遠き、近き、想いし心



〈第一部:熱い想いは尽きず〉


「はぁ……」

昔から美しい女性はどんな姿でも絵になると言われているが、それを裏付けるように過ぎ行く人は皆、橋にたたずむ女性を見て振り返る。
長い黒髪を真っ赤なリボンで束ねた袴姿の女性―――帝劇スタアの真宮寺さくらである。
ぼんやりと池の上に浮かぶ花びらを見てはため息をつく。

「………………………はぁ………」


季節は初夏―――梅雨が明け、太陽が目覚め始める頃。
さくらは思い出の面影を求めて上野公園に来ていた。

(ここで、初めて大神さんと一緒に光武で戦ったのよね。
 大神さんと始めて会った場所もここだったっけ……
 …あれから、もう4年ぐらいになるのね……)

自分の立っている地での思い出を一つ一つかみしめながら、思い人の姿を水面に映し出す。

「大神さん……」






 大神が帝都を離れ、特別留学生として巴里へ発ってから二ヶ月。米田から時折聞かされる大神の向こうでの活躍に、少々複雑な気持ちをもてあましている所に一通の手紙が届いた。
西方の都市よりの便り。事務局から由里がその手紙を持ってサロンに駆け込んだ時は、全員が由里の手にある封筒の封をいち早く開けようと殺到した。

(ずるいですよ、大神さん…そんな時に手紙なんて……)

手紙の内容は巴里の生活にようやく慣れてきた事、シャノワールという小劇場で働いている事、みんな変わりないか等……完結ながらも大神の筆跡でかかれた手紙に花組は心底喜び、しばらくの話題はそれで事足りた。
 しかし、人間とは欲深いものでさらに次を求める。

―――――会いたい。
思い出や会話の中だけでなく、直接会いたい。話したい―――――

前回、帝劇を離れた時の海軍復帰とは勝手が違う。あの時は海軍という組織に関係のないさくらたちの手の届く所ではなかった。
しかし、今回はモンマルトルのテアトル・シャノワールという所にいる事が確定しているのだ。

(ずっと待っていようと思ったのに……ダメね、会いたくて仕方がないなんて…)

自分自身に苦笑する。
水面に花が舞い、波紋が広がる。

「…ぁ……さぁくらぁ!!」

「はいぃ!?」

突然の背後の声に裏返った声で返事をする。
静かになった水面をふと見ると、自分の後ろに七人の女性の姿が映っていた。
慌てて振り返ると、すみれ、マリア、アイリス、紅蘭、カンナ、織姫、レニ―――花組の仲間達がそろっていた。

「も〜!さっきからよんでるのに
 さくらってばぜんぜん気づいてくれないんだからぁ!」

アイリスが頬を膨らませながら言う。

「み、みんな…ど、どうしてここに?」

「由里に、さくらはどこに行ったか聞いたら上野だって言ったから。」

動揺を隠せないさくらの問いに分かりやすすぎるほど完結にレニが答える。
さくらは続けてもう一つの疑問を口に出す。

「いつから、いたんですか?!」

「さっきからいましたわよ。まったく…鈍いにも程がありますわ。」

「おおかた、中尉さんのコトを考えていたんでしょー?」

「会いに行きたくてしゃあないって顔してるで。」

流れるような指摘にさくらは視線を泳がせる。
そんなにわかりやすい顔をしていたのか……

「さくらの気持ちはよ〜〜っくわかるぜ。
 あたい達だって同じさ。」

「だからね……―――」

声を潜めて耳打ちするマリアの言葉にさくらは思わず驚きの声を上げる。

「ええっ!?ほ、本気ですか?!?!」

「ええ、みんな本気よ。
 さくらもこれに同意してくれるのなら、これからこの話を支配人に話そうと思うのだけど…どう?」

さくらにとって、その答えは既に決まっていた。迷うはずがない。

「は、はい!!もちろんです!」






「……あなたたち、本気なの?」

帝国華撃団・副指令兼、帝国歌劇団・副支配人、藤枝かえでの念を押すような重い声が支配人室に静かに響く。

「もちろんですわ。」

すみれが一列に並んだ花組代表として毅然と言い放つ。
さくらたちもそれに続いて今、最も強い願いを口にする。

「かえでさん、支配人……いえ、長官。
 あたしたちの巴里行きを許可してください!!」

「もちろん、全員なんて無茶は言いません。帝都防衛の任務もありますし、次の公演だって……
 ですから、数人でいいんです。」

「おじちゃん、お願い!!」

「………………………………………………」

花組の言葉を米田は帝国華撃団・長官と帝国歌劇団・総支配人が入り混じった目を閉じて、黙って聞いていた。


「米田さーーん!何とか言ってくださーい!!」

肯か否かもわからない沈黙に耐えられず織姫が叫ぶ。

「………三人だ。」

「えっ?」

「長官、今なんて……」

目を丸くして、ぽつりと言った米田の言葉を聞き返すさくらとカンナに、今度ははっきりとした言葉を発する。

「ここを離れるのは三人。それ以上は無理だぜ。」

イスを半回転させ、背中で告げられた言葉に花組全員が沈黙を破り歓喜の声を上げる。
 かえでは双方を交互に見ながら「やれやれ」と笑顔を見せ、好気のため息をついた。




「よっしゃ!そうと決まったら早速誰が巴里に行くか決めなあかんな。」

「長官……ありがとうございます。」

深く頭を下げて感謝の意を表す花組に米田はそのままの姿勢で答える。

「別に、いいってことよ。
 さっさと誰が巴里に行くか決めてこいや。決まったらもう一度全員で俺のところに報告にきな。」

「はい!それでは、長官。失礼します。」

さくらを最後に、支配人室のドアが閉じられる。

「……ったく、しょーがねぇなぁ…あいつらは。」

「…本当に宜しかったのですか?」

親しみのあるボヤキをこぼした米田に、かえでが尋ねる。

「ん?ああ…………」

イスを正面に戻す際にかえでを一瞥し、ある一点を見ながら米田はゆっくりと口を動かし始めた。

「たしかに、この帝都を霊的な災いから守り、帝都の人々に芝居で喜びや夢を見せるのが
 帝国華撃団であり、帝国歌劇団だ。
 それを考えると長期間帝都を離れるのは危険以外何ものでもない。
 あいつらも、それはよく分かっているのさ。だからあの条件なんだ。
 ―――ただでさえ、普通の人間より霊力が高いってだけであいつらを危険な戦場に送り出してるんだ。
 俺はできる限りあいつらの望みをかなえてやりてぇんだよ。」

米田の目にはレビュー衣装を身に纏った花組の集合写真がとらえられていた。

「…俺は甘ぇかな………」

米田の自分自身への問い掛けとも取れる発言に、かえでは少し微笑んで口を開く。

「……いいえ、立派だと思いますわ。
 長官のそういった心遣いがあるから、あの娘たちも自由に笑っていられるのだと思います。」

「――そうか…」

かえでの言葉に短く返事を返した後、しばしの沈黙が流れる。
この間の米田の表情は逆行に遮られ、かえでからは見えなかった。

「……さて、許可を出したからにはいろいろと準備をしなくちゃならねぇな。」

沈黙を破って立ち上がった米田はいつも通りの顔つきだった。

「かえでくん、俺はこれから作戦司令室に行くから、あいつらに決まったらそこに来るように伝えてきてくれ。
 それと、あいつにも連絡を頼む。」

「はい、わかりました。」

 かえでに指示を残して、米田は支配人室を後にした。
その背中を見送った後、かえでも支配人室を出て自室に戻ると「あいつ」と連絡をとるためにキネマトロンを起動させた。

「忙しくなりそうね、いろいろと。」


   時は動く。ただ動く。動くだけ。そこには何も無い。
   何も無い流れに張り合いをつけるのは感情という名の行動。

   しかし、その行動の結果に時は左右されずに動く。ただ動く。
   左右されるのは行動を起こしたもの。
   あるときは足をとられ、時に逆らう。またあるときは背中を押され、時を自ら進む。
   それは、無情の時の中で「生きて」「何か」をするという事

   さぁ、歩こう。生きて何かをする為に、今はがむしゃらに進んでいこう。
   その先にあるものを恐れる事なく―――――さぁ、行こう。

















〈第二部:迷う想いと変わらぬ想い〉


 結論から言うと、見事巴里行きの権利を勝ち取ったのはさくら、すみれ、アイリスだった。
あみだくじによる巴里への熱い思いをかけた戦いの経過は省くが、後に語るかえでの言葉を借りると
「あんなに、あみだくじに霊力を込めている彼女たち、はじめて見たわ……」
と、なかなかの静かな白熱っぷりを見せていたようだ。

そして、見事に勝ち取った中の一人、さくらは出発は数日後だというのに、もう旅の支度を終えていた。
自室の机に頬杖をついて想いを馳せる。

(あたし…本当に大神さんに会えるのね。
 ………………………
 ……でも…)

嬉しいはずなのに、さくらの顔は浮かなかった。

(なんで、こんなに……不安なのかしら…)

机に飾られた花組の集合写真の真ん中に並んで写っている自分と大神を見て、不安な気持ちを形にして心の中に吐露する。

(ときどき思うの。
 あたしは大神さんのこと、本当に好きだったのかしら……って……
 もちろん、大神さんは大切な人よ。なくてはならない人。
 けど……特別に「好き」だったのかしら…)

 自問しながら、日記帳をパラパラとめくる。
日々の思いが綴られたその中に、大神の事を多かれ少なかれ書いていないページは数えるほどだった。
 ふと、あるページで指が止まる。
紙は正直にしわよれを―――泣き跡を残す。

(大神さんが巴里へ行っちゃうって聞いた時、いっぱい泣いたっけ……)

そう思い出した瞬間、目頭が熱くなってきた。
さくらは、そんな自分にハッとして、強く首を横に振る。

(…ダメ!泣いてはダメ。泣かないって決めたもの。
 強くなろうって……お母様のような女性になろうって決めたんだから。
 静かに笑っていられる女性になるの。強く咲く花になるの。
 だから、大神さん―――………大神さん?
 …なんだ、やっぱりあたしは……―――――)

 自問の答えが出たさくらは少し苦笑いをする。
どんなに悩んでも、答えは一つ―――これに辿り着くのだ。

カタンッと立ち上がり、丁寧な仕草でカーテンを開け、窓も開ける。
この季節では珍しく、西風が吹いている。

「大神さん、待っててください。
 さくらは参ります―――――花の都巴里へ。」

 さくらの声が帝都の星空に静かに響いた。







〈第三部:弾む想いと変わりゆく思い〉

 潮風を切って、一隻の豪華客船が海を進む。
 想いめぐる乙女たちを乗せて、いざ巴里へ



「まぁまぁのお部屋ですわね。」

 持参した愛用のティーセットでアールグレイを飲みながら、すみれはあてがわれた船室の感想を呟く。
「まぁまぁ」「なかなか」はすみれにとって誉め言葉の部類に入る。

(……でも、この船がアイリスの物だと思うと、なんだかちょっと癪ですわ。)


 米田が巴里までの船旅を手配したところ、娘が世話になっている方達が巴里に来るのならば、とアイリスの実家であるフランスの大富豪シャトーブリアン家が船を一隻用意してくれたのだ。
その手配した船こそ、アイリスが八歳の誕生日にプレゼントされた豪華客船・イリス号だったのだ。


 この「貸切船」というのはファンのやたらな噂を避ける為という「帝劇」としても、秘密裏の部隊「帝撃」としても都合が良かった。
この船の乗客はさくら、すみれ、アイリスの三人だけだが、船員は帝国華撃団・花組以外の各組の精鋭で固めてある。
単に護衛というだけではない。フランス−インド−日本を航路とするこの船の下部には巨大な倉庫がある。そこに帝撃にとっての最重要機体が三体も収容されているのだ。

虎型霊子甲冑「光武・改」

 現在、巴里華撃団は謎の怪人達と交戦中だと米田に聞いていたので、滞在中に怪人が現れた時を想定して、援護、協力ができるように霊子甲冑を持ち込むことにしたのだ。

 そんな経緯を抱えつつ、船は慎重にかつ迅速に目的地へ舵をとる。


 すみれが紅茶を飲み終えて一息ついたところで、ドアを叩く音がした。

「どうぞ、開いてましてよ。」

重い扉を開けて入ってきたのは、さくらとアイリスだった。

「す・み・れ♪ごはんの時間だよ〜!」

「食堂に行きましょう、すみれさん。」

「あら、もうそんな時間ですの…わかりましたわ。」

 それぞれサマードレスに身を包んで食事の誘いに来た二人に快く返事をすると、すみれは軽くティーセットを片付けて立ち上がった。

「さぁ、参りましょう。」

 二人の背中を見ながら食堂へと続く廊下を歩くすみれは、ちらりと壁にかかった世界地図を見た。
その地図は今この船が何処にいるかが分かる仕掛けが施されていた。

(まだまだ……遠いですわね。
 長い船旅ですわ……)

 二人に気づかれないように、すみれは小さくため息をついた。







 それから時は流れ――船旅も三分の二ほど消化したある日、アイリスが船内を朝から慌しく走り回っていた。
コックの所に行ってはあれやこれやと注文して、メイドの所に行ったかと思うと大きな紙を広げて話し合っていたり―――

(何を企んでいるのかしら?)

 お茶に必要なお湯を取りに食堂へ来ていたすみれは不思議に思い、アイリスの視界に入らないように思って見ていると、何気なく目に飛び込んできたカレンダーを見て納得した。

(ああ……そういう事ですの。)

アイリスの行動の意図を理解したすみれは、作業に夢中になっているアイリスに声をかけた。

「ちょいと、アイリス。」

 突然声をかけられたアイリスは慌てて今までの作業から手を放し、両手をぶんぶん振って隠そうとした。

「うわぁあぁぁぁぁっ!!み、見ちゃダメーー!!!
 って…なぁんだぁ……すみれかぁ。もう、脅かさないでよ〜ビックリしちゃった。」

「こっそりやるのでしたら、もっと上手くやりなさいな。
 ………わたくしが夕方までさくらさんのお相手をしていますから
 その間に片付けなり何なり済ませておくのですわよ。」

アイリスはすぐにすみれのうまく言葉を飲み込めなかったのか、きょとんとした顔を初めはしていたが、飲み込んだ後はぱぁっと明るい笑顔を見せた。
アイリスの素直な反応に照れくさくなったのか、すみれはうっすら頬を赤めて言葉を強めた。

「わかりましたわねっ」

「うん!すみれ、さくらをよろしくねっ!!」

返事はせずに、すみれはお湯を受け取って食堂を後にした。





 さくらは、ブリッジで素振りの稽古をしていた。

「こんな時まで…あいかわらずですわねぇ…」

 あきれるような高飛車な調子で、すみれなりの賛辞をさくらにおくる。
さくらは、すみれの声に稽古を中断して笑いかけてきた。

「あ、すみれさん。どうかしたんですか?」

「いえ、別に……お茶を入れますので、たまにはご一緒に…と思いましてね。」

 少しぎこちない言葉でさくらをお茶にさそう。
さくらも、少々の違和感を感じたが、すみれのお茶を味わいたかったので喜んで返事をした。

「わぁ…いいんですか?じゃあ、ご馳走になりますね!
 あ、アイリスも呼んできましょうよ、みんなで飲んだ方が美味しいですよ。」

「ア、アアアイリスは今ちょっと手が離せないって言ってましたわよ!!」

館内に走ろうとしたさくらをすみれは慌てて止める。
大声に驚いたのか、その形相だったかはわからないが、すみれの態度にさくらは頷くしかなかった。

「は、はぁ…そうですか……じゃあ、しかたないですね…」

「行きますわよ、さくらさん!ぐずぐずしていると置いていきますわよ!!」

「あ!待って下さいすみれさん〜!」

自分の背後からさくらが小走りでついて来る音を聞いたすみれは、なんとかなった。と密かに胸をなでおろした。




「さぁ、お茶が入りましたわよ。どうぞ。」

「ありがとうございます。」

 すみれの船室で正当な手順を踏んだ紅茶を飲む。味わい深い香りが口の中に立ち込める。

「美味しいです、すみれさん!」

「ふふ……これくらい、朝飯前ですわ。」

「すみれさん、最近この香りの紅茶ばかり飲んでいますよね。」

 さくらの賛辞に余裕の笑みを浮かべていたすみれの表情が、次の一言で一瞬戸惑ったものへと変わる。

「え、ええ……」

「好きなんですか?この紅茶。」

「……そうですわね。わたくしのお気に入りのお茶ですわ。」

(このお茶は……中尉がわたくしのためだけに入れてくれたお紅茶と、同じ葉ですわ…)

誰にも言わない思い出を心の中で呟く。

 さくらはすみれの僅かな変化に気づかないのか、笑顔で紅茶を味わう。

「美味しいですね、これ。」



 すみれの部屋に招かれお茶を間に話をはじめてから数時間、さくらが少々退屈してきた所で、上気した顔のアイリスがノックもせずに「準備終わったよ!」と言いながら部屋に入って来た。
事を察したすみれはさくらを立たせ、食堂へ背中を押した。

食堂は、綺麗に飾り付けられ、テーブルの上には豪華なパーティー料理が絢爛さを競い合っていた。
その中のケーキにチョコレートで書かれたぐにゃぐにゃの言葉があった。
“はっぴーばーすでぃ さくら”
今日は七月二十八日―――さくらの誕生日である。

「おめでとう、さくら!!」

「おめでとう…さくらさん。」

アイリス、すみれに続いて、周りの船員から拍手が沸き起こる。
さくらは急な出来事に一瞬我を忘れたが、すぐに事実を認めるととびっきりの笑顔を見せた。

「アイリス…すみれさん……みなさん…ありがとうございます!!とっても嬉しいです!!」

「えへへ…さぁ、さくらのお誕生日パーティーの始まりだよ〜!!」

アイリスの嬉しそうな声が、食堂に響いた。







「ふぅ……久々に騒ぎましたわ。」

 パーティーも終わり、船が静けさを取り戻した深夜―――火照った体を冷やす為に、すみれはブリッジに来ていた。

「中尉もいればよろしかったのに……」

 ぽつりと、無意識に出た自分の言葉に気づき苦笑する。
 懐からコンパクトを取り出し、愛おしそうに見つめる。コンパクトには鏡の換わりにある人の写真がついていた。
大きな戦いの後、戦闘服のまま撮った彼の写真―――――すみれにとって、とても大事なものである。

(中尉は、いつも……平和の為に、人々の為に戦っているのですわね。
 何処にいても、変わらない……その心……
 そんな中尉に………)

コンパクトを懐に戻し、眼を閉じて昔を回顧する。

(わたくし、帝都の平和なんて、あまり興味はなかったんですのよ。
 自分の力を十二分に発揮できれば…やりがいを感じられれば、それでよかったのですわ。
 でも、中尉にお会いしてから……あなたの夢に触れてから変わりましたのよ。)

目を開け、前方に広がる海を輝く瞳で見つめる。

(ご存知でしたか?あなたの夢がいつの間にかわたくしの夢にもなっていましたのよ。
 そして、わたくし自身の“夢”も変わりましたわ。
 12時になっても魔法の解けないシンデレラではなくて、花になりますわ。
 あなたを信じて、あなたの為に美しく咲く花になること。
 それが、今のわたくしの“夢”ですわ。)

「だから、中尉。今しばらくお待ちくださいませ。
 あなたの神崎すみれが今参りますわ。」

 西に吹く風に、すみれの自信に満ちた凛とした声が流れる。

 潮風を切って、一隻の豪華客船が海を進む。
 想いめぐる乙女たちを乗せて、いざ巴里へ







〈第四部:浮き立つ心と新たな心〉


人というのは不思議なもので、人が固まっている所に集まってくる性質を持っている。
初めは一人二人だったのだが、あっと言う間にツアーに行けるぐらいの人数が駅前に佇んでいる三人の女性を取り囲んでいた。
皆、片手にカメラを持っている。

「あぁ……やはりわたくしの天性の輝きは花の都と謳われた
 この巴里の人々をも虜にしてしまうのですわね……!
 ああぁ……なんって罪な女なのでしょう…」

 三人の中の一人、大胆なキモノを嫌味無く着こなしている女性が日本語で満足そうに呟く。

「で、でもすみれさん……そろそろ行かないとダメなんじゃないですか?」

 それでもカメラを断りきれなくて、笑顔を浮かべて応対する色鮮やかなハカマ姿の黒髪の女性が日本語で返す。

「ふんぅ……そうだね、そろそろ約束の時間だから…
 さくらの言うとおり、もうおしまいだね。」

 金髪に大きなリボン。人形のように可愛らしい服に、天使のような愛くるしい顔の少女がすみれとさくらに軽くウインクする。

「じゃあ、アイリス…この人たちに丁寧に「ごめんなさい」って言ってくれる?
 あたしたち、ちょっとまだ自信なくて……」

 さくらはちょっと遠慮がちにアイリスに代弁を頼む。
 日本からフランスに移動中の間、徹底的にフランス語講座をしていたとは言え、現地に着いた途端いきなり人に囲まれてしまっては緊張してろくに話せたものではない。
不服そうな顔だが、すみれもさくらの言った「アイリス代弁」に異存は無いようだ。

「うん、まっかせて☆」

 ニッコリと笑うと、アイリスは集まってきた人たちにフランス語で丁寧に「もう時間だから」と断りを言った。
集まってきた者達は可愛い少女の断りに無理強いをすることなく、素直にぽつぽつと解散していった。

「さ、行こう。すみれ、さくら!」

 リュックを背負いなおしてまた笑うアイリスに、二人とも頷き荷物を持ってアイリス先頭で大通りへ歩き始めた。

 ここは巴里。[花の都]巴里―――恋の異邦人たちが出会い、別れ、また新しい恋を生む。別名[恋の都]巴里―――
 さくら、すみれ、アイリスの三人は愛しき人を求めて異国の地での第一歩を踏み出した。




「でも、さっきはびっくりしちゃいましたね。
 駅を出た途端、囲まれちゃって……」

歩きながら先ほどの出来事を思い出すさくらに、すみれは

「あら、当然ではなくって?
 何処にいようとわたくしの魅力は隠せないのですもの。
 オッホホホホホホ……」

と、高飛車な調子で返す。

「そんなに珍しいのかしら?この服……」

かくっと肩を落とすすみれをよそに、さくらは自分の裾をつまむ。

「そうだね、巴里の人はきものとか、はかまなんて着ないからね。
 ……ああ!来た来たぁ〜!!」

さくらの素朴な疑問に返しながら往来を見つめていたアイリスが歓声を上げた。
たたたっとこちらに向かってくる大きな黒塗りの車に駆け寄る。
車はアイリスたちの目の前に止まった。
運転手が後部座席のドアを開けると、アイリスにとって大好きな人が姿を表した。
一人はアイリスによく似た女性で、もう一人は紳士的な雰囲気を纏った男性だった。
二人とも、嬉しそうに顔を綻ばせている。

「アイリス!」

「お帰りなさい、アイリス。」

「ただいま、パパ!ママ!!」

感動もひとしおに、母であるマルグリットに抱きつく。
父ロベールは抱きついたアイリスの頭を優しく撫でている。
 その光景をさくらとすみれは優しい眼差しで見つめていた。

「あの方達が、アイリスのご両親ですのね。」

「とっても素敵ですね。」

幸せそうに顔をうずめていたアイリスが弾かれたように顔を上げると、その満面の笑顔をさくら達へ向けた。

「さくら、すみれ!紹介するね。アイリスのパパとママでーす!
 パパ、ママ。さくらにすみれだよ!」

「はじめまして、真宮寺さくらといいます。」

「神崎すみれと申します。以後お見知りおきを。」

アイリスに紹介されて清楚に、優雅に挨拶をする。
それを受けたアイリスの両親は、にこやかに笑みを浮かべて自己紹介で返した。

「こちらこそ、はじめまして。
 アイリスの父、ロベール・シャトーブリアンです。」

「母のマルグリットです。
 皆さんには、アイリスがお世話になっております。」

「さぁ、立ち話もなんですので乗ってください。
 ホテルまでお送りします。」

ドアの開けられた車へ搭乗を促すロベールに、さくらとすみれは笑顔で「はい。」と返す。
荷物をトランクに預け、全員を乗せた車は颯爽と大通りを走り出した。






 さくら達の宿はモンマルトルに近い所に位置していた。
 シャトーブリアン家が用意したホテルなだけあって、ホテルはさくらが失神を起こしそうになり、すみれが感嘆の声を上げるほど、全てにおいて超一流だった。

その超一流ホテルでのディナーを終えた三人とアイリスの両親はサロンで談笑していた。
日本での生活、巴里の第一印象、他の仲間達の噂話など…取り止めの無い、しかし有意義な会話を交わす。
 それを子守唄に、いつしかアイリスはマルグリットの膝の上で静かに寝息を立てていた。

「あら、アイリス寝ちゃいましたね。」

 そのアイリスに気づき、声を潜めてシャトーブリアン夫妻に話し掛けるさくら。

「きっと長旅の疲れが出たのでしょう。」

「それだけではありませんわ。」

ロベールの言葉にやんわりと付け加えるすみれ。

「久しぶりにご両親とお会いして、いつも以上にはしゃいでいましたもの。
 嬉しくてついつい羽目を外してしまったのですわね。」

 すみれの笑みを湛えた言葉に、シャトーブリアン夫妻は少々照れくさそうに顔を合わせて笑い、愛娘を見つめた。
さくらは、すみれに気づかれない程度に微笑んだ。

「それじゃ、アイリスも寝ちゃったし……そろそろ行きましょうか?」

さくらが気持ちよさそうに眠るアイリスを起こさないように気をつけながら立ち上がると、ロベールがマルグリットの膝から自分の腕へそっと移した。

「では、お部屋までお送りしましょう。」

 ボーイに荷物を持たせて、エレベーターに乗り、最上階へと場所を代える。
 エレベーターから降りた廊下の窓から見える巴里の夜景は、帝都とはまた一味違った美しさだった。
 さくらがその光景につい目を奪われていた時、ロベールが小声でさくらとすみれの意識をこちらへ向かわせた。

「部屋はお一人づつ用意してあります。好きな所のお使いください。」

「ありがとうございます。すみません、何から何まで……」

「いえいえ、いいんですよ。」

 頭を下げるさくらに、マルグリットが微笑む。
すみれはロベールとマルグリットに優雅に会釈をすると

「いろいろと、ありがとうございます。
 それでは、おやすみなさいませ。」

と、用意された部屋の一つに姿を消した。
さくらも、すみれ同様「おやすみなさい。」を言ってまた別の部屋へ入っていった。

「それじゃあ、私たちもアイリスを寝かせて帰ろうか。」

「そうね………残念だわ、明日朝から仕事が入ってなければアイリスと一緒に入れたのに……」

 最後に残った部屋に入り、アイリスをそっとベッドに寝かせるロベールの後ろで、マルグリットは表情を曇らせた。
ロベールも同じ気持ちだったが、シャトーブリアン家当主としてどうしても外せない仕事だったので、無理を言う訳にはいかなかった。
滅多に会う事ができない我が子に、せめて一時ついていてやれない。
 そんな自分の立場を不満に思う気持ちを、無理やり心の奥底にしまいこんで立ち去ろうとした時、寝ぼけた可愛らしい声が二人の足を止めた

「ママ……パパ………」

「あら、アイリス…ごめんなさい、起こしちゃった?」

「ううん……パパとママ、明日は一緒にいれないの?」

アイリスの邪気の無い一言に、二人を罪悪感の針がつついた。

「……ごめんよ、アイリス。」

「ううん、ううん。いいの。お仕事だもん、しかたないよ。
 アイリス、今日パパとママに会えて嬉しかったから、大丈夫だもん。」

 にこりと笑う娘を見て、ロベールとマルグリットは嬉しさとほんの少しの悔しさを感じた。
娘が曲がることなく育っていてくれた喜びと、自分たちが知らないうちに大人になっていた寂しさ。複雑な気持ち。

「ありがとう、アイリス。
 …アイリスはもう立派なレディね。」

「うん、アイリスもう13才だもん。立派なレディだよ。」

「パパたちは会えないから、アイリスから大神さんによろしく伝えておいてくれるかい?」

「うん、まかせて。ちゃあんとお兄ちゃんに伝えとくね。」

終始笑顔を見せるアイリスに、マルグリットとロベールは「おやすみ」とキスをして静かにホテルを後にした。
その両親を乗せた車をベッドから出て、通りから見えなくなるまで見送ったアイリスは大きく深呼吸をして、眼下に広がる夜景と眼前に広がる夜空を青い眼に映した。

「来たんだぁ……巴里に……」

ぼんやりと、あたり前の事を呟く。

(明日は、お兄ちゃんに会えるんだぁ……嬉しいな。)

 えへへ…と微かに頬を染めて微笑む。が、次の瞬間、孤独な表情がアイリスの顔を走った。
 その一連の顔は「恋に恋する少女」ではなく「誰かに恋する乙女」そのものだった。

(アイリスね、お兄ちゃんと離れて思ったの。
 お兄ちゃんのことが、ほんとにほんとに、だぁい好きだって……)

窓ガラスに手をあてて、微かに見える窓の自分を見つめる。

(お兄ちゃんのこと考えると、胸があったかくなるの。
 でもね、泣きたくなっちゃうんだ。
 なんでかな……大好きなお兄ちゃんのことなのに……
 それでね、アイリス一回だけ…ちょっとだけ、泣いちゃったの…)

くるりと窓に背を向け、枕元に寝ていたジャンポールを抱き上げてぎゅっと抱きしめた後、また寝かせ、その横に腰を下ろす。
持ってきた荷物の中から、日記帳と、それに挟まれた写真を取り出す。
舞台がはねた後、一緒に撮った写真。
幸せいっぱいに笑う自分と、優しく笑う大神の写真を見て、乙女は微笑む。

(でも、お兄ちゃんは「アイリスは笑った方がかわいいよ。まるでお花みたいだ。」って言ってたから
 アイリス、もう泣かなかったよ。
 でね、アイリスきれいなお花に…お兄ちゃんのために、かわいいお花になるって、決めたの。)

備え付けの机に日記と写真を置くと、再び窓に目線を移した。
切ないような、嬉しいような、何とも形容しがたい顔で―――

(………好きになるって、お砂糖みたいに甘いだけじゃないんだね。
 お塩みたいにしょっぱいときもあるんだね。)

「アイリスね、前よりちょっと大人になった気がするんだ。
 だからね……お兄ちゃん。もうちょっと待っててね。
 明日、お兄ちゃんのところに行って、大人になったアイリスを見てもらうんだもん!」

グーに握った両手で小さくガッツポーズをとると、アイリスはベッドに入り、ジャンポールと並んで寝息をたて始めた。
ゆっくりたっぷり寝て、明日はとびっきりの笑顔を彼に見せるため―――――













〈エピローグ:そして続く思い〉


「ねぇ、さくら…加山のお兄ちゃん、うまくいったかなぁ?」

「…さぁ……でも「絶対に大丈夫」って言ってたから、上手く行ったわよ、きっと。」

「これで成功しなければ、わたくしたちただのお間抜けさんですわよ。」

「す、すみれさん…それは……」

「でも、きっとお兄ちゃんビックリするだろうね!」

「ふふ…そうね。大神さん、どんな顔をするかしら?」

 一本の桜の大木の下で、三人は逸る気持ちを抑えていた。


今朝方、大神が働いているというテアトル・シャノワールへ行こうとしたときの事であった。
突然、加山が現れて
「再会するのなら、それなりの舞台が必要だ。
自分が大神を連れてくるから、さくらさん達はここで待っててください。」
と、誘導的にさくら達をここ、「世界の花の博覧会」会場につれて来たのだった。
 加山がお膳立てした再会の舞台は帝都の上野を彷彿させる桜の木の下での再会だった。


 さくらは、その世界共通の桜の美しさに目をやった。
 すみれは、桜の大木の幹に背を預け、花を見上げた。
 アイリスは、はらはらと舞う花びらを見つめていた。


   そうだ、“花”になろう―――――桜のような花になろう



「皆さん、お待たせしました。」

自分の世界に入っていた三人を一気に引き戻したのは、相変わらず隠密部隊「月組」隊長とは思えない派手な白いスーツに身を包んだ加山だった。
計画は無事に成功したらしく、笑顔だった。

「もうすぐ大神がここに来ますから、準備をお願いしますね。」

「いよいよですわね…」

「お兄ちゃんに会えるんだぁ…」

「大神さん……」

 それぞれ、最高潮に達した想いを一線の所で抑え、桜の幹の裏に隠れる。
 加山が来た時と同様、音も無く姿を消した直後、懐かしい人の声が聞こえた。
 ずっと聞きたいと願った声。ああ、あの人がそこにいる。
 こんなに長く感じた三ヶ月は無かった。
 やっと会えるんだ。

 様々な、一途な想いを込めて、さくらは一歩足を踏み出した。そして―――――


「お久しぶりです、大神さん。」


 最高の笑顔で微笑んだ。



   さぁ、始めよう。夢のつづきを―――そして、未来を―――


                END

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