその着たおしてる感がいいんだよ。という話で結局納まりましたよ。
次の質問は「印象に残ったファンの方はいますか?」というもので、園岡さんは「印象に残ったといえば…」と先ほども目に入ってネタにされていたニセ公平先生を指してそこから話題スタートでした。(笑)
生オケがあったときに「指揮者を見ようとして顔を向けると、その後ろに居たりして間際らしいんだって!(笑)」と武田さんがツッコミを入れてました。(笑)
そのまま続けて「でも、僕らは会場前に皆さんのところに行っているので毎回来ているお客さんとかは顔覚えちゃいますよね。だから、誰か一人って感じじゃなく、覚えています。」と締めてくれました。
今日も、きっとちらほらと見知った顔がたくさんいらっしゃったのでしょうね。
まだ質問タイムは続き次は「自分で思うカッコいいシーン、カッコ悪かったなというシーンは何処ですか?」というもので…武田さんは早速カッコ良いで首を傾げてました。(爆)
武田さんが「新太さんはカッコいいのが多かったですよね。」というように振ったので園岡さんは「またまた〜…今日飲みに行くか?」と上機嫌になっていました。(笑)
そのまま話題を引き継ぎ「劇中劇はカッコいい役をやらせてもらいました。」と八犬伝の話題へとなりました。「レコーディングの予定日に親父が他界して、レコ日を移動してもらったりということもあったりしたので、あの年は思い入れがありますね。」と仰ってました。
でも、それ以外では基本的にトリオ漫才のダンディ団という感じで。と西村さんのトークなり「僕は優作との絡みが。」となり、あれはマジでやんなきゃって思っていたそうです。が、最終的には漫才までやったと。(笑…園岡さんが面白かったと相槌を入れてました。)
そして、武田さんなのですが……本気で「俺カッコ良い……?」と首を傾げっぱなしでした。(笑)
「カッコいいとかじゃなくて、三人で出たときは三枚目で…それが役目ですからね。」と言った後で「海神別荘」の稲荷寿司のときは!と思い出されてました。「いつも言われてることを言ったりして、ちょっとカッコよかった。」と。
そうそう、この質問をしてくれたファンの方々に、ボスからまたプレゼントが渡されてました。携帯クリーナーは無くなったようで、今度は武道館のソーラーキーホルダーを渡していたみたいです。手渡しできる人には手渡しで、無理な人(イス席の真ん中とか)には投げて渡していました。1回、遠くへ投げようとして天井にガツンとぶつかったりもしましたが(笑)大丈夫だったようです。
ここで武田さんと言えば、ということで千穐楽でのいじり話になりまして。「去年の紐育でも見事にはまってくれてね。」と紐育レビュウショウでの出来事に。(笑)
あの時、ボスたちはちゃんと開始前から楽屋に入って待機していたそうです。でも、地下の楽屋に入ってて本当に姿を隠して隠して…移動するにもすごく気をつけて、武田が楽屋から出たと聞いたらさっと隠れてとやっていたそうです。(笑)
武田さん曰く「いろんな所にSPみたいに人を配置して「今、どこどこ通過しました」とか情報収集していた。」と。(笑)まさに「ホントに知らないのは武ちゃんだけ。」という状態だったそうです。
「みんな知ってるくせに、しら〜っとした顔で仕事してますからね。もう、だれも信じません。」と武田が拗ねると「それだけ愛されてるんですよ、武ちゃんは。」とボスが優しくフォローを入れていました。
ここで質問コーナーは終わりとなり、今後の予定へと。
今後、というか武田さんと西村さんはつい先日まで根来幻夜斎役だった嘉島典俊さんと地方で公演をされていたそうです。
園岡さんもついこの間まで名古屋で「チャングム」の舞台版に出演されていて「菊川玲ちゃんをいじめてました。」と仰ると「またイジメ役なんだ。」とお2人からつっこまれてました。(笑…最近、悪役が多いそうです。)
そして、これが今後の告知で入場時に頂きましたチラシの話を。4月から名古屋の中日劇場で上演される松平健さん主演の「DRACULA−ドラキュラ伝説−」に出演されるそうです。
メフィストという、やはりこれも悪役だそうです。この舞台、大阪公演や東京公演もありまして大阪は6月4日〜8日、梅田芸術劇場メインホールにて、6月12日〜22日に新国立劇場 中劇場にて上演されるそうです。
他にも4月〜5月の間に、仙台、広島、福岡、新潟と短期公演もなさるそうでなかなかにハードスケジュールな舞台のようです。
告知の後「何処行っても悪役なんですね〜」と西村さんが言って「いつかいじめてやる〜!」と武田さんと2人で同じ事を決意していました。(笑)
さて、話も一段落したところで締めへと入りました。
「機会がありましたら、また三人揃ってなにかやりたいと思っていますので」と園岡さん。紐育にも是非。ボスは設定的に無理ないですからね。どこかの新春公演では「紐育にダンス出張」というのが昔からありましたし!
「そうしたら、ダンディ団は帝都、巴里、紐育と全て出るってことになっちゃいますかね。」と武田さんも仰ってますし。ダンディ団と薔薇組はある意味、神出鬼没が持ち味だと思っています。(笑)
「そろそろ最後の曲に…」と三人が立ち上がりまして、曲紹介を園岡さんから。
園岡「この歌は、スーパー歌謡ショウのオープニングになってましたよね。輝け…」
武田「違いますよ、輝く、銀座ストリートですよ。」
園岡「そう間違えろって話だったじゃん。」(笑)
武田「でも、打ち合わせがなくても間違えましたよね?」
園岡「たぶんね。」(笑)
というわけで(笑)「輝く、銀座ストリート」を歌ってくださるそうです!
この曲がスーパー歌謡ショウになってから最初の幕開けの曲でとても緊張されたそうです。ダンディ団が初めて最初から舞台の真ん中に立っていた曲でもありますし。(同時に、花組さんからの幕開けじゃなかったのも初、というのもありまして。)
「石飛んでくるんじゃないかと思っていましたからね。帰れ〜!って。」と西村さんが冗談めかしていたのですが、そんなことしませんよ!!(^^;;
「じゃあ、今日はその曲を歌ってお別れしたいと思います。(音響さんに向かって)…お願いします。」と園岡さんが言うと同時に曲が流れ、三人で熱唱してくださいました。
この歌、間奏部分がかなり長いのでどうするのかな?と思っていたら上手にカットされていて、一番二番と続けてフルで歌ってくださいました!
西村さんが「田舎のおばあちゃん」の部分を、本当におばあちゃんのようなたどたどしさで歌ってくれたのがCDと違うな、と印象に残りました。
最後は、ボスの伸びやかな声の余韻と共にスポットが絞られていくというとても良い演出で終わり、三人がお辞儀をすると共に拍手が巻き起こりました。
「ありがとございました。では、お別れするのは寂しいですけれど、また会えますからね。自分のHPにも書いたんですけど、ダンディ団は不滅です!」と園岡さんにまた拍手が起こり、武田さんや西村さんも「また三人でなにかやりたいと思っているので、みなさんよろしくお願いします。」とご挨拶してくれました。
そして、最後にビッグサプライズな一言が!!
今日は、2月29日。うるう年ですね。四年に一度しかない特別な日にトークショウという事で、裏に三人のサインが入ったサクラカフェの紙コースターを全員にお土産としてプレゼントしてくださるとのことです!!
しかも、お見送り付きで!!!
もう、このときの会場の湧きっぷりはすごかったです。ダンディ団、やってくれます!!
ということで、いつもなら2つのエレベーターとエスカレーターで自由に帰るのですがこの日は立ち見の人から順番にエスカレーター方面に順番に帰る形になり、武田さん、西村さん、園岡さんと順番に握手をし、(基本的に)園岡さんからコースターを頂くという形でお別れとなりました。
もう、またこの三人と握手ができるなんて思ってもいなかったので本当に嬉しかったです。この人たちがこんなにもサクラを愛してくれてるというのがまた嬉しくて。
ちょっと無理をして来て本当に良かったと思ったトークショウでした。コースター、宝物です。
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