夢の通い路-蝶の見た夢-
毎年どんなに言っても、必ずこの日は花束で楽屋がいっぱいになってしまう。
だから、とても煩わしい日だった……去年までは。
「相変わらずすごいわね、昴。」
衣装に着替え、出番を待つ昴のもとにラチェットがやってきた。
楽屋には毎日花が届けられるが、今日は一層多い。理由はもちろん、シアターの看板スターである九条昴の誕生日だから。
「昼の開演前でこれじゃあ、夜はもっとすごくなりそうね。」
「君だって抱えきれない花を貰っていただろう。」
「それはそれよ…で、今年はどうするの?」
何を、とは言わない。言う必要がないからだ。
「そうだな……」
やや逡巡してから、昴が答えようと口を開らこうとしたとき、楽屋に新たな花の香りが漂ってきた。
扉を見ると、両手いっぱいに花束を抱えた大河がきょろきょろと当たりを見渡している。
「大河、その花はこっちに置いてくれ」
「あ、昴さん。ラチェットさん。」
昴が楽屋の空きスペースを指すと、大河は笑顔を二人に向けてからその通りに花束を丁寧に置く。
「大河くん、今日は大変ね。これで何往復目?」
「ええと……8回目です。この前のリカの誕生日もたくさん届きましたけど、それ以上ですね。」
自分のことではないのに何故か嬉しそうな大河を、昴は薄く笑みを浮かべて見つめる。
「じゃあ、ぼくはロビーに戻りますね。今日の舞台がんばってください!」
「昴は言った……期待は裏切らないと約束しよう、と…」
慌ただしく走り去っていく背中を見送ってから、昴は先ほどの会話を再開させた。
「……今年は車を呼んでくれ。」
わざわざ聞いてきたということは、去年までとは違う対応をする必要があるとラチェットは判断したのだろう。
近くにあった花束に手を添えながらの答えにラチェットはにっこりと笑って頷いた。
「わかったわ。ホテルにも連絡入れておくわね。」
「いや、そっちじゃない。」
だが、次に否定をすると思ってはいなかったのか、ラチェットは首を傾げる。
「運ぶのは別の場所だ。」
何かを含ませた笑みを浮かべ、続けて届け先を指定するとラチェットは「本当に変わったわね」としみじみと呟いてから了承した。
「はいはい。誰も止めたりしないから大丈夫よ。そのための昨日だったしね。」
昨夜、舞台がはねた後は1日早く行われた昴の誕生日パーティーで大騒ぎだった。
昨年は行われなかったパーティーで素直に祝われる昴を見て、ラチェットは嬉しくなったのを思い出す。
「来月は君とジェミニの番だろう。」
「あら、覚えててくれたのね。」
「それはね……じゃあ、僕はそろそろ行くよ。」
やや素っ気ない返答になってしまったのは照れたからかしら?とラチェットは考えたが、口には出さずに見送るとぐるりと楽屋を見渡す。
「さて……今日は大河くんには頼めないから、応援を呼ばなきゃね。」
この場合の適任者はやはり彼だろう。
交渉するべく電話を取ったラチェットは自分も、随時と世話焼きになったものだと思う。そして、それがちっとも苦ではないことも。
十年前の私が今の私を見たら、きっとびっくりするでしょうね、と思わず笑みがこぼれると同時に電話が通じる。
「あ、ミスター加山。少し頼みたいことがあるのだけど……」
「うーん……」
「あら、タイガーずいぶん難しい顔をしてるわね。」
本日15回目の運搬に付き合ってくれたプラムに指摘されて、大河は自分の声に気づいた。
「あ……」
どうやら花を見ているうちに無意識に出てしまったらしい。
「タイガーが悩んでいる理由、当ててみせましょうか。ずばり、昴へのプレゼントが決まっていない!」
「な、なんでわかるんですかっ!?」
大袈裟に驚く大河に、プラムはウインクをしてみせる。
「お姉さんにはなんでもお見通しよ。」
「……何をあげたら昴さんが喜んでくれるかずっと考えてたら、今日になっちゃって…それでもまだ決まらないんです。」
しゅん、とうなだれる大河にプラムはあらあらと口元に手を当てる。
(こんなに想ってもらえるなんて、昴は幸せ者ねぇ…)
恐らく大河は他の仲間や自分でも真剣に考えてくれるだろうが、当日まで決まらないというのは昴くらいなものだろう。そう思うと少し相手を羨ましくも思うが
(ここはアドバイスをしてあげるのがイイ女のプラムさんよね。)
今から用意ができて、かつ大河がプレゼントとして贈れそうなものを考え、プラムは携帯しているメモを取り出しペンを走らせる。
「プラムさん?」
「タイガー、ここに行ってごらんなさい。」
手渡されたメモにはシアターからそう遠くない場所が記されていた。
「何かのお店ですか?」
「ええ、この前偶然見つけてね。まだ出来たばっかりだから、行くなら今よ。どうせならオリジナルの物がいいじゃない。」
「何のお店なんですか?」
当然の質問に、プラムはにっこり笑って耳打ちをすると、大河は驚いたがこれならいいかもしれない。とすぐに満面の笑みを浮かべてプラムに頭を下げた。
「プラムさん、ありがとうございます!」
「どういたしまして。じゃあ、今から行っちゃいなさいな。少し早いけど、休憩に入るって伝えておいてあげるわ。」
「いいんですか?」
「善は急げって言うでしょ。ほら、いいからいいから!」
「あ、ありがとうございます!じゃあ…行ってきますね。」
再びぺこりと頭を下げてお礼を言った大河は、駆け足で玄関へと向かっていった。
その様子を見送ったプラムは先ほどの無邪気な笑顔を思い出して苦笑いをする。
(タイガーはホントに素直な子ね。)
あの素直さがチャームポイントでありウィークポイントかもしれない。
とりあえず、今度ドリンクバーの掃除でも手伝ってもらおうと考えながら、プラムもロビーへと戻って行った。
「大河、今日は君の部屋に行くよ。いいだろう?」
「えっ…は、はい!もちろんです!でも…」
「なにか不都合があるのかい。」
「いえ…ぼく、まだ少し時間がかかるんです。」
「じゃあ、先に行って待たせてもらってもいいかい?」
「はい!すみません、なるべく早く行きますから…」
「ああ。」
好都合だ、と昴は口の端だけで笑う。
舞台の後、すぐに大河を捕まえて確認を取った昴は早々にシアターを後にし、見つからぬよう気配を消して大河のアパートまで行くと、スーツの内ポケットからキーホルダーに付いた鍵を取り出す。
ドアを開けると、今まで密閉されていた花の香りが一気に届く。
「予定通りだな。」
昴が花束の送り先に指定したのは大河の部屋だった。
メッセージカードの類は別にしてホテルへと指示していたので、ここには色とりどりの花だけだ。
「さて……始めるか。」
大河が戻ってくるまでに準備を整えなくては。
まず、持ってきた鞄を開けて、着替えをする。慣れた動きで着付けたそれはマダム・バタフライの衣装。
次に花束をほどき、適度にまとめ直す。目立つ花は少なく、かすみ草などの小さな花は多めに。
あの家に咲いていた花はきっとそういう花だっただろうから。
「花を摘みましょう。あの方を迎えるために。少しでも華やぐように。」
夫を信じて待ち続けた蝶々。だが、彼女の前に現れたのは愛する夫と見知らぬ異国の女性。
自分がどういう事になったのか知った彼女は、その純粋な気高さゆえに自害する。
「…………」
花を敷き詰め終えた昴は、静かに床に正座で座るとまっすぐに窓の外を見上げるが、周囲の建物が邪魔をしてここからだと星はあまり見えない。
だから、昴はすっと目を閉じて思い浮かべる。蝶々夫人が見ていたであろう光景を。
そうしてどれくらい待っただろうか。鍵を開ける音を聞きつけた昴は立ち上がり、そちらに向き直る。
「昴さん?……!」
薄暗い室内に疑問を感じた大河が昴の名前を呼びながら部屋に入ると、目の前の光景に驚いて息を飲む。
花の香りに満ちた室内に差し込む月明かりに照らされたその微笑みはとても嬉しそうで。
でも次の瞬間、不意に体の向きを変え、壁の影に隠れてしまう。
「あ…!」
引き寄せられるようにその後を追うと
「…おかえりなさい。」
至上の笑顔で言われ、思わず
「た、ただいま……」
と真っ赤になって返してしまう大河だった。
その答えに満足した昴はいつもの笑みを浮かべて、幻の時間の終わりを告げた。
「……ちょっと、彼女の夢を再現してみたくなってね。」
部屋の灯りをつけ、衣装のまま花を片付けながら、昴はそう告げた。
「蝶々夫人の…ですか。」
それを手伝いながら、大河が確認したので頷く。
劇中、ピンカートンの乗る船が港に着いたのを知った蝶々は女中のスズキと共に部屋を花で飾るシーンがある。
このときに蝶々が夢見た再開を、昴は己の身で実践してみたのだ。
「ちょうどいい機会だからね。君が予測通りの返答をしてくれて助かった。」
「そ、そうですか?……でも、それならそれで言ってくれればぼくも軍服を出したのになぁ」
「……ああ。そういえば君は海軍の出だったね。」
「はい。一応、軍服も持って来てるんですよ。」
こっちに来て袖を通す機会がないからタンスの奥にあるままですけど、と付け加えて大河は机の周りに花をまとめた。
「大河、着てみてくれないか。」
「今ですか?」
「もちろん、君が嫌じゃなかったら。」
きょとんとした顔で聞き返す大河に昴がそう付け加えると、大河は首を振ってから笑顔を見せる。
「いいですよ。今日は昴さんの誕生日ですからね。ちょっと待っててください。」
タンスを開けて、奥から風呂敷に包まれたそれを取り出し、大河はシャワー室へと向かう。
程なくして戻ってきた大河を見て、昴は軽く目を見張った。当然初めて見るそれは想像以上に似合っていて、黙っていれば凛々しい青年だ。
「どうですか、昴さん。」
だが、口を開くとやっぱりいつもの彼で、優しい顔立ちと笑顔は軍人にありがちな堅苦しさなど微塵も感じさせない。
「ああ、よく似合っているよ。」
「えへへへ……ありがとうございます。」
褒めると、さらにそれが顕著になる。
軍服を着ていてもこれならば、普段は軍人だとまったく気にならないはずだ。
二人並んで座ると、大河がすっと細長い箱を昴の前に差し出した。
「昴さん、お誕生日おめでとうございます。」
「ありがとう…開けてもいいかい?」
昴が訊ねると、大河は照れているのか、やや頬を染めてまま頷く。
リボンを解き、箱を開けると中には細かい模様が入った紫の布が巻かれた筒が入っていた。手にしてみると、覗き穴では無い方からジャラっと細かいガラスがぶつかり合う音がした。
「万華鏡か…」
「何をあげれば昴さんが喜んでくれるかなぁ…って考えてたらギリギリになっちゃったんですけど…万華鏡が作れるお店があるってプラムさんから聞いて……」
「これ、大河が作ったのかい?」
たしかに、市販のものに比べると作りが簡素だと思ったが、手作りだと思わなかった昴は驚いて聞き返すと、大河は小さく首を縦に振った。
「はい…万華鏡は嫌いでしたか?」
「そんなわけないよ……ありがとう、新次郎。」
突然名前で呼ばれて大河は一瞬にしてさらに頬を染める。
昴はそんな彼から視線を万華鏡に戻すと、腕を上げてそれを覗き込む。見ながら軽く回すと次々に模様が変わり、同じ模様が一度として出ない。
「中の色はみんなの色にしたんですよ。」
紫が少し多めですけど、と大河はニコニコと笑っている。
たしかに、それぞれの霊子甲冑スターの機体の色に近いガラス玉でこの万華鏡は構成されていた。
「昴は思った……ピンカートンが君のような男だったらあの話は生まれなかっただろう、と…」
マダム・バタフライは蝶々とピンカートンの思いの違いが生んだ悲恋。
蝶々がピンカートンの思うような女性だったら。また、ピンカートンが蝶々の信じるような男性だったら物語は世に出ていなかっただろう。あの物語は悲恋だからこそ、人々の魂を揺さぶるのだ。
だから、先ほどの幻は今夜だけのもの。僕と新次郎だけの、夢の通い路だ。
「えっ?昴さん、今何か言いました?」
万華鏡を覗きながら呟いた昴の言葉を聞き取れなかった大河は質問するが、昴は何でもないと首を振る。
「ありがとう、新次郎。大切にするよ。」
昴がそう微笑むと、大河は照れながらも顔いっぱいに安堵の色を浮かべて笑う。
煩わしい日だった……去年までは。
生まれた日を嬉しいとも思わなかった。でも今年はこんなにも満ち足りた気持ちになる。
昴は想う…それは君が隣にいてくれるからだ、と。
大河新次郎……君の生まれた日には僕は感謝の念でいっぱいになるのだろう。
君がいたから、今の僕があるのだから。
END
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