雪の夜
雪深い真冬の夜。
『マリアはロシア生まれだから雪は、あまり珍しくないんじゃないか?』
誰もいない交差点に、粉雪が舞う。
『ええ。ロシアの冬は長くて厳しいです…
だから、きっと、人と人とのふれあいや、ぬくもりを大切にするんです。』
雪が作る無音の空間に、声が響く。
『人と人とが手をつなぎ合って冬を乗り切って……
そして歓喜の春を待ちわびるのです。』
こんな夜を以前にも経験した事がある。そう、クリスマスの次に来る聖なる日に…
『マリア……』
―――数年前の雪の夜に―――――
(雪、止まないわね……)
手をかざして闇空から舞い降りる小さな結晶を見つめる。
(夜明け頃だけでも止んでくれないかしら…?)
トンッと、すぐ後ろにある民家の壁に背をつけ、ゆっくりと視界を見渡す。
白銀の大地、白く染められた町、深い空、そして絶えることなく降り積もるモノ。
(なんだか、つい半日前まで戦場だったなんて嘘みたいね。)
戦火を駆け抜け、クワッサリーと呼ばれるこの少女がそう思ってしまうほど、今夜は神聖とも恐れとも感じる澄み切った空気で満ちていた。
背中から壁の中の空気を感じる。あたたかい。
(…油断は禁物だけど、年の終わりと始まりぐらいの一時ならば、いいのかもね。)
現に辺りからは自分以外の気配を感じられなかった。
皆、好き好んで戦っているわけではないのだ。少なくとも、自分の周りの人はそうである。この国の未来を心から憂い、良い方向へ向かわせる為に、その為に命を張っているはずである。
(特に隊長は…常に先へ進みつつも私たちのことを考えてくれている。
今だって―――すぐに出発できたのに、年が明けまでここに留まると…―――
みんな喜んでいた。私の、大事な………人………………)
もっとも、この少女にはそれ以上といえる思いがあった。
革命精神以上に、可憐な少女を革命の闘士へと豹変させる想いが。
頬にほんのりと熱が燈る。
そこに、タイミングが良いというか悪いというか。今現在の自分の頭を埋め尽くしている人物が突然、民家のドアから顔を出してきた。
「なんだ、ここにいたのか。マリア。」
「た、隊長っ……!」
まさしくその人物はマリアの属する部隊の隊長、ユーリー=ミハイル・ニコラーエビッチであった。
後ろ手でドアを締めて自分の横に来るユーリーの顔が正面から見れず、マリアはつい視線を空へ向けてしまった。
「どうした?中に入らないのか?」
そんなマリアの様子に心を突付かれたような気がするが、特に気にすることなくユーリーはマリアに尋ねる。
マリアはしどろもどろになりつつも、外にいた理由を口にする。
「い、いえ…あの、私は…見張りを……」
「…そうか。」
ポン、と毛皮の帽子の上から自分の胸の位置ぐらいにあるマリアの頭に手を置くと、ユーリーは申し訳なさそうな声でマリアに告げた。
「すまないな…心配かけてしまって。」
「えっ?」
「やっぱりすぐに出発するべきだっ―――――」
「そんなことはありません!」
ユーリーの言葉を遮り、マリアの声が響く。
不覚にも大声を出してしまった自分の口を抑えながら、マリアはおずおずと続ける。
「す、すみません……別に、そういう意味じゃないんです。
隊長の判断はすごく良かったと思います。ここの所移動に戦いとみんなの気が滅入ってましたから…
私が、ここにいたのは―――失いたくないからです。」
「え?」
歳相応に見えないしっかりとした瞳で真っ直ぐにユーリーを見つめながら、半ば勢い任せで思いの告白を続ける。
「私にとって、この隊は大事な存在です。だから、敵襲なんかで失いたくないんです。
特に……隊長は………………だから……私は………………」
真っ直ぐに見つめていた瞳は、後半になるにつれて逸れていき、最後には恥ずかしさからか俯きながらになってしまった。
声もそれに比例するようにだんだん小さくなっていき、最後の方は雪がまわりの空気をクリアにしていなければ聞こえないほどであった。
マリアの突然の告白に、ユーリーはしばし呆然としていたが、優しく口元で笑うと、マリアの頭に再び手を置いた。
「…隊長……?」
その姿勢のまま動かないユーリーに不安を覚えたのか、マリアは弱々しく声を発する。
次の瞬間、今度は驚きの声を上げる事となった。ユーリーがいきなり自分を高く抱き上げたのだ。
「た、隊長!?」
マリアの顔が一気に赤くなる。
(軽い……)
そんなマリアの顔を見て、ユーリーは自分の中でずっと名前がわからなかった想いの名を確信した。
「ずっと、守らなきゃいけないと思っていた。隊長として………
けど、それはちょっと違っていたみたいだ。今、はっきりとわかったよ。
俺はマリアを守りたいんだ。男として。」
「隊長……」
マリアの中でこれは夢だ。と自分の声が響く。
こんな事が―――自分が望んでいる事が本当に起こるはずないと。
ユーリーが手を放し、自分が地に足つけると同時に目が覚めて、いつも通り、革命のあわただしい朝があるのだと。
そのマリアの予想通り、ユーリーは空中でマリアを支えていた両手を離した。一瞬、マリアを落下感が襲う。
しかし、次に感じたのは寂しい目覚めではなく、ユーリーの暖かさであった。
マリアをしっかりと抱きとめたまま、ユーリーは雪の上に倒れこむ。
「隊長、大丈夫ですか!?」
全身でユーリーの体温を感じると、マリアの心にこれが紛れも無い現実だという、嬉しさがこみ上げてくる。
喜びつつも、自分を抱きしめながら倒れこんだ事を心配する声をかける。ユーリーはゆっくりと微笑んだ。
その優しさのまま言葉を紡ぐ。
「…なぁ、マリア……
この戦いが終わって、新しい国ができたら俺たちはこの国を離れよう、マリア。
この仕事を無事やり遂げる事ができたら、もう一度新しい人生を始めるのもいいと思わないか。
アメリカに行ってすべてを忘れて、おまえと……」
ユーリーの提案に、マリアは迷う事は無かった。
感極まって瞳から零れ落ちるものを止めようとはしなかった。
「はい!…はいっもちろんです!!」
その夜の出来事と言葉を支えに、マリアはその後の日に日に激しさを増す戦いを潜り抜けていった。
そう、壮絶なる死の別れが訪れるその時まで―――――そして時は流れ―――――
…幸せだった。愛していた。あの日も今も、続いてる。
『……マリアは、何をお祈りしたんだい?』
私の新しい想いとともに。
愛すべき明日がある。
あの日も今も…だから―――
『生きている喜びを……感謝しました。』
―――私はここに“幸せ”だと誓おう。この雪の夜に―――
END
書棚へ戻る