帝都、紐育、繋ぐもの




「…よしっ今日の仕事はこれで終わりだな。」

額に滲んだ汗を拭いながら大河は区切りをつけるために声を発する。
今日一日のシアターでの仕事を終えた大河は掃除用具一式を所定の位置に戻すと体の疲れをほぐすように大きく伸びをする。

「は〜…お風呂で汗を流してから帰ろう。」

リトルリップシアターのオーナー、サニーサイド自慢の露天風呂は遅い時間まで湯を張っているため舞台を終えた女優たちやその後の整備、雑用をこなすスタッフの憩いの場となっている。
大河も例外ではなく、ここの露天風呂で一日の疲れを流してから帰路につくのが日課となっていた。

(ん……歌声?誰の声だろう…)

エレベーターで屋上まで上がってきた大河は扉が開くなり聞こえてきた耳慣れない声に首を傾げるが、屋外サロンまで足を進めた彼は備え付けられている椅子に座った紫がかった髪を二つの三つ編みでまとめた女性の後姿を見て合点がいった。
今、シアターは一人の客人を迎えている。その人物こそ、目の前で夜空を仰ぎながら歌っている彼女だ。

「この世界はわたしから見えるもの やわらかくわたしを包む優しさ
 わたしが歩く道 それが未来だ」

帝国華撃団・花組の一人、李紅蘭の伸びやかな歌声を大河は黙って聞いていた。
大河の位置から見える彼女の横顔はたおやかで優しさに満ちている。

「ララララ 今ここにわたしは生きている
 そのことが奇跡 全てにありがとう
 わたしはここにいる」

夜空に溶けるように終えた歌声に大河は自然と拍手を送っていた。
そこで漸くただ一人の観客がいたことに気づいた紅蘭は振り返り、大河の顔を確認すると照れくさそうに笑った。

「なんや大河はん、いつからおったん?」
「今さっきですよ。」
「声かけてくれても良かったのに〜」
「紅蘭さんの歌がすごく素敵で聞き続けちゃいました。さすがですね。」
「はは、褒めてもなにも出ぇへんで〜…けど、おおきに。」

飾り気の無い褒め言葉に紅蘭も素直に礼を言う。
近づくとサロンのテーブルにはトランクサイズの機械が置かれていることに気づいた大河は興味深そうにそれを眺める。

「日本と通信していたんですか?」
「そうや。向こうは朝やさかい、今なら通じると思うてな。」

パタンとモニター部分を閉じながら言う紅蘭が手にしているのはキネマトロン。
彼女が帝都から持ってきた花組各人が所有している通信機器である。

「キネマトロンってすごいですね。日本と紐育でお互いの顔を見ながら通信できるなんて…」

改めて感嘆の声を上げる大河に紅蘭はキラリと眼鏡を光らせて笑みを浮かべる。

「ふっ…まぁ、ウチが天才やったちゅうことやな!」
「ええっこのキネマトロンって紅蘭さんの発明なんですか!?」
「せや。ついでに言うならそれぞれの戦闘服の素材もウチが元を作ったんやで。他にもいろいろ関わらせてもらっとるんや。」
「す、すごいです…本当に紅蘭さんは発明が好きなんですね。」

意外なところまで彼女の恩恵を受けていたことに大河はただただ驚いた。
当の本人はそんなことは些細な事だと言わんばかりにへらっと笑って立ち上がる。

「発明はウチの趣味やからな〜せやから、新しいもんにはすごく興味があるんよ。」
「なるほど…」
「それにな……好きなことでみんなの役に立てるって、嬉しいことやろ?」

そう告げた紅蘭の顔は大河が初めて見る表情だった。
嬉しさと充実感と幸せが複雑に絡み合った華やかな笑顔に、大河はこの人が帝国華撃団で得たものを感じ取り、また自分がこの紐育で知った数々のことを浮かべて頷いた。

「そうですね。みんなのためにいろいろできるって…良いことですよね。」

その優しさと前を見つめられる強さを秘めた瞳に、紅蘭は今は遠くにいる仲間たちを重ね、そして彼とその仲間たちも自分たちに負けないくらい素晴らしい絆に結ばれていると悟り、グッと握り拳を前に出す。

「お互い、大好きな人たちの為に…頑張ろうな。」

大河も同じそれを軽く合わせて応える。

「はい!」
「ほな…ウチはもう行くわ。おやすみ、大河はん。」
「おやすみなさい。」

キネマトロンを片手に手を振る紅蘭を、笑顔で見送る。
紅蘭の姿がエレベーターの扉で遮られるまで見届けた大河は、そのまま視線を夜空へと向けた。

「未来、か……」

先ほどの歌を思い起こして呟く。
自分の歩く道、みんなと共に歩く道―――それが未来となり希望となる。
ぐっと、今度は両手で握り拳を作って改めて頷く。

「うん…よし、明日もがんばろう!」


    END

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