旅立ちの朝
太正15年・春――満開の桜が見事な4月。別れと出会いと旅立ちの季節。
まだ人々の目覚めもまばらな時間に、銀座・大帝国劇場の隊長室では真っ白な海軍服を着こなした部屋の住人がその時を迎えていた。
大神一郎。帝国華撃団・花組の隊長として二度も帝都を魔の脅威から救った英雄。その功績が評価され、また今後のさらなる飛躍を期待されフランスへと留学することとなったのだ。
「よし……これで荷物の準備も終わりだな……
この部屋ともお別れか。」
住み慣れた自室を、最後にもう一度じっくりと見る。次にこの部屋に足を踏み入れるのはいつになるだろうか?
「…さて、そろそろ行くか。」
「大神ぃ!ちょっと待った!」
カバンを手に持ち、扉に向かおうと窓に背を向けた瞬間、背後から声が聞こえてきた。
振り向くと、そこには白いスーツに派手なシャツを身に纏った月組隊長でもあり、海軍時代からの親友、加山雄一が朝日を浴びて立っていた。
「…加山!?」
「大神、こんなに朝早くに出発するのか。
さては……花組のみんなを悲しませぬように……一人で、旅立つつもりだな。」
大神は、理由の一つを指摘され、口をつぐんだ。それもある。会ってしまうと、別れが辛くなるだろうから。けれど、それだけじゃない。
「加山……今日は格言はないのか?」
この一年、加山は大神の前に現れては助言として格言を残していった。だが、今日の加山の口からはいたってシンプルな答えが返ってきた。
「……ああ。男の旅立ちに言葉はいらない。
大神……また会おう。」
「…ああ。またな、加山…」
短い別れの言葉と共に、大神は部屋を後にした。裏口から通りへと出た大神は威厳すら感じる大帝国劇場を見上げた。
「大帝国劇場とも、これでしばらくはお別れだな…
みんな……さようなら。」
そう告げた大神は、港とは方向の違う帝鉄の始発列車に乗り込んだ。
その様子を静かに見守っていた加山は驚いたが、次の瞬間、それが何を意味するかを知って微笑みを浮かべた。
「花組を悲しませない為だけじゃなく……挨拶しておきたい所があったんだな、大神。」
寺の朝は早い。始発の時間から間もないのに既に門は開けられ、掃き掃除にいそしむ修行中の若い者が大神を朝一番の来訪者として迎えてくれた。
大神は寺務所に荷物を預け、線香を二束としきびを購入すると、水を6文目まで入れた桶を片手に墓地へと進んだ。
なだらかな丘となっている墓地の頂上にその人の墓はある。
いつ来てもその人の墓は綺麗に掃除されている。大神は線香を立ててしきびを花入れに挿すと桶から柄杓で水をすくい、その水を墓にかけ両手を合わせた。
「あやめさん…」
藤枝あやめ―――1899年7月31日生まれ。16歳の時に陸軍対降魔部隊に入隊。米田一基、真宮寺一馬、山崎真之介らと共に剣を持ちて降魔との戦いに身を投じる。降魔戦争後は米田一基と共に帝国華撃団の設立に尽力を尽くし、副指令として帝国華撃団を支えた。1924年殉職。
後の資料から得られる藤枝あやめという人物は以上である。資料のみを見ると彼女に抱く印象は近寄りがたいものを感じるが、彼女を直接知る者達は口をそろえて彼女は素晴らしい人だと言う。
(なんていうか、包容力があるんだよな。誰もが安心できるあたたかさが。
それで、しっかりした人で頼りにできて……やっぱり、すごい人だったな。)
そんなあやめは当然ながら生前たくさんの人から好感を持たれていた。大神もその一人だったが、その想いは時とともに昇華されたようだ。
「……あやめさん。俺は今日、フランスに旅立ちます。
みんなとの別れは辛いですが、向こうできっと得るものがあると俺は信じています。
ですから、どうか見守っててください。花組のみんなを。そして……」
そのとき、一陣の風が吹き抜け、満開の桜を吹雪かせた。
大神がその光景に目を細めた瞬間。花吹雪の中に懐かしい笑顔が瞳に張り付いた。
しっかりしなさい、大神くん。
あなたと花組のみんななら大丈夫よ。
一枚の桜の花弁が大神の額をついて風に流れた。
そう聞こえたのも、額に指先の感覚を感じたのもただの幻か。錯覚か。
「いや…」
大神は澄み渡った青い空に敬礼をした。
「大神一郎、粉骨砕身の覚悟で頑張ります!」
その声を遥か遠くへと届けるように風が吹いた。今度は桜を散らすような強い風ではなく、優しく包み込むような風だった。
心地良い風が吹き止まぬうちに大神はあやめの墓前に背を向けて歩き出した。
その足取りは力強く、その瞳は真っ直ぐな光を宿していた。
END
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